第9話 ステラの過ち
私は一人、暗くなったスマラナ山の道を進む。
昼頃とは全然違う月光と星の光だけを頼りに足を進めていく。
今、私が目指している場所は昼頃に大猪セーフリムニルが現れた場所、ステラとリアーナの秘密基地だ。
スマラナ山の中腹にある掘っ立て小屋。
既に場所は把握しているし、迷う事もない。
「ここだな。……建物は全て壊れてしまったか」
突如、作動した錬成陣によって現れたセーフリムニル。
その影響か、屋根は吹き飛び、壁はボロボロ。扉なんてはじけ飛んでしまっていて、中は誰でも入れるフリーパスのような状態。
私は壁に触れ、壊れてしまった部分を簡単に補修しながら、内部へと足を進める。
中央にある今は作動する事のない錬成陣。
ここからあのセーフリムニルが現れた。私は膝を折り、錬成陣を確認する。
錬成陣を見ていき、指でなぞると色々見えてくる。
これは何だ?
私は思わず首を捻ってしまう。
「……少し待て」
目の前にあったものの現実が受け止められず、私は思わず額に手を当てる。
ちょっと待て。
私はもう一度、錬成陣を見る。やっぱり、見間違いじゃない。
「この錬成陣……陣として成立していない?」
おかしい。ズブの素人が作ったのか?
ズブの素人ならばありえる話だ。
錬成陣というのはただの錬成術とは少し異なり、術式という知識が必要になる。
これは創造力とかの話ではなく、れっきとした知識。
創造する事が苦手な人間がそれを補完する為に考えられた技術、知識だ。
誰でも勉強をすれば使えるようになるはずなのだが……。
私は錬成陣を観察し、顎に手を当てる。
「やはりそうだ。これは陣を為していない……だとすると、何故だ? 何故、この陣からセーフリムニルが現れる?」
錬成陣が機能していないとしたら、この錬成陣からあの大猪が現れた事には疑問が残る。
ああした召喚するタイプの錬成術の場合、陣があるとより安定して呼び出せる。
それを狙い済ましたかのようにやった人間が居るとするのなら……。
「イリュテムか?」
この村の巨悪。スマラナ村の人々を苦しめている元凶。
奴の仕業か? 私は一度立ち上がり、部屋の中を物色する。
「……これは」
一枚の写真を見つけ、私は思わず手に取る。
写真立てに入れていたであろうガラスは割れ、写真が剥き出しになっている。
しかし、その写真はとても楽しそうに二人の少女が笑っている。
中心にある金色のオルゴールに二人の少女の笑顔。
これは幼き日のステラとリアーナか。
「……ここで二人は錬成術の練習をしていたのか。という事はイリュテムを呼び出したのもここか」
リアーナが言っていた事が真実なのだとしたら、ここになる。私はつぶさに周囲を確認する。
部屋の中に散らばる本もまた、錬成術にまつわるものばかり。
それだけじゃなく私は思わず、目を惹かれたそれを手に取る。
「随分と懐かしいものを……」
ヘルメス全書と表紙に書かれた本を手に取り、中身を見つめる。
開いては閉じてを繰り返していたせいか、紙はくたびれ、よれている。
表紙や背表紙も汚れが目立ち、良く使い込まれている。
「…………」
嬉しいものだ。
こうして私の遺したものが未来に繋がっている事は。
私は本を棚に戻す。すると、そこには一冊の日記があった。
私は思わずそれを手に取り、ペラペラとページを捲る。
『●月●日
今日はリアーナと一緒に錬成陣を書いてみた。
初めて書いた錬成陣だったけれど、会心の出来!! これは私にも錬成術の才能があるのね!! ふふん!!
後、村の人たちが果物が多く採れたから秘密基地に持ってきてくれた。しばらく、果物生活が始まりそうね。美味しいから別に良いけれど』
『●月●日
昨日、書いた錬成陣を作動させてみた。全く動かない!! どうして!!
リアーナに聞いても分からないって言うし、良く分からないわ!! 今度、お父様に聞いてみましょう!!
果物は飽きましたわ!!』
日記には何度も何度も錬成陣の事に関する試行錯誤の記録が残っていた。
『●月●日
これで10回目!! いよいよ、成功の時が近づいていますわ!! ヘルメス様も言ってましたもの。失敗は成功の母、と!! 明日、いよいよ、稼動の時ですわ!!
今日はリアーナが果物をカレーにしてくれましたわ。リアーナのカレーは村でも大人気!! 私の一番の好物ですわ!! 明日もカレーが楽しみ!!』
研鑽の内容についても書かれている。
『●月●日
何故ですの!? 錬成陣の書き方は間違っていませんのに!! いえ、違いますわ。これはここの文字が違ったのですわ。そうに決まってます!! 次こそ成功させますわ。
18回目の挑戦!!』
しかし、私は首を捻る。
「はは。その方法だと上手くいかないな。もっと私の本を読むべきだ。ステラは随分と勉強熱心だが、大事な部分を見逃しがちだな」
どの研鑽も修正内容も的外れ。
でも、日記には日々、楽しく、それでいて嬉しそうに錬成術の研鑽の記録が付けられていた。
成果が出ずとも、自分の力で何かを成し遂げようとする気概をこの日記からは感じる。
「……ただ、気になるな」
研鑽内容は間違っているには間違っている。
でも、ここまで一度も作動しない、というのは果たしてありえるんだろうか。
錬成術というのは人間であれば、誰にだって使えるものだ。
錬成陣も同じで、錬成術が使えるのであれば、動く事は動く。
なのに、この日記には共通して『全く動かない』と書かれている。
「動かないって事は光る事も、物が作られる事も無かったって事……ステラには錬成術の才能が無い? いや、元々……使えない体質なのか?」
そういう人間が居ない訳ではないが、それはまさしくレアケースだ。
しかし、更にページを捲ろうとした時、違和感を覚える。
何だか紙がゴワゴワしている。まるで濡れた紙がそのまま乾いているように。
そんな違和感を覚えつつ、ページを捲る。
『●月●日
錬成陣が動くと思ったら、イリュテムという男が現れましたわ。
私が彼を呼び出してしまった。そのせいで、沢山の人が死に……村が焼かれました……。
全部、私のせいで……。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい』
「錬成陣からイリュテムが現れた……」
リアーナの言った通りだったか。
私はノートをすぐさま閉じ、錬成陣を確認する。
……理解すれば簡単だ。
なるほど。そういう事か。私は錬成陣をなぞり、呟く。
「これは重ねたか。しかも、作動した後に痕跡を消すように錬成陣も一緒に消失している……なるほど……悪辣だな」
多分、イリュテムという男はステラが錬成陣の素人である事を知っていた。
それを利用し、使えない錬成陣に自らを召喚する錬成陣を重ねたんだ。決してバレないよう巧妙に。それで……ステラが使ったと同時に作動させて、お前が呼び出したんだ、という既成事実を作り上げた。
私はもう一度、日記を見る。
そこから先に書かれているのは全て――自責の言葉だ。
『また……一人が生贄になりました。私が変な事をしなければ……死ぬ事のなかった命……。
本当に、ごめんなさい。ごめんなさい……
首輪のせいで逆らう事も出来ない……私が逆らえば、村だって無事じゃすまない……。
でも、彼は言った。私が言いなりになれば大丈夫だって。だから……そうするしかないの……
頑張らなくちゃ、頑張って、皆を助ける為に……心を殺すのよ』
そこから先の紙は全てゴワついている。
きっと濡れてから乾いたから。その濡れはきっと……。
「……ステラには責任感があったんだ。だから、全部背負い込んでしまった」
『●月●日
原因不明の病が村に広がり始めている……。
もしも、私が罹れば、死ぬ事が出来るのかしら……いえ、ダメよ。私が死ぬなんて許されない。
私が死ぬのは逃げるだけ。自分の犯してしまった罪から逃げているだけ。
私は最期まで奴隷として生き続けると決めたんだから。
心を殺して……奴隷を演じて……いつか必ず、チャンスが来たら……』
「…………」
読むのが辛くなってくる。
日を追う事に、その叫びは大きくなっていく。
『●月●日
この地獄はいつ終わるの? 私は後、何人を見送ればいいの? どうして、皆、私を悪くないっていうの!? 私のせいなのに!! 私がアイツを呼び寄せたからなのに……。
村に課せられた重い税も、原因不明の病も、何より、あの男を呼び寄せた事も!!
全部!! 全部!! 全部!!!!!!
私のせいなのに!!!!!
なんで!!!! なんで、なんで、なんで!!!!!
私が……もう、終わりにして……誰か……。
たすけて』
そこで日記は終わっていた。
私はゆっくりとノートを閉じ、棚に仕舞う。
「…………」
言葉が無い、とはこの事か。
村長は言った。ステラに救われている、と。
リアーナもステラの為に何かがしたいと言っていた。
皆、ステラの為にと明日、戦う。けれど、ステラがそれを知ってしまったらどうなるだろうか。
彼女にとって村は自分の命に代えても守りたい人たちだ。
そんな人たちが明日、戦う事になれば……。
致命的にすれ違っている。というよりも、ステラが大事な事を見落としている。
自責の念に潰されて……。
「……ステラは知っているのか?」
知らないだろう。
あの村長の口ぶりからすると、伝える事は出来なかったはずだ。
それは今までのステラの頑張りを無にするものだから。
10年間、たった一人で戦い続けてきたステラを否定してしまう事になるから。
それでも、村の皆は……ステラを救ってやりたいと思っている。
ステラの夢を……。
「イリュテム……か……」
「オルタナさん?」
突然、背後から声を掛けられ、私は思わず振り向く。
そこには目を丸くするステラが居た。
「こんな所で何をしていたんですの?」
「あ、いや。少し調査をしていてな」
「そう……ですか……」
ステラはニコっと優しく笑う。その笑顔に私は何か強烈な違和感を覚える。
何か歪んだような気が……。
「……オルタナさん。村を救ってくれてありがとう、ございます。貴方がいなかったらきっと、村の皆が亡くなっていたから……それと……ごめん、なさい」
「気にするな。それが錬成術師として当然の事だからな。それよりも、私も君に言いたい事がある」
「言いたい事、ですか?」
「ああ、そうだ。君は……錬成じゅ――」
ズブリ、と何かが胸を貫いた。
反応する事すら出来なかった。あまりにも早すぎる動き。
私が視線を少し下げると、ステラの右腕が私の胸を貫通していた。
何かが腹から込み上げ、口から赤い液体を吹き出す。
「がふっ……す……てら……」
「…………ごめん、なさい。貴方を殺さないと、リアーナが……本当に……ごめんなさい……」
ゆっくりと胸から腕を抜かれ、私の視界にノイズが走る。
これは……ダメかも……しれない。
ガクン、と私は膝から崩れ落ちそのまま――――。
☆
バタン、と白髪の男が倒れ、右手に付着した赤い液体を見つめ、一人の女性が膝から崩れ落ちる。
「あ、ああ……あああああああああああああああああああああッ!!」
女性は声にならない叫び声を上げ、蹲る。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
呪文のように謝罪の言葉を口にする女性――ステラ。
ああ、何て可哀想。そんな事、したくなかったはずだ。
慟哭し、泣き崩れるステラ。
「わたしは……わたしはぁ……なんで……あ……」
白髪の男が倒れた衝撃で、リアーナから預かった金色のオルゴールが床に転がる。
それを見つけると、ステラは更に、顔を青ざめさせる。
「あぁ……あ……わたくしは……なんてことを……あぁ……ごめんなさい、ごめんなさい」
顔に絶望を張り付け、何度も何度も謝り続けるその姿はあまりにも痛々しい。
…………。
君は何も悪くない。君は全てを仕組まれていたんだ。君のその責任感の強さに付け込んだ悪質極まりない悪魔の所業。
それをイリュテムという男がやっただけ。
貴方は何も悪くない。
しかし、私の声は決して届かない。だって、私の『人形』が少し壊れてしまったから。
……一晩は掛かりそう。
今の私はただ見守る事しか出来ない。
ただ、目の前で蹲り、子供のように自分を責めて泣き続ける一人の女性を見る事しか出来なかった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます