第7話 日本の地

「わ、私に話……?」


 少女は怯えたように肩をすくめ、ラナスオルとシードをおどおどと交互に見つめていた。

 鋭い殺気を帯びたドレス姿の女性と、冷たい気配を纏う黒衣の男――どちらも、少女にとってはこの世のものとは思えないほど非現実的な存在だ。


 その挙動を見たシードは、無言のまま指を鳴らした。 

 次の瞬間、少女が握りしめていた長方形の物体がふわりと空中に浮かび上がり、見えない糸で引かれるかのようにゆっくりと彼の手元へと引き寄せられていった。


「ああっ、何するんですか! 私のスマホ!」


 少女は慌てて手を伸ばすが、届かない。


「ほう、これはスマホと言うのですか」


 シードは興味深げにその物体を観察しながら、手のひらの上に浮かべてくるくると回転させていた。

 

 未知の遺物を調査する学者のような冷徹な眼差しで、スマホを傾けたり、回したりしながら、指先で慎重に触れていく。


 指が触れた部分に微かな光が揺らめき、スマホの画面に映る映像が変化する。まるで魔法のようだ。


「僕の質問にすべて偽りなく答えれば返します。……これを僕たちに向けていた理由は?」


 シードの感情の欠片すらない問いかけに少女の顔は一瞬青ざめる。

 少女は困惑しつつも、素直に答えた。


「それは……めっちゃリアルな撮影シーンだったから……動画を撮りたくて……あ、でも、問題あったらちゃんと消しますぅ……」

 

 少女の声は震えている。

 無理に明るく振る舞おうとしているものの、明らかにシードに対して怯えているようだった。

 

 彼女の答えを聞く間、ラナスオルは地面に空いた穴や薙ぎ倒された木々を修復しつつ、シードに鋭い眼差しを向けている。

 彼の些細な仕草一つを見逃すまいとするかのように。


 左手のフェルジアが放つ柔らかな光が、傷ついた風景を元通りにしていく。


「なるほど……記録を残す道具なのですね」

 

 シードは淡々と呟くと、スマホをもう一度指先で回転させる。

 冷たい銀の瞳が、そこに映る映像を静かに追う。

 

 そしてすべての質問を終えた後、シードは無造作にスマホを少女に返した。

 彼女がほっとした表情でスマホを抱きしめた瞬間――シードは、何の躊躇もなく少女の頭上に手をかざした。


「……」


 短い呪文が低く響く。


 その瞬間、少女の瞳が虚ろになった。

 

 彼女の意識の奥で、何かが霧の中に溶けていくような感覚が広がる。

 それは痛みもなく、自分の記憶の一部が抜き取られるような、奇妙な感覚だった。

 

「あれ……私はこんな所で何をしていたんだろう?」


 彼女は首を傾げ、先ほどまでの記憶が曖昧に霞むのを感じながら、その場を立ち去った。

 ほんの数秒前まで恐怖で震えていたことすら、完全に忘れ去られたまま。

 

「記憶改竄……。君はそうやって、いつもすべてを都合よく処理するんだな」


 修復を終えたラナスオルがシードに歩み寄りながら刺々しい口調で言い放った。


「ええ。彼女は嘘をついていませんでしたし、こちらの世界については概ね把握できましたから」


 シードが淡々と答えると、ラナスオルは肩をすくめた。


「精神干渉の魔術、か……さすが、そういうところは君には敵わない」

 

「僕の魔術の行使は状況に応じて最適解を選ぶだけです。彼女の命を奪わなかったことを感謝していただきたいくらいですが」


「ふん、そういう無慈悲な物言いも、相変わらずだな」

 

 彼女は呆れたような皮肉混じりの口調で言うが、その表情にはどこか安堵の色が浮かんでいた。


   * * *


 シードは、少女から聞き出した情報を整理しながら話し始めた。


「ここは『日本』という国だそうです。この街は『椋実むくみ区』というらしい。そして、この場所は街の中心にあり『椋実公園』と呼ばれている」


「椋実区……聞いたこともない名だな」


 ラナスオルが指を顎に当てながら呟いた。


「当然です。ラナスのどこにも存在しない場所なのですから」


 シードはふと空を見上げ、風の流れを確かめるように目を細めた。

 そして徐に続ける。


「精霊や魔法が一切存在しないこの世界では、代わりに『科学』という未知の技術が発達しているそうです。僕たちの力が、この世界で異質なものに映る理由はそこにあるのでしょう」


 その説明を聞いたラナスオルは、驚きよりもむしろ心を躍らせたように表情を緩めた。

 

「ほう……!」

 

 神である自分すら理解の及ばない未開の地が、彼女の好奇心を揺さぶり始めているのがシードには手に取るようにわかった。


「あなたが興味を持つのは構いませんが、無闇に力を使い、先程のように目撃者を増やすのは得策ではありません」


 シードは冷静に釘を刺したが、ラナスオルは口元に薄い笑みを浮かべたまま周囲を見渡した。

 

「君がなんとかするのだろう? 記憶の改竄も得意なのだから」


「……そのような手間は極力避けたいと言っているのです」


 シードは、先程まで命のやり取りをしていたはずの彼女の、妙に気の抜けた態度に違和感を感じていたが、それを口に出すことはしなかった。

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