第1話 :街の端で鐘が鳴る

ヴェニラの町に朝の光が差し込む。

昨日までと変わらないはずの景色なのに、胸の奥でじわりとうずく感覚がある。

――それは、昨日までとは違う自分を予感させる。

アキラはそんな思いを噛みしめていた。


「……さて、どこへ行こうか」


口にしてみても答えはない。

石畳いしだたみを踏みしめる足音だけがかすかに反響する。

朝市が終わったばかりの町は、

もうそれぞれの仕事へと向かう人々でばらけ、

路地には片づけきれない露店の残骸ざんがいが転がっている。

アキラは深く息を吐きながら、その光景を横目に見やった。


やりたいことは多い。

領主代理バルトの圧政あっせい、増え続ける魔物……どれもこれも解決が難しい問題ばかりだ。

でも、だからこそ自分が“活躍できる場所”がある――

そう考えると、なぜか胸が高鳴ってしまう。


◇ ◇ ◇


「よう、おまえか」


不意に声をかけられ、アキラは反射的に振り返る。

そこには衛兵姿えいへいすがたの男が立っていた。

腕にはびょうのついた簡素なよろい、腰には短剣。

先ほど町の近くで起きた魔物騒ぎを鎮圧ちんあつした部隊の一人なのだろう。


「さっきの騒ぎを見物してたか? 火の魔法か何かの跡があったが、おま  

えがやったのか?」


男はじろりと疑いのまなざしを向けてくる。

どうやら魔物を倒した“謎の力”の持ち主を、アキラだと思っているようだ。


「え、ええと、違いますよ。俺はただの通りすがりで……」


アキラは苦笑を浮かべながら手を振る。

残念ながら、今回の手柄は自分ではない。

もし自分だったら名を上げる絶好のチャンスだったのに――そんな淡い期待も、胸のどこかにはあった。


「ふん。まぁ、そのうち分かるさ。変に目立つ行動は控えろよ。

 バルト様の気分を損ねると、めんどくさいからな」


男は吐き捨てるように言い残し、足早に去っていった。


(“めんどくさい”、か……)


アキラはその言葉が妙に引っかかる。

この町で領主代理に歯向かうことは、いわゆる“めんどくさい”状況を招くらしい。


◇ ◇ ◇


間もなく木陰から、初老しょろう神官しんかんが姿を現した。

教会の司祭しさいロフェンだ。

慈悲深じひぶかい目をしているが、その奥にはうれいの色が宿っている。


「あなたが、アキラさんですね。少し話を伺いたいのですが……」


ロフェンの柔和にゅうわな口調に、アキラは首をかしげる。

自分と教会に接点はないはずだが――と思いつつ、司祭の姿をまじまじと見る。

長い白髪しらがを後ろでたばね、薄い聖衣せいいまとったその格好は、ヴェニラではやや浮いているようにも見えた。


「話、ですか? 教会とは関係ないと思うけど……」

「いえ、町のあちこちで噂を耳にしまして。

 転生者てんせいしゃだとか、魔物を討伐とうばつしてくれるんじゃないかとか……。

 教会としては、この町が苦境くきょうにある今こそ、力を貸してくれる方を頼りに感じるのです」


ロフェンの言葉は丁寧だが、その瞳には切実せつじつさがにじむ。

教会が町の窮状きゅうじょうを救いきれずにいるのだろうことが、アキラにもなんとなく伝わってくる。


「もちろん、あなたに強制きょうせいするつもりはありません。ただ――」

そう言いかけ、ロフェンは唇をんだ。少し声を落とす。


「領主代理バルト様の圧政や貧困ひんこんに苦しむ人々……

 さらに魔物の襲来しゅうらいも増えています。

 もし、“転生者の特別な力”で救える命があるのなら……」


アキラの胸が熱くなる。

ここまで期待されると、どうにも燃えてしまう。


それと同時に、どこかに小さなとげも感じていた。

評価を求められることが嬉しくもあり、もっと評価されたいと望む自分もいて――

「本当に自分がこんなにも期待されていいのか?」という気持ちがないわけではない。


「わ、分かりましたよ。俺は別にお金目当てじゃないんで、

 町の人が喜ぶなら協力しますよ。

 魔物退治でも警備でも。

 ――ただ、そこまで“超チート”じゃないと思いますけどね?」


アキラが照れ隠し混じりにそう言うと、ロフェンは穏やかに微笑み、頭を下げた。

「あまりにも助けが必要な人が多く、教会の力だけでは足りませんから……」


その素直な態度が、アキラには少しむずがゆい。

けれど悪い気はしなかった。


「じゃあ、まず何かできることから始めましょうか。

 どこか手伝えそうな場所はありますか?」


その言葉を聞いたロフェンは、ほっとしたように息をつく。

「そうですね……教会を訪ねていただければ、えややまいに苦しむ人のためにいろいろ――」


ロフェンが言いかけたその時、街の中心部から不穏ふおんな鐘の音が鳴り響いた。

それは静かに時を告げる鐘ではなく、非常を知らせる警告の鐘。

ロフェンは青ざめた顔で言う。


「これは……また魔物が街に近づいているのか、あるいは……」


◇ ◇ ◇


緊張が一気に走り、行商人ぎょうしょうにんたちは慌ただしく店を片づけ始める。

アキラも剣の柄に手をかけ、背筋がゾクリと震えるのを感じた。


(さっそく出番、ってことか……?)


反射的に走り出すと、ロフェンや教会の僧侶そうりょらしき二人も追いかけるように集まってくる。

鐘は“ゴォン、ゴォン”とけたたましく鳴り響き、町人たちも右往左往うおうさおう

城門付近には衛兵が数名集まり、何やら慌てた様子で声をあげているのが遠くに見えた。


(魔物は……何が出た? 猪型いのししがたか、狼型おおかみがたか?)


少し前から中型の魔物が増えているという話を聞いているアキラは、

手汗がにじむてのひらを握りしめながら、心の中の不安と高揚を押さえようとする。

――前世の自分にはなかった“戦う力”。

今こそ、その力を発揮する時かもしれない。

だが、その欲望は危険な破裂音をともなっている可能性があることに、アキラは気づいていなかった。


城門前の広場へ着くと、すでに戦闘の跡が残されていた。

地面には大きな爪痕つめあとや焦げこげあと、衛兵数名が負傷してうずくまっている。

必死に仲間が手当てをしている姿が見えた。


「くそっ、思ったより手強かった……でも、 あいつは一体何者なんだ……?」


衛兵のリーダーらしき男が舌打ちをしながら地面をにらむ。

(また衛兵じゃない誰かが魔物を倒した……? 別の転生者か……?)


いくつもの疑問が頭に浮かぶアキラ。

そのとき、背後に“誰か”の視線を感じた気がした。

闇の中から突き刺すような、冷たい光――。

振り返ろうとするが、そこには城壁があるだけ。


(……まただ、この誰かに見られている感覚……)


もちろん、この瞬間のアキラには確かめようがない。


「アキラさん、どうします? 皆で町の周囲を巡回じゅんかいして警戒を呼びかけませんか?」


ロフェンが問いかける。

衛兵を助けたい気持ちもあるし、もっと人目につく形で活躍したいと思う気持ちもある。

(ここで指揮をとれれば、町の人からの評価が上がるかもしれない……)


自己顕示欲じこけんじよくがほんのりと胸をくすぐり、アキラは恥ずかしさを感じつつも捨てきれない。


「……分かりました。俺も一緒に巡回しますよ。

 まだ徘徊してる魔物がいるかもしれないですし 」


そう意気込みを示すと、ロフェンはわずかに安堵あんどの表情を浮かべた。

しかし、その目の奥にはアキラの野心を見抜いたかのような、複雑な光が混じっている。


◇ ◇ ◇


再び風が吹く。

妙に甘い香りが混じった風。

アキラは一瞬身体を強張こわばらせるが、そのまま鼻を鳴らして振り払う。


(……なんだろう、どうも嫌な予感がする)


その予感が、いずれどんな形でアキラを飲み込んでいくのか――今はまだ誰も知らない。

ただ、町には不穏ふおんが渦巻き、

闇が深い夜のどこかで、漆黒しっこくのコートの男が“呼び笛”という商品を差し出すかもしれない。

神も教会も、そして“転生者”と噂されるアキラ自身ですら、その気配には気づいていないのだ。


やがて非常を告げる鐘の音がようやく収まると、町には中途半端な静寂せいじゃくが訪れた。

アキラは意を決し、城門周辺の視察しさつへ歩み出す。

ロフェンを含む数人の教会関係者もついてくる。

これは“冒険”というより、瀬戸際せとぎわの町が必死に保とうとする秩序ちつじょのサポート。

それでも、アキラの胸はどこか誇らしい気持ちで満たされている。


「頑張らないとな……!」


彼の力強い声が石畳に反響する。

だが、その姿を陰から静かに見つめる者に、アキラはまだ気づいていない。

漆黒のコートを纏う“商人”の気配と、そこから広がる“契約けいやく”の影が、彼の運命を密やかに歪めようとしていることなど――。


(第1話 :街の端で鐘が鳴る・了)

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