最終話
■3月25日 昼、越後湯沢駅
駅に着くと、改札の前で拓真と輝帆さんが待っていた。拓真は僕を見つけると、いつもと変わらない仕草で「よっ」と手を上げてくれた。輝帆さんは僕を見るなり「似合うな、その服……。なんだか悔しい」と笑っていた。服を選んでくれた舞子先輩は「だろう?」と言って、自慢げにニマニマと笑って喜んでいる。
拓真は、僕が手にしていたボストンバッグを見ると、「ほら、寄こせ」と言って持ってくれた。
「奏太、何時の新幹線だ?」
「自由席にしたから、来たのに乗るよ」
そう言うとタイミングよく、東京行きの新幹線がまもなく到着すると駅のアナウンスが告げた。
僕達は改札の中へ入り、新幹線のホームへ続く通路を何も言わずに歩いていく。人が少ない静かなホームへあがると、少し暖かい穏やかな風が吹いていた。自由席があるホームの前のほうへ歩いていく。
腕をつかまれた。
振り向くと、輝帆さんが僕の腕を握り締めたまま、じわじわと泣いていた。
「ごめん。奏太君。本当にごめん……」
輝帆さんの手から、拓真への想いが伝わる。ずっと困って悩んで苦しんでいた。すぐにそう思った。それは僕も同じだったから。
輝帆さんがずっと抱えていたこの思いへ寄り添うように、僕はやさしく手を重ねた。
「輝帆さん、気にしないで」
「どうしようもないの?」
「うん、しょうがないと思う」
僕は輝帆さんにわかってもらいたかった。仕方がないことだと思って欲しかった。
それでも輝帆さんは、困ったように拓真のほうへ振り向いた。
「拓真、どうにかしてよ」
「奏太が決めたことだ」
「だからって……」
僕は三人に春のようになれと願いながら微笑む。
「ありがとう。みんなやさしいね」
新幹線が滑り込む。ゆっくりと速度が落ちていく。僕を捕まえていた輝帆さんの手が離れていく。
拓真が僕の荷物といっしょに紙の手提げ袋を渡してくれた。
「これ、母さんから。お弁当。おにぎりにしてあるから、腹減ったら食べろって」
「うん。うれしい。お母さんにお礼を言っといてくれる?」
「ああ、わかった」
新幹線のドアが開いた。乗り込む。振り返る。
僕を三人が見つめている。
みんなに何と言えばいいんだろう。どうお別れを言えばいいのだろう。
急に言葉が出なくなった。
発車のベルが鳴り響く。
「えと……、その……」
何か言わなきゃ。何か……。
「ま……舞子先輩!」
僕のすがるような声を捕まえるように、舞子先輩は僕に向かって手を伸ばす。
「うん。助ける」
舞子先輩が飛んだ。
ひょいと電車の中へ乗り込んだ。
驚く僕をぎゅっと抱き寄せた。
「ごめんな、拓真。こいつは私が貰っていく。おまえなんかにはあげない」
舞子先輩は、拓真に向かってべーっと舌を出す。
拓真は少し困ったように微笑んだ。
「ああ、任せた。頼む」
ドアがしゅっと閉まる。動き出す。手を振る拓真の姿があっという間に見えなくなる。
舞子先輩は僕をつかんでいた手をゆっくり離す。それからくすくすと静かに笑い出した。
「言っただろう。助けるって」
コートのポケットに手に入れると、舞子先輩が何かを取り出す。僕の目の前に突き出す。それはきらきらと輝く銀色の鍵だった。
「だって、いまから行く部屋、東京にある私んちのだから」
「え?」
「また同じパターンでびっくりしてるし」
「びっくりしますよ!」
「私んち、東京へ出張が多くてさ。いつも行ったり来たりしてるから、ホテルより安上がりだからって、三つぐらいマンションの部屋借りてて。そのひとつをお父さんからもらってきた」
「そんなのぜんぜん聞いてないですけど……」
「そりゃ君島先生にも黙っててと頼んでいたし」
「なんで……」
「お父さんを説得できるかどうかわからなかったから。がっかりさせたら奏太が死ぬかと思って」
「それは……」
「診断書見せて、どうにか説得したよ。もう女の子だから、私の好きに生きさせろって。ついでに留学するのも止めてきたから」
「え? じゃあ……」
「そうだよ。これから奏太といっしょに暮らす」
暮らすって……。
どうやって……。あ、どうやっても何も、これから行くところは舞子先輩の家で……。
え……。
どうしたらいいの……。
とまどう僕を見ながら、舞子先輩はいたずらが成功したときの子供のような笑い声をあげた。
「あはは。だってさ、こんなに早く部屋を借りられるわけないじゃん」
「でも……僕はてっきり……」
「まったく。こんな下心丸出しの奴に騙されるなんて。やさしすぎだよ、奏太は。ああ、心配、とても心配だなー。だから、私もついていく」
ひどいと思った。でも、舞子先輩の手を見てしまった。
その手は、寒さに触れたように震えていた。
僕には舞子先輩の気持ちがわかる。
僕もそうだったから。
だから、覚悟を決めたのは、僕よりも舞子先輩のほうだと思った。
「言い訳……しないでいいです」
僕はいつも舞子先輩がそうしてくれたように、その震える手をそっと握った。舞子先輩は繕っていた感情をため息といっしょ吐き出すと、僕へ静かに言う。
「私より石打拓真といっしょになって欲しかった。そうすれば自分の輝帆への想いが報われると思ってた」
「少し……気付いてました」
「なら……」
「どうにもならないんです。この体じゃ……。僕達は、もう女の子なんですから」
舞子先輩は、電車に乗り遅れたような、手遅れでもう仕方がないことを聞いたときのように笑った。
「あの日、奏太の雪が降りそうな瞳を見てからだよ。こんなふうになれるなんて思ってもみなかった。ずっとひかれていた。だって奏太は……」
僕の伸びた髪を、舞子先輩が右手で梳くように触れる。
「とても綺麗だから」
誰にも言われなかった言葉を聞いた。少しくすぐったくて、誰にも感じたことがない気持ちになった。
僕は知ってしまった。湧き上がる感情が僕の瞳を揺らす。止まらなくなる。僕は震えた声で、舞子先輩に伝わって欲しいと願いながら言う。
「舞子先輩のほうが綺麗です。最初にあった日、僕は本当にそう思ったんです。だから……」
舞子先輩が僕の体を抱き締めた。寒さをしのぐように、温め合うように、抱き締めた。少しずつ震えが落ち着いていく。吹雪を耐え抜いたあと、青空が広がっていくような気持ちを感じる。拓真を抱き締めたときとは違う、この気持ちに、僕はもうとまどわなかった。
舞子先輩がそっと体を離す。舞子先輩が僕を見つめる。僕は舞子先輩を見つめ返す。
舞子先輩はやさしく微笑むと、少し照れたように言った。
「奏太。好きだよ」
その言葉は、つぼみに隠された花が開いて、明るい色を雪解けの世界へ見せてくれるように感じた。だから、僕もそう思って欲しいと願いながら、この言葉を伝える。
「僕もです。好きです。舞子先輩」
僕は拓真とは違う手を握っている。雪の降る日も、凍えそうな日も、その手は僕の手を握ってくれる。女の体へ変わり、こうなってしまったのに、舞子先輩は僕のそばにいて、この手を握ってくれる。
それでいい。
もう、それでいい。
僕は体も変わったけれど、心も変わってしまったから。
雪が解けて春へ変わるように、そうなってしまってから。
「奏太、いっしょに行こう。ふたりで春の国へ」
暖かい陽のように微笑む舞子先輩に、僕は愛おしさと名付けたその感情をあふれさせながら「はい」とだけ告げた。
新幹線は、東京へ続く長いトンネルの中を走り出す。
トンネルを抜けたら、そこはきっと春の国だ。
僕達はどんな花になるんだろう。
ふたりでどんな花を咲かすのだろう。
いまはただ、その想いだけを胸にしていた。
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