エナジードリンク絵鳥さん

壬生諦

エナジードリンク絵鳥さん

 気になる女子は左斜め前、窓際の後ろから二列目の席に座っている。

 既にやられてしまっているのか、とりさんの、外跳ねの短い黒髪は艶めいて見え、眠たそうに垂れた上目蓋には吸い込まれるような魅力を感じてならない。

 絵鳥さんは福祉部という部に所属している。満遍なく、あらゆる場面で献身的に活動するボランティア同好会であり便利屋だ。地域が募るボランティアに参加することも多く、成績優秀も相まって模範生と評されている。

 ある日曜の朝、バイトが通しの日だった。

 駅ナカのバイト先に向かう途中、小学生の少年少女と並び、「赤い羽根共同募金にご協力お願いします!」と声を張る、絵鳥さんの貴重な姿を目撃したことがある。

 絵鳥さんは……補正が掛かっているだけかもしれないが……並みの女子とは違うように感じる。

 女子グループで語らっている様子を盗み見ると、彼女の発言後には決まって笑いが巻き起こるか、皆の心を支配するように彼女の顔に視線が集まる。

 模範生で空気を読むのも上手い、清楚な絵鳥さんが理不尽な当て付けなどに遭わず、優しさに溢れた世界で豊かに暮らしている様子が覗けると安心する。

 ……このようにきもい目線を持つと、エスカレート、もし絵鳥さんに彼氏ができたら……と焦燥に駆られる。

 気休めとして、朝、話し掛けやすいタイミングに限り、「おはよう、絵鳥さん」と挨拶するようにした。

 絵鳥さんは氷のように無の表情。しかして冷然でも鬱陶しいでもない泰然さで、「なかくん、おはよう」と返してくれる。


 授業中は、板書と解説を繰り返す教師の眼差しと、ノートと、絵鳥さんの三点のみを注視する。

 厳密には四点。絵鳥さんの机に置かれたエナジードリンクは、彼女の横顔に癒されたい僕を阻むデコイだ。

 六月下旬から、授業中も机に飲み物を置いていい方針となった。冷房だけで乗り越えられる夏ではなくなったのだ。

 死活問題であるからには遊べない。水筒なら酒を入れてもバレない、と思っても、実践するまでは行かない。

 ペットボトルの麦茶を置き、机の右上に水溜まりを作る。

 大半がペットボトルのお茶やスポーツドリンクだ。水筒は女子が多い。ジュースやコーヒーなどは注意を受ける場合がある。


 エナジードリンクを置き、それで何も言われない生徒など、きっと校内全てでも絵鳥さんだけだろう。


 絵鳥さんだから許されている。

 最初のうちはタブを抜く音が響くと教室中がざわついたけど、今や誰も意外に思わなくなり、皆がペットボトルや水筒に口を付ける中、一人だけ細長の黒い缶に口を付ける絵鳥さんも風景に馴染んだ。

 エネルギーでサイバーなパッケージ(よく分からない)というのに、それを口に持っていく所作には、まるで茶道のような静謐さがある。

 刹那的で、水分補給だけを目的とし、何も感じていないようにそれを机に戻す仕草も、最後まで見届けないと気が済まなかった。

 僕はそれについてよく知らないし、自分の胃に流した試しもない。

 派手なデザインやネットの誇張に操られ、彼女のような大人の女子が愛飲していることにギャップを感じるばかりで、それ自体についてはあまり考えてこなかった。

 ノンカフェインのティーンエージャーが動き出すなら、そこからが良い……。

 不意に、または運命のように、刺激が脳を伝った。

(エナジードリンクって……何だ?)

 絵鳥さんは空き缶の口をティッシュで拭き、フックに掛かるカバンに仕舞うと、新たなエナジードリンクを取り出し、タブを抜いた。


 グッ……カッ!


 教室中に響く開栓のはずも、僕にしか聞こえていないのか、皆は一切の反応を示さず、正面か手元に顔を向けたままだった。

 僕は、缶の開く痛烈な音を、美味しさを、幸福を……微塵も感じていないような絵鳥さんの横顔に眩む想いだった。

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