第2話 少子高齢化問題

 何といっても、今は、

「少子高齢化時代」

 いくら、

「定年が伸びた」

 ということで、

「人生百年計画」

 などといって、年金制度がほぼ崩壊している状態では、

「死ぬまで働け」

 ということで、

「じゃあ、今まで収めた年金、どうしてくれるんだ」

 と言いたいくらいであるが、なぜか国民は落ち着いている。

 元々、

「ずさんな管理を長年続けてきた」

 ということで、

「消えた年金問題」

 というものを引き起こした政府に、

「堪忍袋の緒が切れた」

 ということで、政権交代が起こったが、変わった政権も、

「最初こそ威勢がよかったが、結局何もできず、末期には、自然災害に対して引き起こされた人災に対しての対応が、クズだったということで、また次の選挙で下野してからは、どんどん堕ちていき、それまでの、野党第一刀の地位も奪われ、すでに、支持率が一桁をうろうろするという体たらくになってしまった」

 ということである。

 だから、

「今の政治が悪いのは、与党が直接的には悪いのだが、それと同時に、野党がひどい状態ということで、野党の責任というのも、無視できない状態になった」

 だからこそ、

「どこに投票していいのか分からない」

 あるいは、

「どこに入れても同じだ」

 ということで、選挙に行かなくなる。

 そうなると、投票率は下がるということになり、結局、

「与党あ大勝」

 ということになるのだ。

 というのも、

「選挙において、支持率が下がれば、与党が強い」

 というのは当たり前のことである。

 というのは、

「与党は、圧倒的な支持基盤を持っていて、それが組織票ということになり、その人たちは絶対に投票にいくのだ」

 ということは、

「もし、その人たちが三万人いたとすれば、投票者が、五万人だった時と、十万人だった時でどれだけ違うというのか、

 もし、組織票以外が、

「五分五分」

 だったとすれば、

「十万人が投票すれば、与党は、六万五千票で、野党が三万五千票ということになる」

 そして、

「五万人だった場合は、与党は、四万人で、野党は一万人」

 ということになり、その獲得票の率は一目瞭然というものだ。

 だから、与党とすれば、

「投票率が下がる方が、選挙では勝てる」

 と思っていることであろう。

 しかも、今のように、野党の支持率が、

「どんぐりの背比べ」

 ということであれば、本当は、政府与党に肉薄するだけの、大きな野党票というものがなければいけないのに、野党で票が割れてしまうと、その結果、

「与党の圧勝」

 ということになる。

 これは、

「与党が圧倒的な強さを発揮した」

 というわけではなく、

「投票率が下がるほど、国民が政治に興味を持っていない」

 ということで、これは、

「誰がソーリになっても同じ」

 という、与党に対しての不満と、野党の情けなさからきているもので、

 そして、今度は野党が、、どんぐりの背比べになっているのに、それだけに、選挙では、

「一致団結」

 しなければいけないところを、同じ選挙区に、野党同士で対抗馬を立てたりなどすれば、それこそ、与党の大勝というのは誰が見ても分かるだろう。

 野党も、

「どんぐりの背比べなのだから、当然、他の党に議席を譲るなどということをしてしまうと、自分たちの党から、議席がまったくなくなってしまう」

 ということになるのも、必至ということになるであろう。

 それを考えると、

「昔のように、与党は、一党独裁ではあったが、野党にも強力な第一党があった」

 という時代があったのが、懐かしいというものであった。

 もっとも、今の与党というのも、

「連立政権」

 というものでしか生き残れないのだから、

「どうしようもない」

 ということになるだろう。

「本当に亡国が見えてきた」

 ということが、現実味を帯びてきたといってもいいだろう。

 そんな国家に追い打ちをかけるような一つの段階が、今回の、

「世界的なパンデミック」

 だったといってもいいだろう。

 この伝染病のせいで、経済はマヒし、さらには、政府のお粗末な政策から、

「政府が、どれほどのポンコツか?」

 ということを国民も思い知った。

 しかし、だからと言って、野党もひどい状態で、

「しょうがかいから与党に任せるしかないか」

 ということで、ソーリが変われば、その人に期待するのだが、その期待というのは、あっという間に崩れ去り、最低の支持率での底辺にいながら、それでも、他にする人がいないということで、低空のまま、落下しない状態で、国民だけが血を流しているというおかしな状態になっているのであった。

 それが、

「今の日本」

 ということだ。

 そんな政府が行った、

「緊急事態宣言」

 というのは、約1,2か月くらいであったが、それまでに見たこともないような世界を見せてくれることになった。

 それまでの日本は、

「どんどんサービス精神旺盛」

 ということで、便利な世の中に向かうのが当たり前だった。

 昭和の頃とはまったく違う。

 何といっても、お店というと、営業時間は、

「24時間365日」

 という店が増えてきた。

 特に、

「コンビニ」

 などは、それが当たり前なのだ。

「コンビニエンスストアー」

 つまりは、

「便利なお店」

 ということで、必需品であれば、店さえ見つかれば、絶対に開いているということである。

だから、都心部などでは、

「眠らない街」

 という状態になり、それだけ、仕事も多様化してきて、

「夜働く人」

 ということで、シフト制にもなることで、

「人が休んでいる時に働き、人が働いている時に休む」

 という、夜行性の人も増えてきたのだ。

 中には、

「24時間勤務」

 というものがあり、

「それを週3回くらい繰り返す」

 という仕事もある。

 看護婦などは昔からそういう意味で、

「ブラックだ」

 と言われてきたが、他の職業でもそういうところが増えてきた。

 昼間であっても、

「時間的には、普通の企業だが、入ってみると、ブラックそのもの」

 というところもあるだろう。

 看護婦の場合は、他の人よりも給料が高い(それでも割に合わないというのが定石)ということであるが、その仕事はまったくわりに合わないということが多く、それを従業員同士で助け合えばいいのだろうが、先輩社員は、

「自分のことしか考えていない」

 という、そういう業種もあったりする。

 だから、

「長続きしない」

 というわけで、本来なら、

「一番求人もあり、必要な人材」

 ということなので、今の時代の、

「人手不足問題の最先端を行っている」

 といってもいいだろう。

 その職業というのは、

「介護職」

 というものである。

 今一番問題となっている、

「少子高齢化」

 の問題に絡んでくるということだ。

 そもそも、この問題は、

「子供を作っても、生活していけない」

 ということからきているのであり、国とすれば、

「子供ができても、生活できる社会を」

 などと勝手なことを言っているが、最初に、

「少子高齢化」

 ということが問題になったのは、

「出産率が減ってきたから」

 ということで、それも当たり前のことだった。

「バブルが崩壊した」

 という時期であったが、この時期というのは、旦那の給料がどんどん下がってきたことで、

「共稼ぎ」

 というのが当たり前になってきたのだ。

 専業主婦だからこそ、

「子育てができる」

 ということで、働きに出るためには、母親が近くにいれば、

「預けて働きにいく」

 ということもできるが、なかなか、それも難しい。

 となると、

「働いたお金の中から、何とか絞り出して、保育園に預けるしかない」

 ということになるのだろうが、今度はその保育園もなかなか入ることができずに、

「待機児童」

 ということが社会問題となってきた。

 認可されていない保育所に預けるなどしていても、その保育所が問題を起こし、世間で公表されると、

「子供など作れる環境ではない」

 ということで、

「子供のない家庭」

 というのが増えてくる。

 さらに、もっといえば、

「結婚しない人」

 というのが増えてきた。

「子供も作らないのに、何で結婚しないといけないのか?」

 という考え方である。

「どうせ結婚しても共稼ぎ、家事もしなければいけないわけなので、一人暮らしの方が気が楽だ」

 と、男女ともに思うかも知れない。

 しかも、

「一生、一人の相手と寄り添っていくなんて、本当にできるのだろうか?」

 ということもあるだろう。

「人間というのは、絶対に飽きがくるというもので、他の女を好きになることだってあるかも知れない」

 と考える、

 しかし、今までであれば、

「子供がいるから」

 ということで、思いとどまって、そのまま結婚生活を続けていくということになるのであった。

 そんな時代は、次第に薄れていく。

「子供も作らないのに、何を結婚生活などあるというのか?」

 ということである。

 確かに、

「少子高齢化というのは避けて通れない問題になっている」

 ということであるが、

「子供を作るということは、何をどういう方向で考えても、自分たちにとって、何がいいことなのか?」

 と考えるのだ。

 今の時代でも、ある一定の年齢から若いという人たちは、

「年金というものがもらえるのだろうか?」

 ということになるのだ。

 何といっても、サラリーマンであれば、給与から自動的に天引きされていて、毎月国に、預けているのだ。

 そう、

「年金というのは、税金というわけではなく、老後の資金として、国に預けているわけで、必ず返ってくるはずのお金なのだ」

 それが、昔から培われてきた、

「年金制度」

 というわけである。

 国が無駄遣いをせず、税金でうまくやっていける政府を作っていれば、

「税金のみで、老後の福祉も万全」

 という社会を作れたかも知れない。

 もちろん、

「絵に描いた餅」

 ということであろうが、それは決して無理なことではないだろう。

 かつての政府が、どんどん無駄遣いをしたことで、

「何世代にもわたっても返せないだけの借金を、この国はしている」

 ということなのだから、

「そのしわ寄せは、結局国民が追うことになる」

 ということである。

 それを考えると、

「日本が、亡国になる」

 ということは、最初から分かっていたことであろう。

 そもそも、

「年金制度も、いずれ、崩壊する」

 という話もあったようで、それまでに何もしてこなかったことと、バブルの崩壊が、その道のりをまったく崩壊させたことが大きいかも知れない。

 共稼ぎということになると、

「保育所が必要になるということ」

 そして、

「保育所に誰もが気軽に預けられる安心安全な社会」

 というものができなければ、

「子供を作る夫婦がいなくなる」

 ということ、

 そしてさらには、

「結婚する理由がなくて、独身者が増えてくる」

 ということ、

「今までの時代は、その青写真の通りに進んでいる」

 ということは、

「これから先の日本というのは、少しでも悪い方を考えると、そっちに勝手に行ってしまう」

 ということになるであろう。

 結婚しないのも当たり前で、

「成田離婚」

 というような言葉が流行り、離婚率が急激に高まった。

 その理由が、

「不倫をした」

 というれっきとした理由というよりも、

「一緒にいる理由がなくなった」

 などという曖昧なところが多かったりする。

 それが離婚の原因だということになると、

「誰が結婚などするというものか」

 ということである。

「子供を作って、老後は子供に養ってもらうか?」

 などというと、

「そんな不謹慎な」

 などと言われていた。

 それだけ、

「老後に不安がなかった」

 ということからだ。

 昔の定年というと、

「55歳」

 だった。

 そして、年金もその年から出るので、定年退職した、それなりの会社に勤めていた人は、まわりから、

「これからは、悠々自適な第二の人生ですね」

 と言われていた。

 そして、

「退職すれば、どこか行かれますか?」

 と聞かれて、

「そうだな、女房と一緒に、世界一周でもするか」

 と笑って言っていたが、それもまんざら冗談でもない時代だった。

 それだけ、お金に困っている時代でもなく、本当にそれだけのことができた時代だったのだ、

 今そんなことを言えば、聞いた人は、

「何を寝ぼけたことを」

 ということで、言った人間の人間性を疑うレベルであろう。

 それだけ、世の中は変わってしまったということで、しかも、結婚しない人が増えてくると、世の中も、

「そういう時代にあったサービスを提供するところも多いだろう」

 少し前は、

「結婚相談所」

 が流行ったこともあったが、何しろ、入会金などが高いということで、

「お見合いパーティ」

 などというのも流行った。

 最近では、

「マッチングアプリ」

 などというものもそうなのだろうが、その中には、

「出会い系」

 ということで、

「本来の結婚相手を見つける」

 というよりも、

「気軽にアバンチュールを楽しむ」

 という形の、よからぬ目的の人も多かったりする。

 ただ、それよりも今の若者というと、もっと深刻なようで、

「草食系男子」

 というものがあるようで、

「性的目的がまったくない」

 という人で、

 女性と知り合っても、付き合ったとしても、

「セックスなどをしない」

 という人である。

 それらの人は、

「もちろん、結婚に興味もなく、二十歳を過ぎても、童貞や処女」

 という人も多いのだ。

 だから、男性だけでなく、女性も、性的興奮があるのかないのか、それとも、

「セックスよりも、他に楽しみがある」

 ということなのか、昔であれば、考えられないという漢字であった。

 当然、

「子供が少なくなった」

 というのは当たり前のことだ。

 ただ、政府も、黙っているわけではなく、

「少子化大臣」

 をおいて、いろいろ考えている。

 政府としては、

「補助金を出せば、子供を作るだろう」

 という、まるで、

「お花畑的発想」

 になるのだろうが、果たしてそうなのだろうか?

 そもそもの、

「保育園問題」

 について、マスゴミは何も言わなくなった。

 何かいうとすれば、

「子供が事故で死んだ」

 ということで調べてみると、

「無認可保育園だった」

 ということであったり、せっかく作ったマニュアルがあるのに、

「そのマニュアルを無視した」

 ということで起こった事故だったりして、

「何かないと騒がない」

 ということで、

「何かないと動かない」

 という警察と同じようなものではないか?

 ということである。

 そんな社会になってくると、

「やはり、亡国に向かうしかない」

 ということになる。

 その第一段階というべきか、

「世界的なパンデミック」

 がもたらした、

「緊急事態宣言」

 というもので、公園を使う人が増えてきた。

 会社の仕事は、

「家でのリモートワーク」

 そして、外出といえば、

「できるだけこまない時間に、一人で済ます速攻の買い物」

 というくらいになるだろう。

 そうなると、家から出ることのない旦那は、

「運動不足」

 ということになる。

 政府は、

「運動不足を補う意味での、散歩などの軽い運動は、許可している」

 ということで、

「皆なるべく、人と接触しないように」

 ということで、

「公園の散歩やジョギング」

 ということになるのであった。

 それを思えば、

「公園での散歩が増える」

 というのは当たり前ということで、しかも、この公園のように、

「一方通行」

 ということであれば、

「人と正対する」

 ということもなく、

「人との接触がない」

 ということで、一番ありがたいということになるだろう。

 それを思えば、

「公園を歩くというのは、一番いいのではないか?」

 ということになるのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る