開店1周年前日 14

 現実的な問題としては数字が関係してくるが、構想については自由だ。私は卒業生の動向に詳しい川合を思い出した。


「そうだ、さっき話が出た川合さんだけど、俺たちよりも先輩だろう。他にもいろいろな人を知っているようだから、ちょっと何か話を聞いてみようか。さっきは電話をもらった時のことしか話していないから、今2人で話した支店をオープンした人やその他の話も聞いてみようか」


 2人だけで話すより、他の人の経験を参考にすることでもっと良いアイデアが出てくるかもしれない。美津子もその話に賛成した。


「…もしもし、川合さんですか? 先日はわざわざお電話をいただきありがとうございます。今、家内と1周年のこととこれからのことを話していたんですが、川合さんにこれまで卒業した先輩の話などをお聞かせいただければ、ということでお電話させていただきました。お時間は大丈夫ですか?」


 私のほうからの一方的な電話なので、話しても大丈夫かどうかを確認した。川合も同じようにお店をやっているので、この辺りは気を遣う。


「ああ、大丈夫ですよ。さっき施術が一段落し、次の予約まで30分ほどあるので、それくらいでよろしければ・・・」


「もちろん結構です。すみませんね、休憩されているところにお電話かけたようで・・・」


 恐縮しつつも、休みの日に電話したわけではないので、話ができても休憩時間くらいしかない。その貴重な時間を私との話に付き合ってもらい、心の中では感謝していた。


「で、具体的にお聞きになりたいというのは、どんなことですか?」


 川合はお店の奥で椅子に座りながらスポーツドリンクを飲んでいた。汗っかきの川合は施術で汗をかくことが多く、施術の合間にはきちんと水分補給を行なっている。


 もっとも、その汗がクライアントに落ちないように気を使っているので、そういう点では問題ない。今回電話した際のちょっとした間にも、のどが鳴る音がしていた。


「川合さん、卒業生で支店を出した方ってご存じですか?」


 時間のこともあるので、用件を早々に切り出した。


「知っていますよ。私が入学した頃に卒業された方ですが、ときどき来校されて、学校が終わった後にいろいろ話を伺っていました。雨宮さんがお越しになっていた曜日ではなかったと思いますのでご存じないかもしれませんが、本田さんという方です。私も卒後、開業についてご相談したことがあって、最近の様子も伺っていますので、何かご参考になるかもしれませんね」


 川合の話しぶりから私は良い話が聞けるのではと、少し興奮した。


「川合さん、仕事のことなので家内にも聞かせたいのですが、スピーカーにしてもいいですか?」


 後で会話内容を説明し直すのも大変だし、言い忘れることもあるかもしれない。ならば最初から会話内容を美津子にも聞いてもらい、場合によっては話に参加してもらうことも良いのではと思った。


「大丈夫です。男同士の内緒の話、というわけでもないですしね。良かったら奥さんも会話に参加されても良いのではないですか?」


 私が思っていたことを川合から先に言われびっくりしたが、有難い申し出だった。


「川合さん、ありがとうございます。いろいろお聞かせください」


 早速美津子が話に入り、お礼を言った。


「じゃあ、本田さんのことですが、実はこの方は最初からビジネスとして考えていらして、支店を開くことは最初から想定していたそうです。でも、例の新型コロナの問題があったでしょう。だから実際にはその計画は少し遅れたようです。でも、最初の店をオープンして1年も経たない内に2号店をオープンされました」


「それはすごいですね。ちょっと詳しく聞かせていただけますか?」


 川合が語る本田の話に美津子も興味津々のようで、それは表情を見ていても分かった。


「結果的に早い段階で2号店のオープンになりましたが、実際にやろうとして一番悩んだのはスタッフの技術レベルだったそうです。本田さんがいろいろリサーチされたところ、例の問題でも頑張っていたのはしっかりした技術を持ち、クライアントの方から信頼を得たところ、ということでした。雨宮さんもご承知だと思いますが、あの頃に閉めた店というのは誰がやっても同じ施術しかせず、そもそも簡単な研修でやっていたところだったでしょう。だから一見さんが多く、リピーターや紹介者が少なかったじゃないですか。だから私もこの道でやっていこうとした時、技術にこだわりを持つ学校を選んだつもりですし、社会信用などもチェックしたつもりです。本田さんもそうだったそうで、だからお店の施術も学校で教わったことをきちんと守り、クライアントの方に合わせた施術をしている、というのが私ですし、本田さんもそうだったようです。そういう前提があるから、スタッフ募集については学校に相談されたそうです」


 私はスタッフ募集については求人誌などでと考えていたが、これは以前の飲食店の感覚だったことを改めて気付かされた。今は技術が最も大きな商品であり、その意識は日ごろの施術で実感していたはずなのに、肝心なところが抜けていたのだ。その思いは美津子も同じだったようで、川合の話を聞いて互いに顔を合わせていた。


「川合さん、本田さんは具体的には学校にどういうことを相談されたのですか?」


 この話にとても興味を持ったのか、美津子のほうが質問した。


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