3カ月間、麻婆豆腐のレトルトパックを食べ続けることについて

カミオ コージ

(短編No.3)3カ月間、麻婆豆腐のレトルトパックを食べ続けることについて


2018年4月から6月にかけて、僕の夕食はほとんど麻婆豆腐のレトルトパックだった。


3月の桜が芽吹く頃、彼女は7年過ごしたこの部屋を去った。「もう無理だと思う」と彼女は静かに言った。それで終わりだった。僕は何も言わず、ただ頷いた。それでよかったのだと思う。無理に言葉を探しても意味がないことは、長く一緒にいた僕たちが一番知っていた。


彼女がいなくなったあと、部屋は驚くほど広く感じた。いや、広くなったのは部屋ではなく、空間を占めていた何か――おそらく彼女の存在がなくなったせいだったのだろう。静かで、涼しすぎる夜の部屋にただ座っていると、自分がそこに存在しているのかどうかさえ曖昧に思えた。


キッチンの隅に、彼女が買いだめしていた特売品の麻婆豆腐のレトルトパック三つを見つけたのはその翌日だった。


僕はしばらくそのパックを眺めたあと、袋を裂き、炊きたてのご飯にかけ、電子レンジで温めた。その辛さと独特の香りが食欲を刺激する。


もともと辛いものはそれほど得意ではない。唐辛子の熱が喉を熱くし、額に汗が滲んだ。でも、それが悪くなかった。辛さの刺激が、胸の奥に残る鈍い痛みを麻痺させてくれるような気がしたからだ。


次の二日間も、そのレトルトパックを食べた。翌日、僕はスーパーで新しい麻婆豆腐を買い足していた。いろんなメーカーから麻婆豆腐のレトルトパックが発売されていた。ものすごく辛いのもあれば、甘みが先に立つようなものもあった。白米だけは炊いてはいたが、豆腐を買って料理する気にはなれなかった。理由はよくわからないが、当時の僕は些細なことでも何かを拒む行為が必要だったのだ。


朝はインスタントコーヒーを2杯飲み、昼を摂ることはほとんどなかった。そして、夜が来ると麻婆豆腐のレトルトパックを温めた。その中には、小さな豆腐が申し訳なさそうに入っていた。新鮮なもののような張りはなく、丸みを帯びて輪郭がぼやけ、柔らかすぎるほど柔らかかった。ネギもそうだ。切り立てのシャキシャキしたネギとは違い、熱でぐったりとしなだれている。その切ない感じが良かった。でもそれが、全体に溶け込んで一体化している感じがした。それは、麻婆豆腐が自己主張の少ない食べ物であることを表しているように思えた。


彼女が麻婆豆腐のレトルトパックを残していなくなったのには、「私を覚えていて」というメッセージがあったのではないか、次第に僕はそう思うようになっていった。

もちろん、彼女の本当の意図はわからない。それでも、レトルトパックの赤いパッケージを目にするたびに、僕には彼女の顔が浮かぶ。まるでその小さなパックが、彼女そのもののように感じられるのだ。

麻婆豆腐のレトルトパックを食べ続けることで、僕は彼女とのつながりをまだどこかで保っているのかもしれなかった。


6月に入り、季節は初夏へと移り変わった。外では梅雨の湿った空気が漂い、窓の外からは時折ポツポツと雨が落ちる音が聞こえた。湿気を含んだ夜の空気はじっとりと肌にまとわりつき、少し動いただけで汗がにじむようだった。それでも僕の生活には何の変化もなかった。変化が欲しいのか、このままでいいのかも僕はわからなかった。

おそらくー本当にそう思うー当時の僕は、世界でもっとも麻婆豆腐のレトルトパックを食べていた人間のひとりだった。他に何も考えられなかったのだ。


麻婆豆腐のレトルトパックは彼女がいなくなったことで空っぽになった心を埋めてくれていた。食べているときだけは、何も考えずにいられた。失恋についても、未来についても、何も考える必要がなくなった。頭が唐辛子の刺激でいっぱいになっている間だけ、すべてを後回しにできたのだ。


ただ、毎日食べ続けているうちに、麻婆豆腐に対する感覚が少しずつ変わってきたことにも気づいていた。何かが過剰で、何かが足りない。けれど、それを口にするのが怖かった。麻婆豆腐に頼らなくては生きられない自分がいることを、認めるような気がしたからだ。


夜、麻婆豆腐を終えてぼんやりしていると、彼女の姿が頭に浮かぶことがあった。


キスの前の一瞬のためらい、髪をかき上げる何気ない仕草。それらは断片的に浮かんでは消えた。雨が降る日には、彼女が濡れた傘を玄関でゆっくりとたたむ姿を思い出す。


どれもが断片的な記憶だった。けれど、それらの細かな仕草が、今でも頭の中に浮かび上がる。それはまるで、彼女自身がこの部屋のどこかにまだいるような錯覚を生む。窓を開けると微かに漂う石鹸の匂いや、隅に置かれたクッションの形の歪みさえ、彼女の存在を感じさせるものだった。


でも、もう彼女はここにはいない。それでも、麻婆豆腐を食べるたびに、そういった記憶の断片が湧き上がり、僕は彼女を思い出してしまうのだった。


麻婆豆腐のレトルトパックを食べる最後の夜は突然訪れた。


その夜もいつものように炊飯器でご飯を炊き、麻婆豆腐を用意した。袋を裂き、皿に移し、電子レンジで温める。それだけのはずだった。それだけの「いつもの手順」をこなして、出来上がった熱々の皿を丼に移し、ご飯の上にかけた。


一口、また一口。


辛い。しょっぱい。やけに濃い。喉を刺す唐辛子の熱さが、額に汗を噴き出させる。いつもより刺激が強い。何かがおかしいと感じながらも、箸を止めることはなかった。炊飯器に残っていたご飯を足し、もう1合分を盛り足した。そして気がつけば、2合をすべて食べ終えていた。


食べ終わった皿を見下ろし、僕は初めてそれが麻婆豆腐ではなかったことに気づいた。


麻婆豆腐の「素」だったのだ。

肉も、豆腐もない。ただ赤い油と、濃厚すぎる辛さと塩分の塊。それが僕が食べたものの正体だった。


スプーンを置いて皿を見つめた。その残骸の中には、何か形のあるものは何も残っていなかった。「麻婆豆腐の正体は、これだったのか」

ドロドロとした赤い油が底に溜まり、その上を唐辛子の細かな粒が漂っている。その光景を眺めているうちに、僕は妙に冷静な気持ちになった。


ただの素を食べていた。それがどうしてこんなにも滑稽で、同時に重苦しいのだろう。ここに至るまでの3ヶ月間、僕は一体何をしていたのか。


赤い油の中に浮かぶ唐辛子の粒をぼんやりと見つめながら、僕は自分がずっと目を逸らしていたことに気づいた。麻婆豆腐という形を借りたものが、彼女の代わりになるはずもないこと。辛さと熱さに誤魔化されるふりをして、その裏で失ったものと向き合うことを避けてきた自分。それらが、唐辛子の粒に浮かび上がるかのように、はっきりと見えてきた。


それが麻婆豆腐のレトルトパックを食べる最後の夜となった。


翌日の昼、僕は冷蔵庫を開けた。中には何もないと思っていたが、昨日食べ終えたご飯が少しだけ残っているのを見つけた。麻婆豆腐を食べなくなった空白を埋めるように、何かを作らなければならない。そう思った僕は、昼間に久しぶりにスーパーへ足を運んだ。


スーパーは午後の日差しに照らされ、静かに賑わっていた。僕は店内を歩き回りながら、冷蔵庫を満たすために必要最低限のものを探した。卵、ネギ、ハム――そんな基本的な食材を手に取る。どれもかつて彼女が「簡単に料理ができるから」と言って、冷蔵庫に常備していたものだった。


野菜売り場を抜けて、食品棚の方に向かうと、自然と目が麻婆豆腐のレトルトパックのコーナーに吸い寄せられた。赤いパッケージが棚にずらりと並んでいる。あの3ヶ月間、毎日のように僕の夕食を支えてくれた存在。けれど、その前に足を止めた僕は、もうそこに何も感じない自分に気づいた。


唐辛子のイラストが描かれたパッケージに手を伸ばすことはなかった。けれど、じっと眺めているうちに、心の中にふと彼女の顔が浮かんだ。最後に彼女がこの部屋にいた日のこと。冷蔵庫に詰められていた特売品の麻婆豆腐のパック。それを買い置きしていた彼女の意図は、結局最後までわからなかった。僕のためだったのか、ただ安かったからだったのか。でも、もうそれを考える必要はないのだと思えた。


少しだけ、胸の奥に温かな感覚が広がった。それは未練ではなく、静かに整理された記憶だった。


フライパンを火にかけ、卵を割り、冷えたご飯を加える。菜箸でご飯をほぐしながら、刻んだネギとハムを加えた。醤油を垂らすと、香ばしい匂いがキッチンに広がる。完成したチャーハンを皿に盛りつけ、テーブルに置いた。箸を取り、一口食べる。卵の柔らかい食感とネギの香ばしさ、ご飯の控えめな塩味が広がった。


味はシンプルで、不完全だった。けれど、それが不思議と心地よかった。唐辛子の刺激や辛さに隠れていた味覚が、ようやく戻ってきたような気がした。


食事を終えたあと、皿を洗いながら、彼女の記憶がふと頭をよぎった。キッチンで料理をしている彼女の背中、不格好なチャーハンを笑いながら食べる彼女の顔。これまではそういった記憶が心を刺すように感じられていた。けれど、今は違った。それはただの過去の風景として、穏やかにそこにあった。


僕は窓を開け、夜の空気を吸い込んだ。湿った夜風が頬に触れ、梅雨の雲間から微かに月がのぞいていた。その光をぼんやりと眺めながら、僕は静かに深呼吸をした。


今でもあの3ヶ月、麻婆豆腐のレトルトパックを食べ続けていたことを思い出す。それは、苦しさではなく、何かを静かに懐かしむ感覚に近い。


「麻婆豆腐は、19世紀の中国・成都で一人の女性が生み出した料理である。彼女の名前は”麻婆”。鍋で豆腐と挽肉を炒め、唐辛子や花椒で味付けをしたその料理は、働く人々に力を与えるものとして広まった。」


そして今、おびただしい数の麻婆豆腐のレトルトパックが、長い時間を超えて僕に届き、苦しみの中で立ち止まっていた場所に、そっと寄り添ってくれていたのだ。





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