第19話 今夜はそのつもりで

「花蓮様っ!勝手な行動は謹んで頂かなければなりませぬ。鷹宮さまが一緒についてきて下さったから良かったものの、ご自分が置かれている立場をしかと肝に命じて頂かなければ、この芳乃の命、いくつあっても足りませぬっ!」



 はいはい。

 分かりましたよ……。


 私はこっぴどく吉乃に怒られていた。


 小袖も吉乃と完全に同意見のようだ。小袖の顔も怖い。



 私は鷹宮と一緒に31位の小凛棟の能々の家の喜里きり姫まで訪問した後、鷹宮と別れて、前宮から後宮に車で戻ってきたところだった。



 後宮で鷹宮と一緒に夕食を食べる前に湯浴みをしなければならず、湯殿に行くすがら、私はずっと吉乃に怒られていた。



 鷹宮は別れ際に「今夜は寝かさぬから、そのつもりで」と口角を上げて囁くと、振り向かずに去って行った。


 

 私は崩れ落ちそうなほどの鷹宮の色気香る笑顔に心を射抜かれたようになり、しばし去っていく後ろ姿をじっと見送った。




 今日の最後の訪問先だった小凛棟は、一昨日までの我が家だった棟だ。今や済々の家の部屋があったところはがらんとしていて、少し寂しかった。



 31位の喜里きり姫は、鷹宮と私が訪れると飛び上がって喜んで祝福してくれた。脳々の家の者たちもにこにこして出迎えてくれたのだ。



「一昨日、選抜の儀の件で呼び出されたから、ずっと心配していたら、このような事になり、安堵いたしましたわ」



 一月ひとつき、姉妹のように仲良くしてくれていた喜里きり姫は、少女のような幼顔だが、年齢は2つ上だ。たわわな果実を胸に持つなんとも表現しがたい色香のある姫で、始終元気で気持ちの良い姫だった。



 鷹宮も美梨の君も、私たちの仲の良さを穏やかに見つめていた。喜里きり姫と私は抱き合って別れを惜しんだのだ。


 

 

 夕暮れが近づき、後宮の廊下から見える空は赤く染まり、赤い紅葉の葉と相まって実に美しい景色が広がっていた。



 お腹が空いたな……。

 長い1日だった……。




 今日の昼食は前宮の別棟に急遽用意された席で、鷹宮と美梨の君と共にいただいた。


 小袖も吉乃も別室にいて、鷹宮と美梨の君と私の3人だけで、幼馴染として屈託のない会話が広げられていた。



 そう、食事の間中、ずっと美梨の君は鷹宮に厳しく苦言を呈されていたのだ。



「美梨、爛々らんらん優琳ゆうりん姫にちょっかいを出すのはやめなさいっ!」


「いやぁ、だってさぁ、彼女賢いじゃない。見た目とは全然違うじゃない?興味あるの……」

「だったら!叔母上の言いつけに従って、璃音りおん姫としてお近づきになるのが筋だろう?なぜ、男装して別人のフリをして近づくっ!?」



 美梨の君は、しょぼんとしていた。


 

「妃候補は、宮の女性になるものとして選抜の儀を受けている。璃音姫もな?その一人である爛々の優琳ゆうりん姫にちょっかいでも出しているとみなされた暁には、処罰されるぞ?」



 鷹宮は本気だった。



「お前の女好きは今は控えよっ!」



 鷹宮の剣幕は相当なものだった。



「俺は花蓮を守ることで精一杯だっ!お前の面倒まで見れんっ!」



 凛々しい顔をさらに凛々しくして、語気を強めて迫る鷹宮の姿は昔の子供の頃の鷹とは大違いで、美梨の君と鷹の関係を超えて、一国の世継ぎとしての気概と貫禄を感じるものだった。



 うわっ。

 ドキドキする……。

 私、本気で恋に落ちたかもしれない。



 鷹宮に詰められて項垂れる美梨の君の様子を見ながら、男らしく立派に美男子に成長した鷹宮に私は心を奪われていた。


 

「わかった!今日はお断りの文を書いて、訪問できなくなったと優琳ゆうりん姫に伝える」

「それでいい!」



 一旦、黙って食事を進めた2人だったが、不意に美梨の君は思い出したように言った。



「で、結局、妃候補の家が積極的に加担しているかは分からないけど、怪しい人は皇帝、俺、芦杏ろあんとなるということでいいよね?」



 美梨の君の言葉に、鷹宮は黙ってうなずいた。






 選抜の儀の吏部尚書を担当する芦杏ろあんを私はよく知らない。当然、顔を見たことはあるが、人柄を知らない。そういう意味では皇帝の人柄もよくは知らない。



 2人には、入内した時に一度会ったきりで、その次に会ったのは昨日の妃に選ばれたと宣言された時だけだと思う。



 皇帝は凛々しい顔で、どことなく鷹宮に似ている。親子なのだから似ているのは当然なのだろう。だが、国始まって以来の歴代最高美男子と噂れれる鷹宮と違い、皇帝は美丈夫ではあるが、息を飲むほど美しいというわけではない。




 昨日も芦杏ろあんという人はその場にいた。私を気に入っていないのはなんとなく分かっていたが、昨日も特に話しかけられはしなかった。




 もぐもぐと口を動かして美味しい食事を食べている私は、ふと、ずっと忘れていた記憶を思い出したのだ。


 そういえば、昔、誘拐される少し前のことだ。



 あぁー。

 あのおじいさん元気かな……?

 今までずっと忘れていた。


 その後に起きた誘拐事件の衝撃で忘れちゃっていた……。



 今の今まですっかり忘れていたことを、不意に思い出したのだ。



 昔、よく行っていた大きな寺の境内の隅で、おじいさんを拾った。琴の稽古に飽きて、小袖に黙って屋敷を抜け出した時だ。



 おじいさんは綺麗な衣を着ていたが、血だらけで倒れていた。



 その時、私がやってきた時に誰かが走り去ったが、私が井戸の方に桶を下ろしておじいさんに水をくもうとしていた時、その誰かは戻ってきた。



 その人は、私が井戸の端に隠れているのに気付かずに、血だらけのおじいさんを井戸に放り込もうとした。だが、おじいさんは最後の力を振り絞って抵抗していた。



 おじいさんは井戸の上に今にも落ちそうな体勢で引っかかり、2人の攻防が続き、私はお爺さんを助けに行こうと隠れていたところから飛び出そうとした。



 その時だ。

 境内の庭の向こうで誰かの声がした。



 井戸に落ちかかって血だらけのおじいさんは今にも落ちる寸前なのを見て、その誰かは走り去っていった。



 芦杏ろあんという人は、なんとなくその走って去って行った人に似ている?



 似ているわ!

 初めて思い出した……。

 他人の空似だろうか?



 あのおじいさんは元気にやっているだろうか……。



 私は血だらけのおじいさんをなんとか井戸から引き離し、地上に救い出した。そして、おじいさんに肩をかして、境内の端にある、済々の家が寄贈した小さな屋敷におじいさんを連れ込んだ。



 布団に寝かして、街の医者を連れてきておじいさんを診させた。


 そのあとは、父上と母上に秘密で、昌俊と一緒に生活をさせた。小袖と一日に何度かその家に行き、しばらく一緒に面倒を見たのだ。

  


 一月ひとつきほど経って、おじいさんはなんとか歩けるようになった。


 そして済々の家までおじいさんを荷台に隠して昌俊と一緒に連れて行き、蔵の一つに匿ったのだ。


 

 私にとっては、血だらけのおじいさんを拾って、なんとか助けてあげたかっただけだ。おじいさんは、自分のことを「ときじい」と名乗り、何かと話が面白い人だった。



 あぁ、あれはちょうど皇帝が代替わりをした頃だった。先の皇帝がお隠れになり、現皇帝に代わった頃だ。


 

 そこに二月ふたつきほどいて、時じいはある日いなくなった。置き手紙を残して去った。



 私は16歳になっていた。飼っていた猫がいなくなった時のように心配で、心配で、しばらく眠れくなったのを覚えている。


 そして時じいを探して、ふらふらとあの境内を彷徨っていて、誘拐されたのだ。


「殺されるっ!」


 その瞬間、そう思ったのを覚えているが、あとはよく覚えていない。



 だが、その時もなぜか芦杏ろあんの背格好に似た人を見たような……?

 いや、他人の空似だろうけれど……?



 首を傾げる私を鷹宮と美梨の君がじっと見つめていた。



 私の入内は予期せぬ展開になったようだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る