第18話「曖昧な交渉」
朝の館内放送が終わり、食堂で簡単な朝食を済ませたあと、理久(りく)と桜来(りんか)、そして若いスタッフの三人はいつものようにラボの「観察ブース」へ行こうとした。しかし、その前にサングラスの男が姿を現れ、冷めた口調でこう言い放った。
「今日、上層部が来ます。面談の予定を繰り上げたので、あなた方もすぐ会議室に来てください」
唐突な呼び出しに、三人は思わず顔を見合わせる。昨晩のうちに「数日以内に実施する」と言われたが、こんなに早く呼び出されるとは予想外だった。いずれにせよ避けられない面談ではあるが、心の準備もままならない。
「……分かった。アルマのところへ行く前に面談しろってことか?」
理久が苛立ちをにじませながら確認すると、男は「そうです。アルマさんのリハビリは午前中ずっと続きますし、あなた方が面談中に彼女は専門スタッフがケアしますからご安心を」と慇懃(いんぎん)な笑みを浮かべる。どうやら、あちらも“彼女の自由意志”を無視してでも、先に話をまとめたいらしい。
凛花(りんか)は小さく唇を噛(か)み、「仕方ないわね……」と呟(つぶや)き、若いスタッフも黙って頷(うなず)く。いずれにせよ時間を稼ぐ方法はない。ここで拒否すればアルマの修理やリハビリがストップしかねない危うさを感じる。
こうして三人は案内されるままに廊下を通り、ラボの奥へ向かう。少なくとも、これまで足を踏み入れたことのない区画で、重厚なドアの先に「カンファレンスルーム」と掲示されたプレートが見えた。ドアが開くと、そこには長めのテーブルと椅子が並び、壁際には大型モニタが設置されている。まさに“交渉の場”という雰囲気だった。
「お入りください。上層部のお歴々が揃うまで、もうしばらくお待ちを」
サングラスの男に促され、三人は部屋の中央付近の椅子に座る。四方の壁に監視カメラらしきものが設置されているのが分かり、何やら落ち着かない。妙に高級感あるラグや間接照明が配置されているが、まるで“商談”の舞台に連行された気分だ。
「……ここまで強引に進められるとは思わなかった」
若いスタッフが小声で零(こぼ)す。凛花は腕を組んだまま、「まるで大企業の重役面談ね。アルマの扱いをどうするか、私たちにも決断を迫るんでしょう」と苦々しく囁(ささや)く。理久はそうだろうな……と目を伏せるしかない。もし拒否してアルマを連れて逃げようにも、ここは完全に企業の拠点。監視も厳しく、下手をすれば暴力的な手段を取られかねない。
しばらく待っていると、扉がもう一度開いた。入ってきたのは5、6人の男女。スーツ姿に身を包んだ者もいれば、地味な服装の中年男性もいる。全員が難しそうな表情をしており、一人ずつがテーブルの向かい側に腰掛ける。その中央に座った初老の男性が、どうやら“上層部”のリーダーなのかもしれない。
「はじめまして。私は当社の常務取締役を務める柘植(つげ)と申します。お忙しいところ、お時間をいただき感謝します」
そう言って軽く頭を下げるが、あまりに事務的で感情がこもっていない印象だ。理久たちは名前を名乗るべきか迷うが、相手もそれほど興味がなさそうなので軽く「理久です……」「凛花です……」としか返せない。
「当社は“○○テック”という名でAI研究や軍事関連の委託開発を行っています。今回は皆さんからの依頼を受け、『アルマさん』を修理・リハビリまで行っているわけですが……その先の扱いについて、少々話し合いたいのです」
柘植が淡々と切り出す。周囲のメンバーも無表情を崩さず、書類やタブレットをテーブルに置く。理久は心臓が重く脈打つのを感じ、「……話し合い、と言っても俺たちには選択肢などないんだろう?」と低く問いかけると、柘植は苦笑まじりに首を横に振った。
「そんなことはありませんよ。私たちは『提案』をするだけです。まず、アルマさんを当社が‘買い取り’、完全に当社の所有物とするパターン。二つ目は、皆さんがアルマさんを“所有”できるように当社が法的整備をサポートするパターン。三つ目は、今すぐ退所し自由にされるパターン――大まかには、この三つでしょうか」
聞くだけで理不尽さがこみ上げる。アルマを“買い取る”なんて論外だし、今すぐ退所すれば危険だと分かり切っている。となれば二つ目、当社のサポートを受けて“所有”手続きするという選択肢が現実的に思えるが、そもそもアルマを“物”として登録するのをアルマ自身がどう感じるかを思うと苦しい。
さらに、凛花は遺伝子コーディネートされた人間であるため、法律上アコアを所持できない問題もある。
柘植はそのあたりを察しているのか、「法的整備」という言葉をやたら強調して続ける。「遺伝子コーディネートでも形だけの‘親族’を通常枠の人間に設定すれば、所有権を委託する形が可能です。必要なら、理久さんが名義を取り、凛花さんが‘副管理者’のような形でもいいでしょう」と。
「ふざけるな……アルマが欲しがってるのは、そんな所有形態じゃない。人と同じように扱われる方法はないのか!」
理久が声を荒げるが、柘植は淡々と首を振るだけ。周囲のメンバーも冷ややかだ。
「現行法ではアコアに人権を与える制度は存在しません。それを望むなら、皆さんが国を動かすしかないでしょう。ですが時間がどれほどかかるか……。現実的には、所有契約として‘道具’登録するしかないのですよ」
理不尽すぎる現実。一方、若いスタッフが唇を震わせながら「じゃあ、今すぐ退所したら……?」と首をかしげると、柘植の隣に座ったスーツの女性が笑みを浮かべる。「それは自由です。ただし、アルマさんは軍事レベルのAIの可能性がある。施設を脱走したかどで、政府や警察に追われるリスクが高いですよ。それを皆さんでカバーできますか?」
言い返せない。下手に外へ出れば槙村(まきむら)たちも狙ってくる。自分たちは企業や国家のような大きな後ろ盾を持たない。アルマを守り切ることは不可能に近い。
柘植が小さく咳払いし、結論を急ぐように言葉をつなげる。「したがって、私は二つ目の提案を強く推奨します。私たちが法手続きをサポートし、アルマさんをあなた方の名義で所有登録する。一方で当社は彼女のメンテナンス権と研究協力を条件に契約させていただく――という形です」
研究協力。やはりそこが狙いか、と理久は歯ぎしりする。アルマに対し“定期的にコア解析”や“ハッキング機能のテスト”などを求めるだろう。そうなれば彼女は半ば企業の管理下に置かれたまま。事実上、企業に利用される道を避けられない。
「ど、どうしてもそうなるのか。アルマが望んでるのは、人間みたいに自由に暮らすことなんだぞ……!」
怒りをこめた理久の声に、柘植は淡々と返す。「もちろん、ある程度の自由は与えられますよ。私たちも人権団体の批判を避けたいので、彼女が必要以上に苦しむような管理はしません。ただし、ハッキング機能や軍事面での管理監督だけは厳しく行う必要がある。これは法律や安全保障の問題ですから、仕方ありません」
仕方ない――それは最も恐ろしい言葉だ。凛花は肩を震わせ、真っ赤な顔で拳を握る。「アルマは物じゃない……! “仕方ない”で済ませていいわけないでしょう!」
若いスタッフも「お願いです、彼女を好きに扱うなんてやめて……」と訴えるが、柘植たちは同情するふうでもなく、ただ書類を並べるだけだ。
「誤解なきように言いますが、私たちもアルマさんを傷つけたいわけではありません。彼女にとって最も安全な道は、あなた方が正規所有者として管理し、我々と契約すること。そうすれば少なくとも当社が全面的に保護を行います。外の危険に晒(さら)されることもない――これが現実的な解ですね」
(“現実的な解”……ふざけるな……!)
理久は胸中で絶叫しながらも、状況の打開策が浮かばない。彼らは淡々と法や規制を持ち出し、半ば脅迫めいた理屈を並べてくる。アルマを本当に“自由”にさせる選択肢はどこにもない。
「……もしそれでも契約を拒むなら?」
凛花が震える声で問いかける。柘植は「先ほども言いましたが、お引き取りいただくしかないでしょう。治療費や修理費の清算も含めて、今日明日にでも退所できますよ」と平然と答える。要するに“金を払ってアルマを連れ出す”か、“契約して企業管理下に置く”か。二択か三択しか提示されていないということだ。
「……アルマがまだあんなに弱っている状態で、外へ出てどうするというんだ……!」
理久が盛大に息を吐き、テーブルを拳で軽く叩く。柘植は無表情を崩さない。
「ええ、だからこそ私たちとしては契約を勧めるわけです。あなた方に所有権を認めさせ、その上で当社の研究協力を受け入れていただく――悪い話ではないですよ。アルマさんだって、危険や不安から解放されますから」
そこまで言われ、理久や凛花は視線を交わす。若いスタッフも硬直している。三人ともグッと言葉が詰まり、無言の時間が流れた。企業の思惑に乗る形になるが、アルマを保護するには手段が限られすぎている……。
(くそ……こんな形で“所有者”になるなんて、絶対に彼女が望んでいないのに……)
煮え切らないまま、柘植が視線をテーブル上の書類に移し、「では、考える時間を差し上げます。今すぐ結論を出さなくても結構。アルマさんのリハビリにはまだ数日かかるでしょうし、その間にじっくり検討を」と締めくくろうとする。
「……アルマにも、ちゃんと意見を聞かせてほしい。彼女が拒否するなら、それを尊重してくれ」
理久が最後の抵抗のように叫ぶが、柘植は「もちろん、ご本人にも説明しますよ。ですが、法的には彼女に決定権はありませんからね」と冷淡に言う。あくまでも“物”として扱う姿勢を崩さないのだ。
これ以上いても不毛と判断したのか、サングラスの男が「このへんで失礼します」と言って立ち上がる。周囲の上層部メンバーも立ち上がり、一人ずつ部屋を出て行く。三人は成す術(すべ)もなく席に取り残され、空気が重く沈んだ。
#### * * *
会議室を出たあと、理久たちは沈黙のまま宿泊区画へ戻る。あまりにも一方的な“交渉”に苛立ちを覚え、言葉を交わす余裕さえない。途中、若いスタッフが小さく「どうしよう……」と声を上げるが、凛花も「分からないわ……」とだけ答える。理久の胸は怒りと無力感で乱れっぱなしだ。
(このまま、企業の言いなりになるしかないのか……? アルマはモノじゃない、だけど法律と社会がそうじゃないと言っている。この企業に守られないなら、外で狙われる。どちらにしろ“彼女自身の意思”は……)
重たい足取りで宿泊部屋のドアを開け、三人は疲れきってソファに沈んだ。若いスタッフが膝を抱え、「アルマのとこに行きたい……話したい。あの子がどう思ってるか確かめたい」としょんぼりした声を漏らす。凛花も深く頷(うなず)くが、企業に断られるだろうと想像すると気が滅入る。
「……連絡くらい、こっちから入れられたらいいのに」
凛花が苛立ちを込めて言う。アルマがいまどこにいて、何を考え、どうしたいのか、本当に“直接”話し合うことが許されるのかも不明だ。このラボの人間は「リハビリ中だから」とか「検査中だから」と言って引き離す可能性が高い。
頭を抱え込む理久。法の抜け道を探すにも時間が足りず、政府や会社へのコネもない。もちろん勝峰(かつみね)や槙村(まきむら)の行方を探る手段もない。完全に企業の“灰色地帯”にはまっている。
――そのとき、部屋の電話が鳴った。館内線だろう。理久が受話器を取ると、サングラスの男の声が聞こえる。
「アルマさんが少し体調を崩したようで、リハビリを中止して休んでいます。面会は今日は控えたほうがいいでしょう。明日には落ち着くと思いますが、念のためこちらから連絡するまで待機願います」
「な、なんだって……大丈夫なのか、アルマは!?」
理久が声を上げても男は「ええ、深刻ではないと思われますが、疲労と軽い熱が出ているそうで。気がかりなら後ほど報告しますので、こちらに任せてください。それでは」と一方的に通話を切る。
(くそ……アルマに何があった? 本当なのか?)
疑念が湧(わ)く。もしかすると企業が三人を遠ざけたいだけかもしれない。だが、確認するすべがない。廊下を出て無理やりリハビリルームへ行っても、きっと扉を閉ざされるか、警備員に止められるだろう。
「また、こんな形で引き離される……アルマが本当に体調崩したのなら、私たちが手伝ってあげたいのに」
若いスタッフが目を潤ませ、凛花も拳を強く握る。「こうなったら、夜中にでも隙を見て会いに行く……?」と呟くが、理久はあの裏倉庫で目を付けられた経験があるだけに、それは危険だと思いとどまる。「もし見つかれば、完全に追い出されるかもしれない」
結局どうにもならず、三人は部屋で夕方まで待機するしかなかった。企業からの連絡もなく、食事だけが運ばれてくる。まるで監禁状態に近いが、企業側は「宿泊設備」と言い張るに違いない。
時間だけが過ぎ、日はとっぷり暮れていく――と言っても外の様子は分からない。ラボの照明が夜間モードに切り替わると、館内放送で「現在午後10時です。深夜帯の移動はお控えください」とアナウンスが響き渡った。
若いスタッフが「もう寝ろっていうのか……?」とうんざり言うが、凛花はため息交じりに頷(うなず)く。「ここで騒いでも意味ないし、私たちがアルマを助けられるわけじゃない。明日には会えるかもしれないし……今日は休みましょう」
理久は激しい苛立ちで拳を握り締めたが、それをぶつける相手もなく、「……ああ、分かった」と渋々同意する。想像以上に企業の支配力が強い――下手に暴れてもアルマが危険に晒(さら)されるだけだ。
#### * * *
夜更け、静まり返った宿泊区画。理久は横になっても眠れず、苦い思いに囚(とら)われ続ける。アルマが体調を崩したという話も、本当なのかどうか疑問が消えない。今頃、彼女が孤独に苦しんでいるのではないか――そんな不安が胸を締め付ける。
(アルマ……ごめん、何もできなくて。お前の願いを叶えるには、俺たちがあまりにも弱すぎる……)
廊下の先で、ひそかな足音がしたかと思えば、それもすぐ消えた。おそらく夜勤の警備か技術者だろう。ここは企業の施設。いくらアルマを守りたいと叫んでも、法や力で押し潰(つぶ)されるのがオチだ。この“灰色のラボ”には、彼女への優しさと同時に“利用価値”への欲望が渦巻いている。
(本当に“届かぬ願い”なのか……? アルマが人として扱われる道は存在しないのか?)
暗闇の天井を見つめながら、理久の頭には、地下施設で過ごしたあの苦しい日々が蘇(よみがえ)る。崩れかけたビル、壊れかけたアコア……それでもアルマは最後まで生きようとし、彼らを守ろうとした。その姿が脳裏に焼き付いているからこそ、諦めたくない。
――一方、アルマはこの夜、どう過ごしているのだろう。もし本当に体調を崩しているなら、不安の中で眠れずにいるかもしれない。企業が何を企んでいるかも分からないまま、ただ修理してもらった体で安静にしているだけかもしれない。
(明日こそ、話せるといいが……)
そう祈るように思いながら、理久はようやく眠りに落ちていった。脳裏に浮かぶアルマの微笑みが、どうか明日には再び会えますように――ただそれだけを願い続ける。だが、このラボの空気はどこまでも冷たく、曖昧な交渉の続きが待っていることは間違いなかった。
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