幕間、玄野支部にて

叢雲あっぷる

クリスマスイブもまた

 いつの世も人は祭りを求める。浮かれたい呑気なやつら、浮かれた空気から遠ざかりたい日陰者、そしてそんな空気に混ざったふりをしてヒトのフリをする我々。

 聖夜。クリスマスイブの哨戒当番で、私―――玄野小紅に連れ出された男。冥護忍は、どこかぼんやりと街を眺めている。歳の割に似合っている彼の桃色の髪は、寒いのか今日は少し降ろしているようだ。私は長い髪を風に攫われるのが邪魔で、代わり映えのない一括りだが。

「今日は眼鏡だけなんだね」

「そりゃね、こんな日に街を歩くんだから外しますよ」

「そう?聖夜なんだし、頭にサングラスのアロハでもお祭りっぽさとしては外していないと思うけれど」

 私が不思議そうに赤い髪を揺らすと、彼はわざとらしく白い息を吐いた。予定がないと前々から言っていたくせに、いざ仕事になるとこれだ。まあ断られないと踏んで声をかける私も私だが。

「小紅ちゃんは仕事着以外も増やした方がいいと思うぜ?ほら、潜入捜査とかも今後あるかもしれないし」

「うん?大量生産品の服は紛れるのにはうってつけじゃないか?型番さえ伝えれば替えを頼むこともできる。ああ、でもそうだな。年齢にあった服というモノがあるのか」

「そうじゃなくて……いいけどさ」


 愚痴を流しつつ、手袋を外したままの両手を見る。爪は切りそろえているが、世の女性のように指輪やネイル────ファッションという概念の根本的な良さはついぞわからない。知識として知っているだけではダメなのだというのは、育ての親の表情から嫌というほど学んだ。

 どこか、ヒトの機微がわからないところがあった。義理の両親は優しいけれど、家での暮らしは柔らかで透明な壁に押し返されているような心地だった。環境が恵まれているのはわかっているのだ。わかっているからこそ、娘という役割を全うできない自身に意識が行ってしまう。勉強ができても、辞書のように即座に回答を返せても。どうやらそれ以外の役割があるらしくて。けれどそれがなんなのか、霧のようにわからないまま。


 だから、事故で覚醒したとき。病人オーヴァードとして生き返ってしまったとき。『しょうがない』枠に入れたと。『玄野小紅』としての肩の荷が下り、UGNという知らない者ばかりの環境で少しだけ息苦しさから解放されると思ってしまった。結局、UGNだって病原菌が蔓延っているだけで────人が連なる組織だ。新しい鎖が増えていくだけなのに。生みの親に会う気がないのも、同窓会に一度も行かないのも。外せなかった鎖から逃げただけなのに、学ばないのだ。あげく、こうして本部へ栄転したはずの幼なじみの男まで呼び戻した。イヤイヤと自分で鎖を巻き直している様はなんとも幼稚だ。


 私の前任────となってしまった月野支部長は、きっと生意気で愚直に言い返す私の危うさをわかっていたのだろう。洒落た色眼鏡の奥のたれ目は、思い出せば憂いと心配の色が多かったような気がする。全く同じではないのだろうが────今の、説人やまな実子供たちを見るたびに思う危なっかしさ。杞憂だとしても、『大人』というものは気にしないこともできないものなのだろう。


「いや、まあ私も歳を取ったと思うよ」

「……そんなに言うなら、体調管理くらいちゃんとした方がいいと思うぜ?今支部長が倒れたら、まな実たちも心配で仕事にならんだろう……あー、いや。空回りしまくってやらかすパターンのがありそうか?」

「ふっ。どうかな?案外一人欠けてもなんだかんだ回っていくものさ。東雲君も随分、現場指揮が慣れてきた」

 頭一つ上から降ってくる、柔らかな抗議の視線から逃げるように────ホールケーキの特設販売場へ視線を移す。たまに、この男も月野と同じ目を向けてくるときがある。気付いてしまうのは、己に宿ったハヌマーンが、気配を強調して伝えてくるせいだろう。私の取り留めない思考の端で、彼は逡巡を終えたらしい。わざわざ脱いだ手袋をよこして、これみよがしに白い息を吐いた。当然ポケットに自分の分はあるのだが、なんだかここで言うとややこしい気がするので受け取っておこう。

「なんだ、予定でもあったか?言ってくれればよかったのに」

「そういうわけじゃないですよ。まったく、小紅ちゃんには勝てないなあ」

 大きめの手袋を着けながら、首を傾げようとして。彼もまた、私と同じものを見ているらしいということに気付く。聞こえてくる鼓動が明らかに加速している。それはもう、こちらに感染ってしまうのではないかというくらいに。


 急に、まな実の可愛らしい顔が思い浮かぶ。ツインテールの似合う彼女は、チルドレンが増えたから歓迎会も兼ねてクリスマス会をやるとかやらないとか話していたような。

『え~~支部長お仕事行っちゃうの!あ~~……。でも、それならしょうがないか!』

 ……。それとない違和感。なんだ?その横にいた説人……眠そうな瞳に洒落た着こなしのイリーガルの少年は。いつもなら家族と過すと言っていた気がするが。

『こんな日まで大人って面倒くさくて大変なんだね。子供はありがたくぬくぬく過ごさせてもらうよ。白銀もケーキ食べたいみたいだしさ』

『忙し〜〜い二人に代わって特別に乾杯の挨拶とかはやっておいてあげるね?とっきーが!』

『なんでだよ……いいけど』

 ……。二人ともいつも通りのやりとりをしているようで……思い出すと妙に私の後ろを見ていたな。街に出る直前だから後ろにいるのは当然、忍なわけだが……これは……なんだ?ええと東雲はどうだったか……ああ、今日は彼女とラブラブデートでそもそもいなかったな。いや彼女なのかどうか知らないが。匂わせるくせに何にも教えないからなあいつ。クリスマスプレゼントの話が出たことすら驚いた。まぁあの口ぶりでアクセサリーを贈り合うならキャバ嬢でもない限りそうなんだろう。私より年食ってそうな渋い顔でなかなかやる男だこと。────なんだかノイズがひどくなってきたので思考を戻す。


「……早く終わったら、ケーキでよければ奢るよ?」

「えっ。あ~~……そうだな。どうせ予定もないし?食べながら書類仕事でも片付けるか!今頃はしゃいでるお子様たちと違って忙しいからな〜〜」

 捉えどころのなさそうな笑顔の裏で、なお加速していくリズム。『違う』と、実線上にない私だけの警鐘が鳴る。外に連れ出す前の彼をよくよく思い出す。スマホで、地図だか何かを見ていたような。エリア自体は近所だったが、あれはもしかして―――反射で頭をおさえそうになるのを、何とか留める。私も能力に頼り切りな分、純粋な肉体制御の点では純支援役のこの男とどっこいなのだ。


「…………引き分けだな」

「うん?」

「いや、何でも。さっさと終わらせよう」

「え。なん……ちょ、速いって!」

 念の為履いてきた、戦闘用のヒールが高く鳴る。風の中でしか孤独になれない。それは病人オーヴァードであるせいか、どうかは知らないが―――周りが放っておかないから。私もまた、横にいるなら手を伸ばしたくなってしまうから。からっぽになれないのだ、未だ人間が分からないこの女風情でも。

 必死についてきているであろう彼が可笑しくて、笑みをこらえきれずに振り向く。私よりもそれなりに上背があるくせに。こんな小さな女に追いすがる姿は、この街明かりの下どう映っているのだろう。ひとしきり笑って、白い息を一気に吐き出す。

「特別手当だ。直帰で好きな服を見繕わせてやる。その服で打ち上げに行ってもいい。もちろん『店』の時間に間に合ったらだが」

「……へえ。そりゃ何がなんでも終わらせなきゃな」

 軽口とは異なり、視線は交錯しない。あちらはどうだか知らないが、私は街を見るのに忙しい。そういうことにした。

 置いていって悪かったね。誰かと過ごすためのイブの夜くらい、せめて隣にいて迷惑ではない女になってやる。だから今のうちに、自分に向けた特大のため息くらい、吐かせてほしかったのさ。

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幕間、玄野支部にて 叢雲あっぷる @niapple

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