ヤナル・サヒルの悪霊妃

黒田八束

―邂逅―

「見えてきましたよ、殿下。あれが燃える浜ヤナル・サヒルです」


 船の上で毛織物に包まり寒さに震えていたゲイレは、その声にゆっくりと血の気のない顔を上げた。


――燃える浜ヤナル・サヒル


 目的地の島の名でもあるとともに、目の前に広がる信じがたい光景を現すそれ。視界を妨げる闇と霧雨のむこう、長い砂利浜に沿って白い火の群れが燃え盛っていた。


「王家の歴史を紐解けば、五千年以上はあの調子で燃えてるとか。――大昔に天から島に火の悪霊ハルが落ちてきて以来、雨が降ろうが雪が降ろうが、決して消えることがないそうです」

「……では、あれは?」


 ゲイレは船上で樹脂オイルランプを掲げて先を照らす男に問いかける。


「はて」

「あそこに人のようなものが立っている」


 彼女の怜悧なまなざしは、燃える浜にたたずむ人影をたしかに捉えていた。火影の中に悠然と立つのは、男だろうか。


 怪しい光を湛えたその目が一瞬自分をみつめたと思ったのは、気のせいだったのだろうか。瞬きの間に、男の姿は火と煙の中に消えてしまった。


「古い監視塔がひとつあるようですが、本来は禁足地。常識的に考えてもあのようなところに人は住めますまい。殿下は大変お疲れでいらっしゃいますから、炎にまやかしを見たとて不思議ではありませんな」

「……大して疲れてはいない」


 慇懃な言葉に、ゲイレは眉間に皺を寄せた。なぜ、自分が兄王の腹心とともに、船に揺られているのか。あのような奇妙な島を目指しているのか――話は、数日前に遡る。

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