弟、懸命に平静を保つ

姉、と主張するぬいぐるみ曰く、寝苦しさで目が覚め、重い布団から這い出し、もふもふの手に気付き、弟が来たら夢かどうか確かめる、それまではぬいぐるみ気分を満喫していたと。


「のんきなもんだ」


「いやまだびっくりしてる」


そう言われても、目の前にいるのはかえるのぬいぐるみである。

笑った顔の作りだが、表情は読めない。


「元旦からシュール過ぎる」


「頭抱えないでよ、いやあ高校生までに何にもなかったからさ、もうこんな漫画みたいなこと諦めてたわ、この年で奇跡きたわ」


「いやどうすんだよ、戻れるのかこれ」


「え?」


「え、お前」


「戻る時って服大丈夫かな、まさか裸になるのこれ」


「まず戻れるかが問題だろうよ」


「…戻れないの?え、死ぬのかな私、死ぬ前のなんか走馬灯タイムなのこれ」


「走馬灯に俺を巻き込むな」


本気で死ぬ心配をしている可能性は否定できないものの、何せぬいぐるみがちょこんと座っている様子は、


(かわいい…)


姉は可愛くないが、ノスケはかわいい。


だいたい、春夏冬家あきなしけは人間よりぬいぐるみが圧倒的に多い。

生まれる前からぬいぐるみに囲まれ、モノ扱いすると怒られて育った。持ってくるじゃない、連れてくるでしょ、と母がよく言っていた。今でも当時からの子たちを含むぬいぐるみたちにほとんどのスペースを取られ(いや好きでそうしてる)、交代で添い寝してもらっているオッサンオバサン姉弟、それが我々だ。そうだ、変人だ、まだ逮捕されてないだけだ、分かってる、分かってるんだよ変なことは!


秋雲しゅう、顔、顔どうした」


「なんでだよ、こんなにぬいぐるみかわいがってるの俺たちぐらいだろ、別に誰にも迷惑かけてないだろ、なんにも」


「落ち着け。とりあえず朝ごはんくれ」


「食べる…いや無理だろ」


「何事もやってみないことには分からんのよ」


それもそうだ。自分も一旦コーヒーでも飲んで落ち着きたい。

階段を数段降りてふと振り返る。見下ろすと姉が、ノスケがいかにも怖々といった様子で身長を超える階段の一段目を降りようとしている。


「…手伝ってはくれないのかね」


「…」


「分かってるぞ、かわいいだろう、私は」


(はい仰る通りです)


「私も私を見たい。可愛すぎる」


「それその姿だから許されてるから」


「知ってる」


結局、姉ノスケを抱っこしてリビングへ。

本人としては不安もあるんだろうが、自分の腕にしがみつく感じがまたもふもふしていてたまらない。正直離れがたいのだが、テーブルの上に乗せてやる。

しかしサラダを目の前に、じっと動かない。


「た、食べさせてやろうか」


「…いや、無理だわ」


(そりゃ絵的にキツイだろうが気にしてる場合では)


「絵的にキツイのもあるけど、食べられないわ。食べる気がしない、口、開かないし」


「水は…?」


「想像するだけで冷や汗出てくる。あ、イメージね。身体中に水が染みたら重くて死にそう」


「じゃあ今まで風呂に入れてたのまずかったのか」


「相当な覚悟がいる。命懸けだわ」


風呂が命懸けとは、良かれと思って綺麗にしてきた子たちになんと謝れば良いのやら。


「なんか、ぬいぐるみとしての生き方?分かってきた気がする」


どうやら姉はすっかり人間からぬいぐるみに変わったようだ。

まず飲食は不要。睡眠はさっきウトウトできたらしい。話せるが表情は変わらない。ぬいぐるみになったからといって、飛んだり跳ねたり、人間の時にできなかったものは無理とのこと。


「今のとこ確かなのは、私かわいい。鏡くれ」


「私じゃない、ノスケだ」


「やっぱりかわいいと思ってたんだ。ノスケは私のチームだから渡しません」


「俺もうちの子たち渡さないし。つか何でぬいぐるみになるんだよ、そこだよ問題は」


「それは…あれでしょうな」


「はい?」





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