独語

共通の知人X

 机の上のキャンパスノートを開いた状態で放置して斎藤恒美は肘を付いて自室の壁を見詰めていた。視線の先では体長僅か二ミリ前後の茶立虫が細かい凹凸を含む白濁色の壁を懸命に這っている。たぶん先日商店街の古書店で購入した山本有三の『路傍の石』に付着でもしていたのであろう。こう推理すると彼は急に興味を失いこの虫から視線を外した。

 手元のノートの右隣の机の肘の付いている付近にはA4のコピー用紙の束——『生殖の息吹』と題する四百字詰め原稿用紙に換算して五十枚の自作の短編小説が右端を一箇所、ホッチキスで留められた状態で置いてある。

 これは恒美が昨年の浪人生時代に名ばかりの受験勉強の合間に暇潰しに書いたものであった。話の筋は中学時代に陸上競技の長距離走で活躍した少年が、スポーツ推薦で進学した私立の全日制高校で、才能の欠如を理由に部活を退部すると、まもなく横浜市内の通信制高校に転校して、暗澹とした日々を送り、大学受験にも失敗すると、最後は堕落して曙町に通い淫蕩に耽るという、何とも取り留めのないものであり、所謂私小説であった。

 けれどもそれがどうして現在机の上に置いてあるのかと言えば、恒美は本日二限にあった一年前期の必修科目である後藤田教授の基礎演習ⅠAの初回講義で課された「君が哲学科学生になった経緯」という作文を、この私小説を基に書き上げようと考えたのである。

 恒美は依然として気怠そうに机に肘を付いた態勢のままぐいと左半身を捻るとその用紙の束をノートの上に置き再びこれの拾い読みを始めた。二万字に近いこの文章のどこを省略して二千字程度に収めるかはこの作品の主要部分である、童貞卒業後に地元の保健所で性病の検査を受ける、という話を中心に削ることと既に目算が付いているが、けれどもそうして削ぎ落された文章のどこに「哲学科学生になった経緯」を挿入すべきかと考えるとやはりこれは鳥渡良案が思い付かなかった。

 と言うのも彼が今年K大学文学部哲学科へ入学したのはあくまでも偏差値と通学時間を念頭に置いてのことであり、むしろ例えば代ゼミの英文解釈の参考書をもう一周する時間があったら哲学科ではなく偏差値が二つ程高いが関心のある日本文学科の方を受験していた程で、恒美は狷介な性格の人間が好みそうだという点に鳥渡親和性を覚えるより他に哲学という学問に対して特に興味はなかった。

 集中力を切らした恒美はデスクチェアのキャスターをフローリングの上を転がして席を立つと黴臭い四畳半の自室の引き違い窓を開けた。宵の晩春の肌寒い風が躊躇いがちに室内に辷り込んで来る。彼はまるでこの風情を嘲笑うかのように窓の桟を灰皿代わりにして思い切りラッキーストライクをふかした。

 途中で何度も咳き込みながら根本まで吸い切るとこれをシケモクの散乱した桟の内側に捨て入れた。そのあと寝汗で薄らと黄ばんだ蒲団の上に仰向けに寝転んだ。虚ろな目で天井を見上げながら「どうしようかなア」だの「面倒くさいなア」だのと頻りに無意味な言葉を独語する。ふと寝返りを打つと枕頭の書の東京創元社版の『定本北條民雄全集』の下巻とこれと共に地蔵のように枕元に鎮座する安物のリュックサックが目に付いた。これを見るなり彼は急にあることを思い出して怠惰に寝転んだままその鞄の中から手探りに雨で萎れた二枚の用紙を引っ張り出した。

 片面印刷で二枚のこのA3判用紙は例の基礎演習の講義で謂わば参考資料として配布された「私が哲学科教授になった経緯」という題の後藤田教授の執筆された作文である。

 これが硬直した思考を穿つことを期待して蒲団の上に胡坐を掻くと彼は旧型の電波時計の秒針の刻む音の他には何も聞こえない静寂の深更の中俯いて指の腹で頁を繰った。

 話の筋は文学に専心していた教授が、高校二年の夏に久米正雄の『風と月と』を読んで感銘を受けると、自身も学友と第四次新思潮のような雑誌を発行することを夢見て、青森の小田舎から上京してT大学文学部へ進学するところから始まり、けれどもそこで非凡な才能を有する友人達と交渉するうち、自身の文筆の才能の限界を覚り、紆余曲折あり遂には文学を断念してまるで和辻哲郎のように哲学の道へ転ずることを決心する、という感じのものであった。そして最後は「けれど私は確かに明日に一筋の光明を見出すことが出来たのである」という一文で締められている。

 全体的な印象はまるで過去を尊ぶ老人の昔話のようであり、文学を挫折した割に大して劣等感を抱いてもいない様子の「私」に彼は余り共感を覚えず、文章は上手いが別に一読して面白いという感想は浮かばなかった。

 恒美はこの作文を太腿の上に置くと目前の木製の漫画棚の中段に整然と並ぶハロルド作石の『BECK』と、その上の壁に錆びた画鋲で貼ってあるブルーハーツ時代の真島昌利の写真とを、口元に微笑を湛えて凝視した。

 けれども彼はその代わりにおよそ青年時代に特有の例の衝動が身体中を駆け巡りある種の酩酊状態に陥った。鼓動が早くなり、霞んだ視界の端にまるで深夜にふと街角の照明灯を見上げたときのような光芒が輝いた。

 それは十九歳のまだ世俗の垢の付かない青二才にとって、まさしく希望の光であった。

 と言うのも恒美は周囲に公言こそしないがその頃の教授と同様に漠然とそう小説家を志望していたのである。それだから文学に心得のある人に自身の私小説風の作文を閲覧して頂ける機会に恵まれた僥倖に歓喜しないわけにはいかなかった。彼はむしろ文学を途中で挫折した教授だからこそその所謂素質の有無についても敏感であるに相違ないと思った。

 何で知ったかは忘れたが、あの村上春樹だってまだ早稲田の学生だった頃に卒業論文の担当教授から文筆の道を勧められたと言うではないか。恒美はこのようなことは分不相応であると自覚していながらも、けれども俺も彼と同様の境遇に与りたいと切実に思った。

 例えば十年後に素知らぬ振りをされても構わないからとにかく彼は才能という余りに不確かなものについて誰かにお墨付きを貰いたいと常々考えていた。そして仮に懐に入るくらいの小さい奴でも才能を保障する言葉を頂ければ今まで掴み所のなかった夢が急に現実味を帯びて来るような気がしたのである。

 恒美は蒲団から立ち上がると神妙な面持ちで椅子に座った。そして机の左端に乱雑に置いてある「充実した大学生活を送ろう~サークル案内2023~」との表紙のパンフレットや三センチ程の厚さもある履修要綱を一瞥してから橙色のデスクライトを点けて例のノートにようやくペンを走らせた。ただしこれはあくまでも下書きであるから度々『生殖の息吹』を参照しながら箇条書きで済ませた。

 そしてある程度全体の構想を把握すると今度はノートパソコンを起動してこの箇条書きを参考にしつつ本書きに着手した。彼は最初の一文を「何かと言うと諦めやすい質の私であり……」と決定してこれに続く文章を書き進めた。するとまるでそこに埋没している文章を掘り起こすかの如き遅筆な彼にしては珍しく僅か三十分余りで最後まで書き切った。

 最後の一文は最初の文章と関連させて「そして将来にも何だか期待の持てない私には世間では就職に不利だと聞く哲学科がむしろお似合いだと思った」という風に纏めた。そしてこれは理想を追いながらも同時に諦念を抱く現在の彼の心情を意図せず表現していた。

 その後は小休憩も挟まずに書き上がった文章の推敲に取り掛かった。椅子に浅く座り真剣な表情でこの作業を進めながら、

「もしもこの作文が教授の目に留まらなければ、俺はもう文学を断念しよう」

 とぽつりと呟いた。

 仮に現時点の集大成が他の有象無象の生徒の作文と同列に扱われるようなことがあればこの先文学を続けていても仕様がないように彼には思われた。才能がないと判明すればその時点で速やかに文学から身を引こうとこう独り言ちる。けれども恒美はこのように大言壮語を吐く程自分の文学に根拠のない自信を持っていた。それは少なくとも「君の文章には目を見張るものがある」くらいには褒められるに相違ないと確信する程であった。

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