第2話
【1】
「ところで、きみは『眠り姫の毒』を知っている?」
不承不承のエリアスに預かった封筒を渡し、アルドリックは本題を切り出した。自分を厄介ごとに巻き込んだそもそもの要因である。
返事はなかったものの、構わずに説明を開始していく。聞き届けてもらわないことには、宮廷に戻ることも叶わないのだ。
「早い話が、王都で流行ってる薬なんだけど――」
その名も「眠り姫の毒」。王都の若者たちのあいだで流行する薬の俗称である。薬を飲むと深い眠りに落ち、なにをしても目を覚ますことはないのだという。ただひとつ、真に思い合う者からの口づけを除いては。
噂の火付け役を担ったのは、流しの魔術師から薬を買った商家の娘のエピソードだ。主人公は、親に縁談を勧められ、思い悩む娘。引っ込み思案で意思を伝えることが苦手だった娘は、密かに思い合う幼馴染みの存在を打ち明けることができなかったのである。その彼女が出会った相手が、怪しい流しの魔術師だ。
メルブルク王国において、煎じた薬草を販売する資格を有するのは国家魔術師が営む認定店だけ。だが、法をかいくぐるかたちで販売されるものもあった。
心身に著しい害の出る恐れがあるものは即座に取り締まりの対象になるものの、心身に害の出ない――ある一定の基準より薬草の保有量の少ないもの。つまり、気の持ちよう程度の効能しかないもの――は目こぼしをされることがある。
彼女が手を出したものは、まさにそれだった。
ムンフォート大陸において、隣国フレグラントルに次ぐ魔術国家であるメルブルクには、「流し」と呼ばれる魔術師が短期滞在をすることがある。彼らはその際に薬を売り歩くのだ。
完全なる違法とは言わないにせよ、限りなく黒に近いグレーの存在。当然、親や教師はうかつに手を出さぬよう指導を行うが、若い人間の好奇心は計り知れない。悩む心に甘い毒を注がれては、なおのことである。
とかく、彼女は「真に思い合う者からの口づけでのみ目を覚ます薬」を手に入れた。言葉にすることが難しかった彼女の精いっぱいの抵抗であったのだろう。
彼女は薬を飲み、効能を記した紙と空の小瓶を残した。驚いたのは、揺らしても叩いても目覚めぬ娘を発見した両親である。仰天した母親は近所の住民に相談し、それを聞いた件の幼馴染みが名乗りを上げた。
結果は、娘の記した効能のとおり。なにをしても目覚めなかった娘が、幼馴染みのキスで目を開けた。喜び感動した両親は、娘と幼馴染みの結婚を許したという――。
「その話が、王都のお嬢さん方の中でロマンティックだって広まっちゃってね。半月ほど前から流行はしていたんだよ」
そう、アルドリックはエリアスに説明をした。
「そのあとで話題になったケースもいくつかあるんだけど、無事に目が覚めました、ハッピーエンドというような軽い話ばかりでね。宮廷の薬草部も当初は『グレー』という判断だったんだ。ただ、ちょっと噂が大きくなりすぎただろう? 規制する流れに変わったんだけど、察したのか、例の魔術師が国外に出ちゃってね」
ずぼらな管理だと思われたら嫌だなぁという保身半分で、アルドリックはなんでもないふうに続けた。一方、エリアスは、完全に興味のない顔で頬杖をついている。
偉そうな態度であるのに、妙に似合っているせいで注意する気も起きない。注意できる立場かと問われると、悩むところではあるのだが。
「張本人が国を出た以上、さらなる模造品が出回る可能性はあれど、とりあえずは落ち着くだろうということで、一旦保留になったんだけど。とうとうと言うべきか、目を覚まさないご令嬢が現れてしまって」
「ご令嬢?」
そこでようやくエリアスは反応を見せた。
「真に思い合っている相手に口づけてもらえばいいのではないか?」
「いや、それが」
貴族と関わることはごめんだと言わんばかりの調子に、情けなく眉を垂らす。
貴族を嫌がる人間の多さは承知しているし、宮廷で働く身としても、貴族特有の面倒さ――もちろん、すべての人が面倒なわけではないけれど――は実感している。だが、断られると困るのだ。
「ええと、その、目が覚めないのはノイマン家のお嬢様なんだけど、ご当主いわく、娘がそんな怪しい薬に手を出すわけがない、とのことで」
「なるほど?」
「ただ、ちょっと、こちらの調査で向こうの使用人の方にお聞きしたところ、お嬢様が飲んだ薬は王都で噂の『眠り姫の毒』だという証言が出て」
「なるほど?」
嫌味ったらしい相槌に負けじと、アルドリックは人当たりが良いと評判の笑みを返した。
「ただ、その、お嬢様が飲んだという小瓶が、いろいろあってなくなったらしくて。つまり、お嬢様がなにを飲んだのかは……。いや、なにも飲まれていない可能性もあるのだけれど、とにかく不明ということで」
「なるほど」
「それで、その、うちの人間と薬草部の魔術師でお嬢様の状態の確認に伺ったんだけど、『なにかの薬で眠っているのだろう』ということしかわからなくて」
「ほお」
「それで、……その、きみならわかると思うんだけど、その状態で解毒薬をつくるのって大変なんだよね」
薬草部の友人いわく。成分が判明し、材料さえ揃っていれば、ほぼリスクなく解毒薬をつくることは可能だが、成分が不明の場合は、解析に時間がかかり、リスクも上がるとのこと。
それは、まぁ、そうだろうなぁ、と。容易に想像することはできる。
「だから、……その、ノイマン家のご当主が、ぜひ、稀代の天才と噂の一級魔術師殿に、お嬢様の命運を託したいと仰られていて」
その勢いに薬草部が押されたというか、ちょうどいいと押しつけようとしているというか。曖昧な笑みを保持するアルドリックを一瞥し、エリアスは長い足を組み変えた。
「ノイマン家か」
「ああ、知って?」
「家の名前くらいはな。個人的に知っているという間柄ではない」
だろうねぇ、とも、そのほうがいい気がするよ、とも言えず、アルドリックは頷いた。
「とにかく。ご当主から直々に宮廷に要請があってね。なんでも、ご令嬢の縁談が進んでいるさなかのことだったそうで、街で噂の『眠り姫の毒』が原因とはまかり間違っても誤解されたくないということなんだ」
伝え聞いた当主の口ぶりは、一人娘の容態より家の醜聞を気にしたものだったが、一介の文官が口を挟む話ではない。
「なるほど?」
アルドリックを見つめ、エリアスは意地悪く笑った。
「起死回生の頼みの綱である婚約者殿には知られたくないだろうな。口づけで眠りが覚めなければ、大ごとだ」
「ちょっと」
人の目がない場所と言えど、言葉がすぎる。昔馴染みのよしみとして、アルドリックは窘めた。
子爵であるノイマン家と一級魔術師のエリアスのどちらの格が上かとなると後者であろうが、そういう問題ではない。
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