サンタクロースになるという選択

七転

第1話

 冬の懐かしさが醸し出す雰囲気にあてられて、レジに並ぶ長蛇の列へと身を委ねる。




「今年は、クリスマスをしませんか」


 喉に引っかかった誘いを檸檬を絞るかのように吐き出した俺の心臓は、うるさいくらいに耳朶を打つ。

 今なら凄腕ドラマーになれるかもしれない、なんて突拍子のないことを考えて現実逃避していた俺に返ってきたのは、優しく細められた綺麗な眼といつも通りの静かな首肯だった。


 俺が彼女と別れて3年、短いようであまりにも長い時間が過ぎた。ひどい喧嘩をして違う道を進み始めたのに、どうしてまた話すようになったのだろう。


 あまりにも感性が似ていたせいで、一度すれ違うともう会うことはないんだろうなんて昔は考えていた。

 限りなく平行に近い2本の線は、交わるとその差をどんどん広げながら離れていく。そういうものだ。


 別れてから、俺にも彼女にも新しい恋人ができた。あぁ、大学生なんてって少し寂しくなりながらも、毎日を噛み締めるように生きた。


 今は大学を卒業して俺は社会人、彼女は勉強することを選んだのでまだ学生だ。

 大学の卒業式で久しぶりに話した。お互い恋人とは別れたんだって苦笑いしながら、ぽつりぽつりと言葉を交わした。

 

 パーカーとシャツというラフな格好で別れを告げて、スーツと袴でまた顔を合わせるのは、少し照れくさい。

 学部が同じだった俺たちは研究室の忘年会が始まるまで、一滴また一滴と言葉をグラスへと零した。


 それからだろうか、月に一度ほど会うようになった。会うだけで別に何もしないし、ご飯を食べて夜の9時には解散する。

 たまに休みが合うと、美術館に行ったり綺麗な景色を見に行ったり。


◆◇◆


 彼女との関係を語るとき、「星」に触れないといけない。はじめてしっかり話したのは大学に入って数ヶ月の頃だ。

 サークル合宿の夜、2人で抜け出して満天の星空を見ながらお互いのことを話した。出会ってすぐの人にこんなことを話すべきではないってことも簡単に口にできた。

 その距離感が心地よくて、いまでもあの肌寒さと裏腹な暖かさを覚えている。


 それからはよく話すようになり、学部も同じなだけあって、講義でよく隣に座るようになった。


 2人とも空を見るのが好きだった。空気が澄んでいて星が綺麗な夜には、「星がよく見える」とだけLINEした。

 お互い考えてることは手に取るようにわかるし、それすらも知った上で話をするのは居心地がよかった。



 マフラーが街を色で染める季節に、彼女に恋人ができた。周りの人からは彼氏が俺じゃないかと噂されていたみたいだ。

 気を遣ったほうがいいかな、なんて思っていた俺に彼女は、今までと変わらず接して欲しいとこぼした、本当に小さな声で。

 その時、向こうの彼氏がどう思っていたのかは分からないけれど、反省も後悔もしていない。

 20歳の俺は、いい友人を持ったなと呑気に考えていた。



 年が明けて桜が頬を撫でる頃、俺に恋人ができた。兎にも角にも、彼女に恋人ができたことを報告しないとと思っていたが、春休みで会えないこともあって中々機会がなかった。

 新年度が始まり、俺たちはまた大学で顔を合わせることになった。休講でお互いの時間が空いたある日、部室で俺は言った。


「彼女ができた、祝ってくれ」


 その瞬間に彼女が見せた顔を、生涯忘れることは無いだろう。

 アーモンドみたいな綺麗な目を歪めて、口は開き、苦々しさと自嘲、諦観とほんの少しの嫉妬が混ざった器用な顔をしていた。その表情は一瞬で消えて、彼女は祝福をくれた。


 水曜日の昼下がりだったと思う、空はよく晴れていた。



 それから少し経って、彼女とは距離を置いた。正確には、自然に置かれていた。もしかしたら彼女が気を遣ってくれていたのかもしれない。今となってはわからない事だし、聞くのも野暮だろう。


 そんなある日、彼女が恋人と別れたという噂を聞いた。


 なんでもずっと好きだった人が忘れられなかったらしい。そんな話今まで聞いたこと無かったな、なんてふんわりと思いながら勉強やサークル、バイトに勤しむ日々だった。


 1人で講義を受けていたら、久しぶりにあの名前が俺のiPhoneを彩った。


「突然だけれど、今夜ご飯を食べに行きましょう」


 改まった文章に空いてしまった距離と時間を感じながらも、今まで何十回もしてきたように肯定の返事をした。

 街のビル前待ち合わせで、少しだけ背伸びしたディナーを予約した。


 集合場所に現れた彼女は相変わらずで、話し始めてすぐにまた昔の感覚に戻った。何を考えているか、次に何を言うか直前にわかってしまう。


 楽しい時はすぐに流れて帰る時間になった。


 少し遠出したから解散の時間も早い、21時と30分。駅に向かうエスカレーターを降りたところで、彼女は私を呼び止めた。


「今日言うはずじゃなかったけど、彼女がいるって知ってるけど、だめだって分かってるけど、先に言う、ごめんね。好きです。好きです、だめな私でごめんね」


 とめどなく溢れる言葉に、俺は静かに耳を傾けるしかなかった。


「待ってちゃだめなのもわかってるけど待たせてください。優しく笑う時に目を細めるその表情が頭から離れないです。溢れて止まらないの。君が好きです」



 どこか他人事のように俺は彼女を見つめていた。

 大粒の涙をぽろぽろこぼしながら、メイクが崩れるのも気にせずに、彼女はひたすらに言葉を紡いだ。


 不思議と街ゆく人たちの視線なんて気にならなかった。少し残った理性をかき集めて、俺はいつも通りじゃない返事をする。


 首を振る俺を見て、彼女は目を伏せた。


 そこから彼女が泣き止むことは無かった。時刻は23時、さすがに帰らないとまずい。泣いている彼女を引っ張って駅の改札へと向かった。


 告白の時、彼女が何を言うか直前にわからなかった、俺はまだまだ甘かったみたいだ。帰り道に彼女が嫌いな煙草を吸った。

 人工的なバニラ味、空にくゆる煙は冷静になった俺の頭を曇らせた。まんまるな月が綺麗だった。



 月日が流れて、俺は恋人と別れた。原因なんて些細なことで、よくある結末だ。将来この人といる未来が見えなかった。甘い考えだ。ゆるやかな関係こそが手に入らなくて尊いものなのに。


 友達に戻りたくて、久しぶりに彼女に連絡した。彼女から連絡が来た時にそうだったように、今頃向こうのiPhoneには俺の名前が浮かんでいるんだろうか。


 そう考えるのも自分勝手で嫌になる。「会ってくれますか。」という俺の問いかけに、彼女はいつものように肯定を返してきた。


 待ち合わせ場所に来た彼女は昔の雰囲気を纏っていた。俺が友達に戻りたいと思っていることをわかっているんだろう、かなわない。


 彼女は凛々しい笑みを浮かべながら口を動かした。


「待ってても友達止まりなら、私からいくね。好きです。だから、付き合ってくれませんか。もう謝らない。2人の関係に名前を付けることに意味が無いことは分かっているけど、私は君といたい。好きです」


 ここまで言わせて、だめだなんて答える人はいるんだろうか。

 友達に戻りに来たのに恋人へと駒を進めてしまった彼女は、一筋の涙を頬に伝わせて微笑んだ。


 それからの生活は、バニラの味をぎゅっと詰め込んだみたいに甘かった。いろんなことをして、いろんなところに行って、いろんな景色を見て、いろんなものを食べた。

 甘さを濃くしたみたいな彼女の髪の匂いは、鼻腔をくすぐるたびに幸せな気持ちにさせてくれる。



 相手の考えることが分かってしまうのは、居心地が良くてそれでいて、都合が悪い。本当に小さなことでできた溝は、日に日に広がっていく。

 長くて短かった夢は唐突に終わりを告げた。夏の夜、星が見えない夜に俺たちはお別れした。


 2人とも泣いて、朝まで話した。ぐちゃぐちゃの顔で乗ったし発の電車は無情にも私を運んでいく。形に残ってるものは何も無いけれど、彼女が俺にくれたものはあまりにも大きかった。

 俺が今でも使ってる「君」という二人称は、間違いなく彼女からの愛だ。


◆◇◆


 赤色が好きで、黒色が似合う君に、俺は淡い水色のストールを贈ろうと考えた。3年前には言えなかった「青色も似合う」を今度こそ言えるように。


 お互い少しだけ大人になったけど、まだ考えていることがわかってしまう。もう交わることはないかもしれない線を曲げるのか、まだ決めきれないでいるけれど、今はこの暖かい気持ちを大切にしたい。


 冬の魔法なんていらない、自分の力で今年は彼女のサンタさんになれただろうか。


 彼女から贈られたのは、部屋で映せるプラネタリウムだった。そんなずるいところにまた惹かれてしまうのだ。

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