海に沈むジグラート18

七海ポルカ

第1話


 テーブルに並んだ豪華な料理に、ネーリはぽかん……とした。


「ん~! 今日も美味しそうだねえ。気を利かせてフランス料理にしてくれたんだ」

「久々の再会と聞いておりましたから。余計なことだったでしょうか?」

 アデライードは微笑む。

「とんでもない。嬉しいよ。ありがとう。とはいっても、当時はジィナイースとはローマの城で会っていたから料理はイタリア料理だったんだ。フランス料理を食べてもらう暇はそんなに無かったから。ジィナイースと再会したら、フランスに連れ帰って、フランスの城や料理や、風土や何もかも知ってもらって、好きになって欲しかったから、それが一足先に叶ったね。さぁ、ジィナイース座って。アデライードは料理がとても上手なんだ」

「アデライードさんが全部作ったんですか?」

 驚く。料理人みたいだ。

「暇つぶしの手遊びですの。けれど料理を覚えるのは好きですわ。今ヴェネトの料理も研究しております。ジィナイース様のお口に合えばよろしいのですが」

「あ……ラファエル……」

「おっと。そうだった。アデライード。ジィナイースという名前はとても美しくて、ジィナイースにまさに合っているんだけどね。嘆かわしいことに、この国で使うと少々厄介なことになりそうなんだ。従ってこの国にいる間はジィナイースのことは【ネーリ】と呼ぶようにしてほしい」

「かしこまりました。ではこれよりネーリ様とお呼びいたします。私のことはどうぞ『アデル』とお呼びくださいませ。フランス本国より、ネーリ様のお世話をするよう、ラファエル様に呼ばれてここにおります。なにかございましたら遠慮なく私に仰ってください」

 ラファエルが侍従のように椅子を引いて、ネーリを席に座らせた。彼は対面ではなく、ネーリの隣に腰掛ける。

「アデライードも座って。三人で食事をしよう」

 ラファエルが微笑む。対面の席を促した。

「まあ。よろしいのですか? 久しぶりの再会ですからお二人で積もる話もございましょうし……私は遠慮するつもりでしたが……」

「いいんだよ。ありがとう」

「とんでもないです。アデルさんもどうか一緒に食べましょう。ラファエルがフランスでどんな風に過ごしているかも、聞きたいです」

「では、失礼いたします」

 アデライードが席に着くと、ラファエルがワインを三つのグラスに注いだ。

「じゃあ乾杯をしよう。もちろん、この美しい再会に」

 再会に、とネーリとアデライードが笑って声を合わせ、乾杯した。

「――ああ。美味しい料理に、美しいジィナイースに信頼すべきアデライードが揃って、今日はなんて幸せな夜なんだろう! 正方形の晩餐会なんか行かなくてほんとに良かった!」

 ラファエルが幸せそうだ。

「とはいえ、ルゴー君の詰問を躱すのは大変だっただろう、アデライード。無理を言って悪かったね」

「いえ。さほどではありませんでしたわ」

「おや。さすがのルゴーも可憐な令嬢を脅してはいけないことくらい知っていたんだな。

 感心感心。アデライードは頼りになるだろうネーリ。俺はいつも彼女には無茶ぶりしてしまうんだが、一度も彼女には出来ませんとか言われたことがない。君も困ったらぜひ頼りにするといい」

「アデルさんは……ラファエルの妹さん……なんですよね?」

 紫がかった瞳をアデライードがこちらへ向ける。

「左様にございますわ。ネーリ様。けれど、異母兄妹ですし、私の母の身分はとても低いので、とても本国では『妹』などと呼ばれるものではございません。私のことはどうぞ侍女として扱って下さいませ」

「アデライードにはね、会った時にちゃんと言ってあるんだ。

 父上の血を引く子の一人として、例え公には出来なくても息子の俺が、もうこれ以上苦労しないように面倒を見るからって。彼女にはいつだって好きな道が選べるようにしてある。普通のフランス令嬢として、屋敷で優雅に過ごしたいなら、俺のフォンテーヌブローに彼女を女主人とする屋敷を与える。貴族になんかなりたくないというのなら、城下で家を持ち、普通の市民として暮らす援助をする。アデライードに会ったのは修道院だったから。修道院に戻りたいなら、そこへ送り、彼女の修道院に寄付をするよ」

「アデルさんは何を選んだんですか?」

「まだ選んでない」

 ラファエルは笑いながら言った。

「僕の側で、身の回りの世話をしてる。侍女みたいなことをね。しかし何でも好きなものを選べる彼女がそういうことを今はしたいなら、それもいいのさ。恐らく僕が結婚するまでは、側で理解し助ける者が必要だと考えているんだろう」

 アデライードは何も言わず、笑んだまま食事を続けている。確かに、こうして座って食事をしている姿は品があった。貴族令嬢と言われても何の疑いもない。しかし、さっきまではラファエルの身の回りの世話をする女性のように見えた。

 結婚と言われて、ネーリは密かにドキ、とした。

 胸に触れる、指輪を思い出す。

「ネーリ様は、結婚を願う方がいらっしゃいますか?」

「えっ?」

 不意にアデライードがそんなことを言ったので、ネーリは思わず肩を跳ねさせた。

「ちょっと。アデライード……人がまだ心の準備出来てないのになんてこと直球で聞いてくれちゃうのよ……」

 おいしーね♡ などといちいち隣のネーリに話しかけながら食事を楽しんでいたラファエルが、さすがに苦笑して美しい金髪を掻き上げる。

「あら。そのように目の前でネーリ様をお熱く見つめられているから、早めにお聞きになりたいのかと思って。余計でしたか?」

「余計じゃないけど驚くでしょ。今スープ飲んでたら鼻から出てたよ。折角久しぶりに会ったネーリの前で一生懸命カッコつけてるんだから、そういうこと言うなら合図を送ってからにしてくれるかな」

「次からは、そうしますわ」

 アデライードは明るく笑って、さして気にはしなかった。

「豪気な我が妹が聞いちゃったから、仕方ない。結婚を誓った人はいるのかい?」

 慌ててネーリは首を振った。

「……結婚なんて……考えたこともないよ。ラファエル……ぼく、住む所も持ってないのに、一緒に暮らしましょうなんて、誰にも言えないでしょ?」

 ラファエルはネーリの栗色の髪を優しく撫でた。慰めるような手つきだった。

「ユリウスには、短い間だったけど、色々教わったよ。あの頃、俺は家族のはみ出し者だったから、父上にも母上にも甘えられなかった。今でこそ父上とは酒も飲めるようになったけど、あの頃は気安く側に寄れるような人じゃなかったんだ。だから驚いた。ユリウスの、人との付き合い方に」

「おじーちゃん……?」

「ユリウスはお前の祖父だけど、俺にはお前たちはむしろ父子に見えたよ。自分の子をいつだって腕に抱いて、肩に乗せて、食事も、武具の手入れも、乗馬も、船員との会話も何もかもお前と一緒にやらせた。彼が言ってた色んな言葉は、今も俺の中で光り輝いてる。

 彼は自分の船を『家』と呼んでた。

 彼も自分の家は持ってなかったんだ。彼は友人たちを自分の船に招いてもてなしていた。

 彼のいるところが『家』になるんだ。

 彼を慕った多くの者が、そこを家にする」


 ――俺たちは家族なんだ。


 ラファエルの言葉を聞いて、ネーリはそんな言葉と祖父の力強い笑顔を自然と思い出した。

「ネーリも家族が欲しいなら、ただ『僕の側にいてほしい』って言えばいいんだよ。家なんて、あとからどれだけでもついてくるさ」

 ネーリがきょとんとしてラファエルを見ている。

「少し、乱暴な考え方だったかな?」

 気付いてそんな風に言ったラファエルに、ネーリは目を瞬かせてから、優しく微笑んだ。

「……ううん……。おじいちゃんにちょっと似てる……」

 本当に、変わったなあ。ラファエル。

 昔は本当に、少女のように繊細で、傷つきやすい所があったのに、今はそんな感じが全然しない。何もかもを持っていて、どんなことがあっても泰然としている。

 確かに、祖父のユリウスもそういう人だった。

 そこにいるだけで側にいる者を安心させてくれる、そういう空気を持っていた。

「ラファエル。久しぶりに会った君が、こうやっておじいちゃんのことを忘れないで、覚えていてくれたことが、僕にとってどんなに嬉しいかわかる?」

 ラファエルは一瞬目を瞬かせた。

 ……王宮のことは何も分からないけど、王宮の人達も、こうしてラファエルのように時折ユリウスを思い出し、懐かしがって、楽しかった思い出を分かち合ってくれることがあるのだろうか?

(あったら、他国に、あんな酷いことはきっとしないはずだ)

 ネーリは思う。

「すごく嬉しいんだ。こうやって誰かとおじいちゃんのこと、話せることが」

 微笑んだネーリを数秒後、ラファエルが抱きしめた。今の言葉で、ユリウスが死んでから、どれだけ彼が孤独だったかが分かった。

 ラファエル自身が成長する為に、彼から離れて暮らしていた時間は必要だったと今では思うけど、その時だけはラファエルは、長い間ネーリを独りきりにしてしまった自分を責めた。

「ネーリ。俺も君と昔のことをこうやって二人だけで話せることが、すごく嬉しいよ。君と別れてから、ずっとこうしたかった。だから、君にはフランスに来てほしいんだ。フォンテーヌブローの俺の城に。

 俺には貴族の務めがあるけど、生涯、唯一無二の人として君を大切にする。

 他の人間は関係ないし、身の回りにいる全ての人間に君を尊重させて、むやみやたらに触らせたりはしない。楽園のようだったローマの城と同じように、自由なまま、ずっと俺の側で過ごしてほしい。

 ――この世界の誰よりも君を愛してる。

 俺の人生には……ジィナイースのような光が必要なんだ」

 向けられる言葉の情熱に、ネーリは言葉を失った。

 でも、分かる。

 ラファエル・イーシャは貴族のたしなみとしての表面的な感情で、今の言葉は言っていない。

 彼は変わった。

 ……そして、全く、変わってないのだ。

 十年前と、ネーリの周囲の環境は激変した。

 その中で、何か一つくらい変わっていないものがあって欲しいと密かに願っていたけれど、それがまさか、彼だとは思わなかった。


(海のように)


 ……海のように美しい、ラファエルの蒼い瞳。

 運命の波を越えて再び自分の前に現われた。

 過去を遡り、自分の無力さを嘆いて泣いていた、彼の前に膝をついて、告げてやりたかった。


【黄金の魂】


 水の幻視は十年後の天啓を告げていたのだ。


【黄金の魂を持つ光の子供よ!

 祝福を与える女神は、悪しき雷から汝の愛する大地を守るだろう!】


 ――サッ、と一瞬過った。

 水の幻視。

 ネーリは分かった。

 ラファエル・イーシャは、なにか、とても強い力で守られている。

 包まれ、守られているのだ。

 祖父もそうだった。

 敵船から雨のように矢が降り注いでも、ユリウスの身体には傷一つ付けられなかったという。

(大丈夫だ)

 ラファエルは、自分に関わっても、悪しき運命に巻き込まれて不幸になったりはしないのだ、とネーリには分かった。


「ラファエル」


 アデライードの前で、ネーリはラファエルの頬に両手で触れて、微笑んだ。

「僕も君が大好きだよ」

 彼女は小さく、息を飲んだ。

 ラファエルが誰かの纏う光に圧倒される様を、初めて見た。

 彼女にとって、太陽のような存在であるラファエルが、言葉もなく驚いている。



「君は会った時から、愛すべき魂だった」



 微笑んだネーリは自分から、優しくラファエルに口づけた。



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