第2話『|希望《あした》へ続く道』

 西宮院さんとの話も終わり、自宅まで車で送ってもらえる事になった俺は、夜の闇を駆ける車の中で託された物を握りしめた。

 しかし、刀の確かな感触を手で感じる度に、奇妙な感覚を覚える。

 不気味さとでも言うのだろうか。


 何故西宮院さんは俺に刀を託したのか。

 その理由が分からないのだ。


 俺に刀を託してどんなメリットがある。

 どんな利益を得る事が出来るというのだろうか。

 それが分からない。


 いや……どちらにせよ関係は無いか。

 もし、これが罠だったとしても、桜を救う手段が他に無いのなら、俺は進むだけだ。


 そして、俺を乗せた車は殆ど灯りの無い山の合間に到着し、俺を降ろして走り出そうとした。

 しかし、その前にここまでずっと無言であった運転手のすぐ近くの窓が開き、運転手が静かな目で俺を見つめる。


「……何か?」

「姫乃様は、貴方に希望を託されました」

「希望?」


 何のことだと一瞬考えたが、左手の中にある物だとすぐに気づき、それを軽く持ち上げる。


「そう。その刀は希望です。人類の希望」

「そんな物、俺は知りませんよ」

「……」

「あなた達が何を考えて、これを託したのか知りませんけどね。俺は俺の目的の為に使うだけです。俺の大切な物を守る為に、使う」


 強い決意と共に刀を握りしめれば、何故か刀も俺の意思に呼応する様に熱を持ち、すぐにでも俺を抜けと叫ぶようであった。

 しかし、流石にこの場で抜く事はあり得ないので、そのまま腕を下ろした。


「守る。そうですか……それは素晴らしいですね。期待していますよ。小峰亮さん」


 俺の言葉に、穏やかな顔で笑うと、その人はそのまま車を動かして去って行った。

 その姿は酷く気持ちの悪いモノであったが、どこか嫌な気持ちはしないのであった。


「お兄ちゃん!!」


 そして暗闇の中、静かに去ってゆく車を見送っていた俺は、背中から聞こえてきた声に振り返り、山崎のおばさんに支えてもらいながらこちらに歩いてくる桜を受け入れる。

 まだ一人で歩くことは辛いのだろうが、それでもこうして歩く事が出来ているだけで涙が出てしまいそうだ。


「ただいま。桜」

「おかえりなさい。お兄ちゃん」


 俺はふらついている桜に刀を持ってもらい、そのまま抱きかかえてお爺ちゃんが残してくれた家に向かって歩くのだった。

 歩きなれた道だから、夜の闇が支配している中であっても転ぶような事は無い。


「……お兄ちゃん。これ、なぁに?」

「あぁ、まぁ、入場チケットかな」

「へー。随分大きいんだねぇ」

「俺用だからな」

「……お兄ちゃん。何処かに行っちゃうの?」


 敏感に俺の言葉から違和感を拾い上げた桜が寂しそうな顔で俺に問うが、その心配は無意味だ。

 俺は桜を安心させる為に笑顔を作って、ハッキリと想いを告げる。


「大丈夫。俺は何処にもいかないよ。行くとしても桜と一緒だ」

「っ! ……そっか。なら良いや」


 そして、桜と共に自宅へ入った俺は、今日あった事と、これからの事を話すべく山崎さんご夫婦に話をする事にした。



 同じ木造でも、西宮院さんの家とは違い、やや狭い我が家は玄関から入ってすぐ右手に客間があり、山崎さんご夫婦とはそこで話をする事になった。

 大きな木のテーブルを挟んで向かい合う山崎さんご夫婦は家族を亡くした俺達にとっての両親の様な存在だ。

 不義理な真似はしたくない。


「亮。話してくれるか?」

「はい」


 俺は、静かに……深く息を吐いて、山崎さんご夫婦を見据えた。


「桜の状態について、西宮院姫乃さんという人に様々な事を聞いてきました」

「あぁ」

「それで……まず、お話しないといけないのは、桜の体がまだ完全に治った訳ではないという事です」

「「っ!」」


 二人は俺の言葉にまさかとばかりに目を見開いた。

 隣に座っている桜は平静を保っている様に見えるが、表面上だけだろう。


「では、その西宮院さんは、どうなると?」

「このまま何もしなければ再び元の状態に戻ると……そう聞きました」

「そんな……! せっかく……!」


 悲痛な声を上げる山崎のおばさんに、俺も胸の奥で痛みを感じる。

 だが、ここで話を止めてはいけないと拳を強く握りしめた。


「しかし、助かる方法はあります」

「それは?」

不帰の森かえらずのもりという場所に行きます」

不帰の森かえらずのもり?」

「はい。中へ足を踏み入れれば、ここでは無い世界……異世界へ行ってしまうという場所です」

「……! そんな場所へ行く事にどんな意味がある」


 怒りを滲ませて、怒鳴る様な勢いで俺に言葉を向ける山崎のおじさんに俺は静かな視線を返した。


「桜は、この世界で生まれた子ではありません」

「っ!」

「五年前に起こったあの事故で、俺が……森で助けた子です」

「まさか、あの時の森が……その不帰の森かえらずのもりだと言うのか」

「はい。西宮院さんの言葉を信じた理由もそこにあります」


 そう。

 かつて俺も、一度だけ踏み入れた事がある。

 そして桜を女性から託された時、一瞬の事だったが、見たのだ。

 戦国時代の様な城と空を飛ぶ巨大な生き物の姿を。

 燃え盛る何処かの部屋から。


「あの時見た物を夢だったとは思えません」

「しかし、お前は事故に遭った直後だったのだろう? ならば夢かもしれない」

「ですが、ここに桜は居ます」

「っ、それは」

「あの時、どれだけ調べても桜の事は何も分からなかった。それが答えではありませんか?」


 俺は深く息を吐きながら、言葉を無くしている山崎ご夫妻を見て、それから隣に座っている桜を見た。

 桜は本当に何でもない事の様に落ち着いており、少しだけ不安になる。


「桜? 大丈夫か?」

「え? うん。大丈夫だよ」

「本当か? 苦しいとか、悲しいとか、大丈夫か?」

「……私は大丈夫だよ。お兄ちゃん。だって、どんな過去があっても、ここにお兄ちゃんがいる。桜がいる。それが全てだもん」

「そうか」


 良い子だ、と桜の頭を撫でながら俺は笑みを零した。

 そして、少し落ち着いてきたのか再び話が出来る状態になった山崎ご夫妻へと視線を戻し、俺は再び口を開いた。


「山崎さん。お二人に今日まで親代わりをしていただいた事、深く感謝しております」

「そんな言い方をするな。亮」

「おじさん……!」

「例え、どれだけ離れたとしても変わらん。お前たちは小峰の子供であり、俺達の子供だ」


 山崎のおじさんの言葉に、思わずほろりと涙が零れた。

 強くありたいと願っていても、まだ弱い俺の心は、立ち止まってしまいそうになる。

 しかし、駄目だ。

 止まってはいけない。


「ありがとうございます。出発は明後日の朝になると思います」

「分かった。俺達も出来る限りのことはしよう」



 そして、全ての話が終わり……。

 俺は桜と共に縁側に座り、空に浮かぶ月を眺めていた。


「桜。悪いな」

「何が?」

「実はお兄ちゃん……言ってなかった事があってな」

「……向こうの世界に行ったら、もう二度と帰れないって事?」

「気づいてたのか」

「分かるよ。お兄ちゃんの事だもん」


 桜は隣に座る俺に寄りかかり、空を見上げていた。

 重さを殆ど感じない小さな体で、どれだけ苦労をさせてしまっただろうと、また苦しさを感じるがそれを飲み込む。

 そして、桜の不安を吹き飛ばす為に、俺はあえて明るく言葉を掛けるのだった。


「まぁ、でも、そんなに怖がらなくても良い。お兄ちゃんは強いからな。桜も知ってるだろ?」

「うん。剣道で世界一でしょ?」

「いや……世界で一番では無いんだが、まぁ似た様な物か」

「私のお兄ちゃんは昔からずっと、一番だよ」


 小さく笑いながら桜が言った言葉に、俺は「そうだな」と頷きながら桜と共に大きな月を見上げるのだった。

 もう二度と見る事が出来ないかもしれない月を。


 そして、二人で静かにそのまま月を見ていたのだが、不意に桜が思い出したかの様に口を開いた。


「そういえばさ。お兄ちゃん。せーぐーいんさん? の所から貰って来た奴、使ってみなくても大丈夫?」

「……あぁ、そう言えばそうだな。武器は武器なんだから使えるか確かめてみるか」


 俺は桜の言葉で部屋に置いてあった刀を取りに行き、それを持ったまま縁側から外へ出た。

 サンダルで刀を持つというのも、あまり格好の良いものではないが、まぁ良いだろう。


「ふふ。お兄ちゃん。格好いいよ」

「そうか?」


 俺は左手で刀の鞘を握ったまま鯉口は切らずに軽く構える。

 そして左手で軽く押し出して、刀を勢いよく抜き、軽く振り下ろした。

 想像よりも軽く、振りやすい刀に驚きながら二度三度振るって、再び鞘に納めるのだった。


「うん。問題なさそうだな」

「……」

「どうした? 桜」

「っ! ううん。お兄ちゃんが格好良くて見惚れてた!」

「ははっ、桜は上手いな」


 俺は笑いながら月明りに照らされた桜を見据えた。

 夜闇の中に居てもハッキリと輪郭の分かる栗色の長い髪を微かな風に靡かせて、月の様に美しく輝く金色の瞳を持つまだ小さな可愛い妹を。


「桜」

「なぁに? お兄ちゃん」

「桜の事は必ず俺が守るからな」

「……ありがとう。お兄ちゃん。ずっと一緒に居ようね」


 桜の言葉に合わせて風が吹き、空に花びらが舞い上がった。

 始まりを俺に教える様に……。

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