異界冒険譚

とーふ

第1話『|不帰の森《かえらずのもり》』

 俺の大切な妹、桜は病気であった。

 原因は分からない。

 ただ、どんな名医でも、桜の病気を治す事は出来なかった。

 それだけが事実であった。


 息をするのが苦しそうだった。

 しかし、何も異常はない。


 歩くだけで辛そうで、走る事なんて出来ない。

 しかし、何も異常はない。


 何も異常が無いなんて、そんな訳が無いのに、何も出来ない日々が続いた。

 辛そうな顔をしている桜を見て、己の無力を嘆いた。

 せめてその苦しみを俺が変わってやりたいと、神に祈った。


 だが、世界は何も変わらず、俺は何事もなく生きていて……桜は苦しんでいた。


 もうこのままずっと桜は苦しいままなのかと絶望していた俺の前に、ある時突然希望が降りてきた。

 希望の名は西宮院姫乃さんといった。


 彼女は、何の前触れもなく俺達の家にやってくると「運命を繋ぎに来ました」と言った。

 その言葉の意味は分からないけれど、彼女が桜に触れるだけで、桜は呼吸が楽になったと言い、布団から立ち上がった。

 そして、西宮院さんに支えられながら、俺の傍に来ると自分の足だけで立ち、笑ったのだ。


 あの時の桜の笑顔は忘れられない。

 俺も自分自身の涙を抑える事が難しかった。


 しかし、話はこれで終わりにはならなかったのだ。


『どういう事ですか。桜の病気が治った訳じゃないって』

『そのままの意味です。小峰亮さん』

『……!』

『小峰桜さんは病気ではありませんでした』

『では何故! 何故桜は!』

『彼女はこの世界で生まれた者では無いからです。それは貴方もよくご存知でしょう』

『っ、それは……』

『私は切れかけていた小峰桜と異界の縁を繋ぎました。しかし、それだけです。時が過ぎれば縁はまた遠のいてしまうでしょう』

『ならば、どうすれば良いのですか!』

『彼女を元居た世界へ戻すのです。それ以外に道はありません』

『……』

『無論、返さないという選択もあるでしょう。その場合、彼女は再び同じ状態に戻るだけです』


 西宮院さんは久しぶりに穏やかな顔で寝ている桜の隣に座りながら俺を見て、ハッキリと告げた。

 感情の宿らない瞳で俺を貫き、重い言葉を託す。


『決めるのは貴方です。桜井亮さん』


 あぁ……。

 そんな事、言われるまでも無い。

 俺の選択など1つだけだ。


 桜を助ける。


 それ以外の選択肢など俺には存在しない。

 存在してはいけない。

 だから、即座に俺は西宮院さんに叫んだ。

 異界に行く方法を教えて欲しいと。


 その答えに西宮院さんは穏やかに笑って頷き、俺は彼女と共に西の都まで行く事になった。

 元気になった桜を隣家の山崎さんに頼んで。



 それから俺は慣れない長旅をして、西宮院さんの実家であるやたらと大きな屋敷にやって来た。

 そして客間で西宮院さんに1つの資料を渡される。


「これは?」

不帰の森かえらずのもりの資料になります」

「……不帰の森かえらずのもりですか」

「はい。かの森は異界に繋がっておりますので、様々な事件が起きているのです」

「……」

「脅す訳ではありませんが、前提の知識は必要でしょう?」


 静かな瞳で俺を見据える西宮院さんに、俺は自分の中にある弱さを見抜かれた様な気がして、心を落ち着かせる為に深呼吸をした。

 そして、落ち着いた心で西宮院さんから渡された資料を受け取る。


「私は外に居りますので、中身を読んで覚悟が決まりましたらお呼び下さい」

「……覚悟」

「はい。覚悟です」


 俺は西宮院さんが去って、静かになった部屋の中、一人呟く。


「……覚悟か」


 何度問われようが関係ない。


「桜が、笑って生きていける場所。それが全てだ」


 誰も居ない部屋の中で呟いた言葉は誰にも届かず消えて行ったが、俺の胸には確かな火を灯した。

 そして、俺は確かな決意と共に資料を開く覚悟を決めるのだった。



不帰の森かえらずのもり


 そう表紙に記された資料はかなりのページ数があり、それなりに重さがある。

 無論、片手であろうと持つことは容易だが、この資料の重さは物理的な重さだけじゃない。

 俺の中にある『弱さ』が、資料を捨ててしまいたいと思っているからこそ感じる重さでもあった。


 しかし、読まなくては前に進むことなど出来はしない。

 俺は深く息を吐いて、左手で一枚のページをめくる。


『かの森が不帰の森かえらずのもりなどと呼ばれる様になったのは最近の事である』

『だが、かの森で行方不明となった事件は近世だけではなく、遥か太古から起こっていた事であった。西宮院家で確認出来た最も古い事件は戦国時代のものである』


 昔の人々はかの森を『異界への入り口』と呼び、恐れていたという。

 だが、まぁ……どれだけ付近の村人が恐れていたとしても、所詮は田舎者の戯言だ。

 国が近代化してゆくにつれ、彼らの言葉は古き時代に取り残された者の言葉として、無視されていった。

 しかし、そんな認識を大きく変える出来事が起こった。


 元海軍大尉の須藤健二氏行方不明事件である。


 無論世界大戦の直後に起こった行方不明事件など、神隠しというよりは、人為的な事件だと考える方が自然だ。

 しかし当時の西宮院家が、須藤大尉と同じ『雪風』という艦に乗っていた『神崎』という男に調査を頼まれ、調査を行うと奇妙な事が明らかになった。


 そう。須藤大尉が何らかの事件に巻き込まれた可能性が非常に薄いという事実だ。


 須藤大尉は相当な武闘派であったらしく、軍刀を持てば負け知らずで、素手であっても武器を持った複数人相手に無傷で完勝する程であったという。

 しかも、須藤大尉が最後に目撃されたのは例の森が近くにある田舎の村だ。

 何かがあったとは考えにくいだろう。


 そこで別の可能性として、自殺の可能性について当時の西宮院家も考えた。

 それは調査の中で知った事実だが、須藤大尉が空襲で家族を失い、天涯孤独の身となっていたからだ。

 しかし、それは調査を依頼した神崎氏によって否定される。


 須藤大尉には終戦後に結ばれた女性が居たからだ。

 しかも直接話した神崎氏によればとても仲睦まじい様子で、とてもじゃないが自殺をするとは思えないと。


 それから調査を進めて、自殺の可能性に関しては、ほぼあり得ないだろうという結論が出た。


 ここまで来て、残されたのが……神隠しの可能性である。


 西宮院家も、残された可能性を考え森を調査しようとしたが、調査困難という結論を出し調査を中断した。

 理由は『かの森は神域である。扉を開けば二度と戻れない』と。


 この調査結果に納得出来なかった神崎氏は、独自に森を調査したが、何も見つからず時ばかりが過ぎて行った様だ。


 それから時は流れ、現在から約二十年前。

 神崎氏の息子である『神崎誠一』という青年が森に興味を持ち、父の無念を晴らそうと森を調べるべく足を踏み入れた。


 そして……彼はアッサリと、何の前触れもなく、唐突に行方不明となった。


 神崎氏は息子を探す為森へ人を送り、警察や救助隊など多くの人間を導入して神崎誠一さんを探した。

 しかし、約二カ月に及ぶ大捜索の末、発見したのは彼が森で落としたと思われるライターだけであった。


 その後、神崎氏は失意の中で生活していたが……ある時「息子と話した」「息子は元気だった」等とありもしない事を言い始め、神崎氏の精神状態を考え、それ以降の調査は行われなかったらしい。


 そして、この事件は神崎誠一さん神隠し事件として語られる様になり、元々の事件である須藤大尉行方不明事件と合わせて、神隠しの森行方不明事件と呼ばれる様になるのだった。


 資料を全て読み終えた俺は資料をテーブルの上に置き、右手で両目を覆ってから深く息を吐いた。


「神隠し。行けば二度と戻れぬ場所。か」


 誰もいない部屋の中で呟いた言葉は静かに響き、生まれたばかりの感情を大きく揺さぶる。

『恐怖』

 言葉にすれば容易い。

 しかし、胸の内で暴れる感情を表現するには少し足りない。


「だが、恐れて立ち止まる事など出来ない」


 そうだろう? 小峰亮。

 と、自分に言い聞かせて、俺は震える足を叩き、立ち上がると部屋の外に声を掛けた。


「西宮院さんを呼んでくれ」

「はい。私はここに居ますよ」

「……居たのか」

「えぇ。貴方の覚悟が鈍らない様にと」

「ありがたい話だ」


 俺は心を見透かす様な笑みを浮かべている西宮院さんから視線を逸らし、小さく息を吐いた。


「西宮院さん。俺はこの世界に二度と戻らない覚悟を決めた。異界に行く方法を教えてくれ」

「分かりました」


 笑顔で頷く西宮院さんに大きな屋敷の中を案内され、俺は1つの暗い部屋の中に入った。

 そこは日の光が入らない場所だというのに、何故か温かくて、安心出来る。


「異界へ行く為には、異界への道を開く必要があります。今のまま森へ行っても桜さんだけが異界へ行く事になるでしょう」

「……」

「ですから、亮さんにはこれを差し上げます」


 灯りも付けずに暗い部屋の中で西宮院さんは、長い棒の様な何かを両手で掴み、俺に向ける。


「これは……?」

「須藤さんを捜索した際に、森の中で見つけた二刀のうちの一刀です」


 西宮院さんの言い方でそれが刀だという事を理解し、差し出された刀とは別の刀の行方は何となく理解した。


「ありがとうございます」

「いえ。構いませんよ」


 暗い部屋の中で刀を受け取る瞬間に見えた西宮院さんの表情は、何故か酷く申し訳なさそうで……その表情に違和感を覚えつつ、俺は刀を強く握りしめた。

 もはや関係ない。

 この道の先がどんな場所だとしても進む事に決めたのだ。


「もう夜も遅いですし。お家まで送らせていただきますね」


 例えこれが誰かの罠であろうと、このままこの世界で出来る事はない。

 桜の未来がそこにあるのなら、俺はただ進むだけだ。


 決意と共に握りしめた刀が僅かに熱くなった様な感覚のまま、俺は西宮院さんと共にその部屋を出てゆくのだった。

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