【短編】かじかむ手、幸せのポケット

吉乃直

かじかむ手、幸せのポケット

 新雪が積もる元日。


 おせちをお腹いっぱい食べた私はお兄ちゃんと一緒に近くの公園まで遊びに来た。


 みんな家でごろごろしているのか真っ白な公園には人の姿どころか、私たち以外が来た痕跡もない。


 初日はつひの朗らかな温かさと頬を撫でる寒風、そして一面の銀世界に毎年のことながら非日常感を覚える。静けさも相まって、まるでお兄ちゃんと二人っきりでどこか別の世界に迷い込んだ気分だ。


 乾いた空気を思いっきり吸うと肺がひんやりとして、お雑煮で温まった体に沁み込んでくる。


 温かいと冷たいで言い表しようのない心地よさを覚える。もしかしたらサウナの『ととのう』と同じ感覚なのかな。


 なんてことを考えながら軽く体を伸ばして、さっそく雪の絨毯じゅうたんに飛び込んだ。コート越しに雪の冷たさが伝わってくる。


「相変わらず蓮葉はすはは子どもっぽいなあ。今年で中三だろ?」


「年齢は関係ないよお兄ちゃん。こういうときは全力で楽しまなきゃ!」


 先ほどまで隣を歩いていた、そして雪にダイブした私を呆れたように見るお兄ちゃんにモットーを叫ぶと「去年も聞いた」と素っ気なくあしらわれる。


「それにお兄ちゃんだって、高校生のときは私と一緒に飛び込んでだじゃん」


「一年のときだけだし、蓮葉にあわせただけだよ。大人はもう雪じゃはしゃがないの」


「大人って、今年で大学一年生じゃん」


「まあそうだけど。少なくとも蓮葉に比べたら十分大人だ」


「もー、いじわる」


 私は素手で雪をかき集めて雪玉を作りお兄ちゃんに投げる。けれどコントロールが悪く明後日の方向に飛んで行った。


 うぅ、こんなところで運動音痴が邪魔するなんて。


 唇を噛むとお兄ちゃんは「はっはっは」とわざとらしく笑ってみせた。


「そんなコントロールじゃお兄ちゃんを倒すことはできないぞ」


「むぅ……! それじゃあこれならどうだー!」


 私は両手で雪をすくうようにして、打ち水のように辺り一面に雪を撒き散らした。


 これならコントロールなんて関係ない! と思ったけど想像以上に上手くいき、顔面に雪をくらったお兄ちゃんは「冷たっ⁉」とやたら高い声で叫んだ。


 お兄ちゃんの反応にお腹から笑いが込み上げてくる。


 お兄ちゃんは寒い……というか冷たいものが苦手だから、効果はばつぐんだった。


「んふふ――ひゃっ⁉」


 口を押えて笑っていると急に雪玉が飛んできて、ニット帽をかぶった頭に当たってばさっと崩れた。


 見るとさっきの私のように雪を丸めたお兄ちゃんが、得意げに笑っている。


「どうだ、元野球部のコントロールは」


「お兄ちゃん、大人げない」


「勝負とは無情なものなんだよ、蓮葉」


 そう言いながらも、当たっても痛くないようとても柔らかく雪を握っているからお兄ちゃんは無情とは程遠いと思う。


 言うと照れちゃうから言わないけどね。


 それからは軽く雪合戦をしたり、雪だるまや雪ウサギを作ったりしてお兄ちゃんと雪を満喫した。


 どれくらい時間が経ったのだろうか。すっかり公園に来た時よりも日の位置は高くなり、ふと視界の端に意識を向けるとちらほらと道を行く人の姿を見かける。


 お兄ちゃんもそれに気づいたのか、少し恥ずかしそうにしてから服についた雪を払って「べつにはしゃいでませんけど?」みたいな態度を取った。


 べつに大学生(まだ高三だけど)だって雪で遊んでいいのに。まったく、お兄ちゃんはかっこつけだ。


 ふとお兄ちゃんはポケットからスマホを取り出す。お母さんたちから連絡でもあったのかな。


 なんて考えているとお兄ちゃんはスマホの画面をこちらに向ける。


「もう十一時過ぎてるぞ。そろそろ帰ろうぜ」


「え、もうそんなに経ったの?」


 おせちとお雑煮を食べて、家を出たのは九時くらいだったはず。もう二時間も遊んでいたらしい。


 あーあ。楽しい時間は本当にすぐ過ぎちゃうなあ。


「――くしゅんっ」


 時間の経過を意識すると、途端に寒さに襲われくしゃみが出た。


 防寒具もすっかり雪で濡れているので役目を果たせていない。いや、だいたい私のせいだけどね。でも楽しさの前に躊躇ちゅうちょなんてできるわけがない。


「これ以上は風邪ひくし、帰るぞ蓮葉」


「うん。じゃあお昼ご飯食べて体が温まったらまた遊ぼうね」


「さすがに午後は家でゆっくりさせてくれ……」


 お兄ちゃんは疲れた様子でそう言った。元野球部と得意げに言っていたのに体力ないなあ。


 しかたない。午後はお兄ちゃんと一緒にゲームでもしよう。


 私も体中の雪を払ってからお兄ちゃんのもとに駆け寄る。


「お兄ちゃん、手ぇ冷たい」


 すっかりかじかんで赤くなった手を見せると、お兄ちゃんは呆れたようにため息をこぼす。


「素手で雪を触るからだろ。まったく、毎年注意してるのに手袋もつけずに……」


「だって素手のほうが力加減とか簡単だし」


 毎度お馴染みの理由を答えると、お兄ちゃんはもう一度「まったく」と漏らした。そしてポケットからカイロを取り出して差し出してくる。


「ほら。家に帰るまでこれで我慢しろ」


「ありがとお兄ちゃん。けど一個だけじゃ片手しか温まらないよ」


「どうしてそうなる。両手で持てばいいだろ」


「それじゃあ空気に当たってすぐ冷めちゃうじゃん」


 だからさ、と言って私はかじかんだ左手をお兄ちゃんに差し伸べる。


「お兄ちゃんの手で温めてよ」


「……はいはい、わかったよ。このわがまま妹め」


 ため息をついてからお兄ちゃんは私の手を握ると、そのままコートのポケットに突っ込んだ。


 すっかり冷えているからか、お兄ちゃんの手がとても温かく感じる。


 ほんとは、こうしてお兄ちゃんと手をつなぎたいから素手で雪遊びしてるんだけどね。


 いつ頃からだろうか。たぶんお兄ちゃんが中学校に上がってからしばらくして私と手をつないでくれなくなった。ケンカとか仲違いとかはなかったので、だいたい思春期ならではの羞恥心が理由だと思う。


 自分で言うのもあれだけど、私はお兄ちゃんのことが大好きだから手をつないでもらえなくてとても寂しい思いをした。


 けどこうして雪で遊んで手がかじかんだときは、お兄ちゃんはこうして手をつないでくれる。優しく手を握ってくれる。


 そしてお兄ちゃんも、きっと私の考えをわかったうえで受け入れてくれる。手を温めるっていう建前があるからと恥ずかしさを誤魔化して。


 不器用でかっこつけで、だけど優しい。そんなお兄ちゃんが大好きで、お兄ちゃんと手をつなぐ機会をくれる雪も好きだ。


「ふふっ」


「? なんか面白いものでもあったか?」


「ううん、なにもー?」


 思わずこぼれた笑みにお兄ちゃんは不思議そうに首を傾げた。


 そんなお兄ちゃんの反応にまた頬が緩むのを感じながら、ポケットの中でつないでるお兄ちゃんの手を離さないようにきゅっと握った。


 ポケットの中の幸せに、私はまだ家についてほしくないなあとぼんやりと考えた。

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【短編】かじかむ手、幸せのポケット 吉乃直 @Yoshino-70

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