第6話 良い先生

私の運命というか、宿命というか。

幼稚園の時から、先生を値踏みする癖がありました。

どんな先生なのかというのはもちろん、先生可哀想だなと思うことが多かったです。


私自身は先生に恵まれたし、他の人にとっても悪い先生というほどの人はいなかったと思います。

ですが、私の先生への無意識の観察はとまりません。


特に、先生が”その子のことを知らない”というのがなんとも悲しいと思っていました。

だからといって、私が何か口を挟むことはなく自身の生徒時代は終わりを迎えます。


その後、大学や会社では良き師たち、大人に出会いました。

私自身は、学校より大学・社会の方がおもしれーな、と思うような人間でした。


最初に勤めた会社は金融でしたが、支店長から「夢は何だ」と聞かれました。

「夢がないと人間は生きられないんだぞ」と言われて、歩合制の営業成績が全ての世界で変なことを聞くなあと思いましたが、唐突に聞かれて答えたのは「学校を作りたい」でした。


私にとって、学校はまあまあ良かったのですが、大学が一番好きで、もっと早くから大学のように勉強はできないのかという妄想がありました。


私は高校時代、高専に進みましたが、途中で理系でないと気づき、中退して予備校に通い、当時の大検を受けて大学進学をしました。

だからいわゆる一般的な高校生活がありません。


ただ、予備校が楽しかったので、それで良かったと思います。

先生が翻訳家だったり、アフリカでフィールドワークをする研究者だったりと、勉強しながら世界の広がりを感じられたのです。


そういう体験を義務教育中にできないものか。

そんな欲がありました。


さて、そこから私は転職し、塾に勤め始めます。

ここでも運良く師に恵まれ、学ぶ側の子どもの意識を向ける方法は見つかりました。

あとは、子どもたちに接してくれる面白い大人たちを引き合わせるだけです。


ところがここで挫折します。

大人が、病んでいるのですwww


すみません、語弊がありました。

子どもに近い大人は、疲れていて余裕がありません。

余裕がある大人は、子どもから遠い。

そして、子どもたちに実際接している大人は玉石混交。

石を取り除くだけでだいぶ時間を取られました。


私は途方に暮れました。

そして一旦教育を離れて、良き大人と子どもを繋ぐ方法はないのかと、考えることにしました。


幸い、やはり人に恵まれ、良き大人は普通にいると確信しました。

さらに、意識の高い人はすでに自分で機会を作って若年層にアプローチしています。


と、安心材料は見つかりましたが、結局、手段がわからない。

自分一人がこんなことを考えてウロウロしていて何になるのかと、暗澹たる気持ちや自棄糞になったことも一度や二度ではありません。


あんまりにも見当がつかないとき、人は神頼みになりますw

私は横浜の媽祖廟で占いをしました。

そこで「好きなことをやりなさい」という言葉がでたので、もはやそれを信じて、小説を書くことにしました。


最初にできた作品はBLですw

大丈夫かな、と思いました。

教育から離れてるやん、とwww


ですが一年後の今、出来上がった小説を見直すと、全てに私自身のテーマと私の人間観、教育観が入っていることに気づきました。


私は一年間かけて、200万字以上の字数を費やし、自分という人間と人生の展望を明確にしてきたのです。


そして12月31日、車を運転しながら、ふと、ある人について「先生に向いているな」と思いました。

未だに良い先生を探しているなんて、バカバカしいと思いましたが、どうして自分が幼少期からずっとそこまで先生にこだわるのか不思議でした。


ですが、ついに至りました。

なるほど、私は「一隅を照らす」存在を「先生」と呼んでいたようなのです。


その先生たちとは、「物を書く人」たちであり、皆さんのことです。

自分を見つめ、言葉で社会に直接働きかけている人たちです。

その筆先から生み出される文字が、誰かを必ず励ますだろうと”見えた”のです。


子ども直接でなくていいんです。

娯楽作品で気晴らしができて、その一瞬いい気分になるだけでもいいんです。

大人が一人、明るいだけで、その周りはほんのり明るくなります。

今はまだ、明滅するかもしれませんが、それでも全然良い。


筆を取ってほしい。

みなさんにしか書けないものを書いてほしい。

立派な作品、立派な人格など求めていません。

完璧さが感動を呼ぶこともあれば、圧迫することもあるのですから。

みなさん自身の個性が輝くものが見たいのです。


その葛藤が誰かの勇気に変わる。

その悩みが誰かの癒しになる。

その苦しみが人間の真理を伝える。

その情熱が誰かを動かす。

その優しさが誰かを救う。


作品が読まれないことなど、ささいなことです。

作品が出来上がったとき、自分がもう作品です。


自分の口から出る言葉、表情、態度、考え方、それらは全て作品に通じているのですから、自分が誰かに接しただけでもう、作品を読まれたも同然です。


私は近況ノートが好きなんですが、作品より近況ノートの方が魅力的な人、いますよね(笑)。

作品が悪いんじゃなくて、そこが人間の複雑で面白いところだと思います。


何が言いたいかわかんなくなってきたのでまとめますが、みなさまのような物書きさんには、自分らしく頑張っていただきたい、ということです。


また、私個人としては、自分と同じような志の方と活動したいと願っています。

何をするとはまだ思いつきませんが、良かったらどうぞよろしくお願いします。



2025年1月1日

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