壱原 一

 

前夜から明け方に掛けて、人の目の閉じている間に、そそくさと掃除を済ますように、空から大量の雪が降った。


溜めに溜め込んだ塵や埃を、威勢よく払い、掃いた風に、わっと広がり、方々に散り、大振りの粒にまとまった、綿か紙くずめいて見えて、それよりずっと重やかに、飛び下りる速さで降り続いた。


人恋しげに手と手を取り、身を寄せ合ってひしと抱き、至る所でひしめいて、白々とおい陽の上がった、骨まで凍る昼前には、腿の辺りまで堆積して、みっしり寝静まっていた。


ポットに入った熱い汁と、おにぎりと、塩辛い菜漬を少し、冬の始めに連れ合いを亡くし、独りの祖□と食べておいでと、親に言い付けられて、息を切らしてひた歩く。


一面を覆う結晶は、僅かな陽光も貪って、狂い咲きの如く打ち光り、弾けんばかりに満ちた寒気は、耳当て付きの毛糸帽の、ほんの縫い目の隙間まで、抜かりなく貫いて肌を刺す。


しんしん浸みる冷気の渦に、縮み上がった鼻の穴は、ただただ寒さと水気の他は、いかなるにおいも嗅ぎ取らない。


ぎらぎら反射の目眩めくるめく、静まり返った銀世界を、己の足が雪を踏む、ぎゅうっ、ざっ、ずぼっの健気な音と、ふうはあ棚引く息の音、それからそれらの間にある、抱えた包みの中で鳴る、ポットに入った汁の揺れと、おにぎりと菜漬のアルミ箔の擦れの、毛糸帽の耳当て越しに聞く、仄かな音に耳を澄ます。


時おり平衡感覚を失し、つんのめりそうになりながら、真昼の夢中を歩く心地で、えっちらおっちら漸進する。


先を杉林に囲われた、なだらかな原っぱに差し掛かり、ここを過ぎればあと少しと、立ち止まり、溜め息を吐いた途端、やあやあ、やっと追い付いたと、喜び勇んで跳び掛かるように、傍らのなだらかな積雪が、ぼっ!とくぐもった音を立て、狭く、深々と凹んだ。


かなり重量のある石を、力自慢の成人が、全力で投げ付けた風な、速く、意志のある音調で、辺りに家や高枝はなく、上に鳥や飛ぶ物もなく、後にも先にも1回切りで、なにか動物とも思われない。


ぎっしり押し詰まった雪へ、道なりに、腿まで突っ込んでいて、丁度、横手に穿たれた、不思議な凹みを覗くには、恐る恐る雪面に手を突き、へっぴり腰に腰を折り、うっかり体重を掛け過ぎて、雪の中へ沈み込まぬよう、腹をぎゅうっと締めながら、背から首から、伸ばさねばならない。


殆ど風も吹かぬ昼前、白く輝く雪原の中、深く凹んだ雪穴は、薄ら青い入口から、鼠色へと色を増す、底知れぬ内部に続いている。


ふうはあと行軍に喘ぐ己の呼吸を聞きながら、利き手に包みを抱え直し、残る手を雪面にそっと置き、腰を折り曲げて穴を覗く。


幼い子供の拳ほどの、狭く、小さく、深い凹みは、きっと、黒い土の地面が、見えていなければおかしい位、どこまでもどこまでも続いていた。


けれど、どうしてか、一向に、地面のじの字も見せぬまま、素知らぬ風情で、延々と、深い鼠色の雪の穴を、甚く真っ直ぐ、整然と、どこか澄まして明かしていた。


*


余りに帰りが遅いので、訝しんだ親が見に来た時、日暮れのなだらかな原っぱで、横手に身を曲げ、雪へへばり、微動だにしていなかったらしい。


凍えて、あちこちが傷んで、結構な騒ぎになったものの、当の自分はけろりとして、暫し拝んだ不思議なものに、しみじみ思いを巡らせる、ひと冬の病床を過ごした。


以降、残滓が去らぬのか、縁が出来たのか知れないが、空から大量の雪が降り、あの日の如く積もる前は、遠くでぼっ!と凹む音が、遥か記憶の彼方から、微かに、鮮やかに聞き取れる。


今夜はきっと大雪が降る。


穴はあれきり見ていない。



終.

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壱原 一 @Hajime1HARA

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