金継ぎ

ぬはは

 椿姫つばきの横顔はいつも完璧だった。陶器で作られたように冷たく、滑らかで、ひとつの傷も見つけられない。幼い頃から、あの顔には幾度もなく救われてきたはずなのに、今の私はその顔を見る度に、ひどく腹立たしくなる。いや、腹立たしくはないのかもしれない。自分が、ただただ自分がその顔を独占できないという現実が、私の全身を灼き続ける。


──────


 初めて椿姫に出会ったのは、小学校の入学式の朝だった。私はその頃から泣き虫で、母に手を引かれながら校門に向かう途中、転んで膝をすりむいてしまった。膝から滲む血に耐えられなくなって泣き叫んでいた時、椿姫がひょっこりと現れた。


「大丈夫?」


 その声に顔を上げると、椿姫が手にハンカチを持って立っていた。長い黒髪が光を受けて輝き、艶やかに煌めていた。彼女は無言で膝を拭い、優しく微笑んだ。その笑顔を見た瞬間、胸が強く締め付けられるような感覚を覚えた。


 それが一目惚れだったのだと気づいたのは、もっとずっと後のことだ。その時の私はただ、彼女のそばにいれば安心できるような気がして、椿姫の後を無意識に追いかけていた。


 それからずっと、椿姫は私の「完璧」だった。泣き虫で弱かった私を、ただ笑って受け止めてくれるのは椿姫しかいなかった。彼女の黒い髪が光を吸い込むように揺れるたび、私の涙は知らないうちに乾いていた。


それがどうしてこんな気持ちを抱くようになったのか、今でも分からない。


──────



 椿姫は目の前で静かに笑っている。その笑顔は幼い頃から高校生になった今になっても、少しも変わらない。少し首を傾げて、伏し目がちに。人形のように整った顔立ちが、私の苛立ちをさらに煽った。


「……煌華こうか、大丈夫?」


 その声が私の心を、そっと撫でる。それは優しさでもあり、憐れみでもある。


「うるさい」


 飛び出した言葉。醜悪の取り繕いを放棄した自分と、私の恋情を永遠に汲み取れない椿姫に、にぎりしめた両手が震える。その椿姫は目を丸くしていたが、微笑みは絶やしていない。それが余計に腹立たしい。もっと怯えたらいい。もっと私を拒絶すればいいのだ。


「……ごめんね、私、何かしちゃった?」


 椿姫はそう言って、少しだけ眉を寄せた。

 ごめんね、だと?それは私の言うべき言葉ではないのか?私の中に渦巻くこの黒い感情を、あなたは否定しなければいけないんだぞ?そうして倒れた私に唾を吐き捨てて、振り返りもせずに踏み越えていかねばならないのだぞ?


「黙れ!」


 私は叫んだ。次の瞬間、椿姫の完璧さが欠けた。私がやったのだ。私が椿姫を殴ったのだ。彼女の陶器のように滑らかな肌に赤い痕が浮かび上がる。その赤さが目に飛び込んだ瞬間、私の胸は何か鋭いもので突き刺されたように痛んだ。しかし、その痛みがすぐに怒りに取って代わる。


 椿姫は倒れることもなく、私の方をじっと見つめている。片手で頬を押さえながら、彼女はもう一度微笑んだ。そう、その完璧さだ。それが、私を狂わせる。取り除かなくてはならない。もう一度だけ殴って、彼女を怒り狂わせてやろう。


「本当にごめん、煌華。私、どうすればいいか分からなくて……」

「でも、煌華に嫌われたくない。私の、何がいけないの?」







 ふふっ、ふふふふふふ。私が悪いのだ。私が、私が。一目惚れだと知ったときから、分かっていたじゃないか。頭の中にこだまする自嘲が止まらない。分かっている。痛いほど分かっているのに、私はまた拳を振り上げた。


「黙れって言ってんだろ!」


 陶器の肌に、また傷をつける。彼女の頬に、鼻に、口元に。拳を振り下ろすたび、赤い痕が増える。黒髪が舞う。彼女をひび割れに貶める。


 それでも、椿姫は倒れない。抵抗もしない。ただ、私を見つめている。その視線に私の全てが壊されるような気がして、止まらなかった。

 彼女の目は濁っていない。


 それが分かるたび、私はまた拳を振り上げた。


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金継ぎ ぬはは @Fururu1

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