紡がれる歪

侑雲空

柊と志原①

「柊先輩、またサボりですか」


 缶コーヒーを持って店の裏手にある喫煙所に来た私を揶揄うように、志原は笑った。


「志原だってサボりみたいなモンだろ」


「アタシのはタバコ休憩ですし」


 そう言うと、指で挟んだタバコを口元に持っていき、美味しそうに燻る煙を吸う。そんなにいいものかね、と志原がタバコを吸う姿を見つめていたら、煙を吹きかけられた。


「……おい」


「見惚れてました?」


 カラカラと笑う志原の頭を缶コーヒーの角で軽く小突く。「痛っ」と小さく鳴いた志原を見ながら、缶コーヒーのプルタブを空ける。喫煙所特有の匂い、タバコの煙の匂いに負けないブラックコーヒーの香りが鼻腔をつく。私はコーヒーが好きだ。味よりも、香りが好きなのかもしれない。朝一、インスタントで作ったコーヒーを入れたマグカップを部屋に置くだけでリラックス出来る気がする。


「お前の何処に見惚れる部分があるんだよ」


 コーヒーを一口飲む。缶コーヒーらしく、苦みと酸味がちょうどよく混じりあった、万人受けする風味が口の中に広がっていく。個人的には酸味の強いコーヒーが好きだが、飲食店や雑貨店が並んでるような通りにある自販機の缶にそこまで求めるのは酷だろう。


「アタシ、結構美人だと思うんですけどね」


 フハッ。

 あまりにも自惚れたセリフを放つので、思わず変な笑いが漏れてしまう。志原の方も冗談で言ったらしく、先ほどよりも短くなったタバコを咥えたその目や口端は笑っていた。


「だったら店長は女神だな」


 私と志原が働いてる居酒屋の店長は女性だ。婚約しており、旦那にあたる男性はキッチンで料理長を担当している。職人気質と言うべきか、あまり感情や言葉を表に出さず、「料理長が怖いので」といった理由で辞めていくアルバイトも少なくはない。ただ、数年間この居酒屋で働いているが、料理長が誰かに怒鳴り散らすようなところを見たことは一度も無かった。あくまで客へ出す料理の盛り付け方や、あまりにも杜撰な仕事をしている人に対し、幾つか言葉を発する程度。


 そこら辺にあるような居酒屋だが、料理長の盛り付け方はそこら辺の洋食店だの、和食店だのに負けてないほど綺麗だと思う。手先は器用なのに、コミュニケーションは不器用な人だな、といつも思う。


 そして、店長。先ほど私が「女神」と評したこの人は、ホールや裏方の会計などを担当している。どれだけ忙しくても笑顔を絶やさず、決してドタバタとせず、他人のミスに関しても寛容な人。まさに女神。この居酒屋バイトを始めて数週間はミスの連続だった。注文の間違えも多かったし、皿を割ってしまうことも、会計を間違えて既に店を出た客の背中を全力で追ったこともある。


 その度に、「めっ」と叱るのだ。こんな人、本当にいるのだな、と感心やら驚きやらが先に来た覚えがある。私がミスをしたら、どうしてミスをしてしまったのか、どうしたらミスしなくなるのか、店長がやってる方法を、まるで子供に教えるように何回も何回も咀嚼したものを教えてくれる。


 そのお陰なのもあるが、忙しい店長の手を煩わせるのが嫌で、死ぬ気で仕事を覚えた。学校の授業も、社会に出てから真面目に勉強することも無かった私が唯一本気になれた時期だった。


「……んまぁ。店長は女神ですよねえ」


 私の言葉に納得したのかしてないのか、ぼんやりとした返事をしつつ、志原はタバコをもう一本取り出す。今の時間は一般的な終業時間でもランチの時間でもない暇な時間帯なので、店はアルバイトと店長だけでも回ると思っているのだろう。


「素性も知らない、履歴書もまともに書けない、お互いに血塗れのアタシたち二人を雇ってくれたんですから」

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