海に沈むジグラート17
七海ポルカ
第1話
「十一時ヴェネト王宮にてヴェネツィア貴族方とのお茶会
十五時に駐屯地にて海軍本部会議、
十八時にザッカリア教会にて週一の大礼拝、
十九時、ジャコメディ・グラハント公爵邸で晩餐会
二十二時、駐屯地にて海軍本部会議
という本日の予定になっております」
九時ぴったりに現われたアルシャンドレ・ルゴーは連絡事項を報告した後、本日のラファエル・イーシャの華麗な予定を、淀みなく読み上げた。
手元の書類を下ろして、主の顔を見ると、おや、という顔をした。
「なんですかその悲し気な顔は……」
「聞き間違いじゃなかったら今海軍本部会議二回なかった?」
「ありました。十五時と二十二時です」
「なんで二回もあんのよ。その七時間の間に何にも事態は変わりませんけど⁉」
「いえ、顔ぶれが違うので……十五時の海軍本部会議は海軍演習にまつわる、船の装備とか、補給とかを海将達と話し合います。二十二時の方は駐屯地関係の勤務やそこからの報告を聞きますので、主に駐屯地の責任者たちと会います」
「別にうちの艦隊みんな仲良しでしょ。ひとまとめにしてちゃっちゃとやってくんないかな」
「愚痴ですか?」
「なんかめんどくさい……。あ。これ言っていい言葉だった?」
「いいですよ。私の前ではですけど。外では絶対言わないでくださいね。兵たちの士気が下がりますから」
「そうか~~ザッカリア教会の大礼拝今日だっけ~~なーんで週一のが今日に来ちゃうかな~~~~」
「大礼拝の日なんか月の始めから決まってたでしょうが。今日来たわけじゃないですよ。生理みたいな言い方しないでくれます?」
「あとグラハント公爵ってあの顔が正方形の人でしょ? この前も夜会行ったけど全然面白くなかったし正直一族に全然美人がいないから行く気しないな~~~~一族みんななんとなく顔正方形なんだもん……。」
「ラファエル様。ここはフランスではないのです。貴方は海軍総司令にして、ヴェネトに対する使節団代表でもあるのです。使節団代表はヴェネト名門の家柄の方々と親交を持つのは当然の任務です。聞いたことありませんよ。使節団代表の方が報告書でグラハント公爵家は一族みんな顔正方形だったから親交結びませんでしたとか言う人は。そんな報告書上げたら本国でお父上とお母上が泣き崩れますけどよろしいんですか?」
「じゃあ二十二時の海軍本部会議は俺、欠席でもいいんだよね?」
「何が『じゃあ』なのか知りませんけどダメです。人の話聞いてませんでした? 同じ会議名でも顔ぶれが違うし違うことを話し合うって言ったでしょ」
「ルゴー。お前は優秀だから俺の代わりに出といてくれ」
アルシャンドレ・ルゴーは眉を寄せ、腕を組んだ。
「……いきなりサボり癖が出てきてどうしました? ヴェネトに来てからこんなスケジュール軽やかにこなしてたじゃないですか。何ならあなた本国ではこれ以上の多忙なスケジュールも華麗にこなすでしょ。まあ特に女性関係の分刻みのスケジュールを」
「うん。華麗にこなせるけど今日はなんだかまったりしたい気分なの」
「そうですか。なんでですか?」
「えっ?」
「別にまったりしたい気分を否定はしませんが何で今日なんですか?」
ルゴーの真っ直ぐな瞳がラファエルを見つめた。
「なんでそんなこと聞くのよ」
「いや、普通聞きますよ。何で今日そんな我儘なんですか?」
「あのねルゴー君。俺は我儘とかないの。何故なら俺は王弟オルレアン公の……」
「はいはい。フランス王弟オルレアン公の息子にしてフランス艦隊【オルレアンローズ】の総司令官にしてフランス聖十二護国の一つフォンテーヌブロー公爵家当主ラファエル・イーシャ様ですね。はいはい」
「……」
「崇め奉りますから会議ちゃんと出てもらっていいですか?」
「ルゴー君。上司の肩書に慣れてくれるの嬉しいけど飽きるのやめてくれるかな?」
「あっ。すいませんそんなつもりは。いざという時の為に噛まないように毎晩寝る前に三回復唱するようにしてるので」
「お前ってほんと努力家ね……」
ラファエルは溜息をついた。
◇ ◇ ◇
「やれやれ……」
ラファエルが部屋に入って来ると、中で刺繡を縫っていた女性が手を止めた。
「アデライード。悪いけど夜は僕は出なくては行けなくなったから。部屋にいてもらってもいいかな?」
「あら。ラファエル様のおねだりでもダメでしたの?」
「まったく、さすが父上。よく働く副官を送り込んでくれるよ」
女性は可愛らしい声で笑った。
ラファエルは居間を通り過ぎ、奥の寝室に入る。着ていた上着を一度脱いで、衝立に掛ける。日が直接入って来ていたので、窓辺のレースのカーテンを引いた。そっと指先で天蓋から垂れる布を避けると、こちらに背を向け、少し身体を丸めるように眠っているその姿が見えた。
「ラファエル様はあまり秘密をお持ちにならない方ですのに。副官の方にも今はお話したくないなんて、余程大切な方ですのね」
「……」
ラファエルは、眠るネーリ・バルネチアをそこからじっと見つめた。
「……ジィナイースは。僕の唯一の秘密だよ」
布から手を放す。
側のソファにゆっくりと腰掛けた。
「フォンテーヌブローにももう、彼の城を用意してある。僕は来るもの拒まずだけど、自分で選びたいと思うことだって勿論あるんだ。ヴェネトでジィナイースに会えたら、連れ帰るつもりだった。これは、別に君を偽るつもりじゃないけど、君の命を危険に晒すかもしれないから理由は話せない。でもこの国にジィナイースがいるのは危険なんだ。だから一刻も早くこんなところからは連れ出して、フランスに連れ帰りたい」
「お父上様たちにお話を?」
「いや。父上にも母上にも、ジィナイースに関しては一切口は出させない。決めているんだ。僕はこれからも、オルレアン公の息子として、父や、王や、領民の為に尽力をしていくけれど、ジィナイースはそんな事情とは、別の次元にあるものなんだ。僕自身が、僕自身として生きるために……必要な人なんだ」
「ラファエル様はどんな方にも優しい方ですけれど、なにか、いつも誰かを探しておられるようにも思っていました。それがあの方でしたのね」
「……かもしれないね」
自分の肩に触れた女の手に、手を重ねて、ラファエルはベッドの方を見た。
「ジィナイースは、僕にとって一言では言い表せない人なんだ。
兄弟のようで、
憧れであり、
初恋でもあり、
大好きな友でもある……。
いや、その全てなのかもしれない。
ジィナイースに会えなかったら、僕は多分、今こんなに自分を好きになれなかったはずだから……」
ラファエルは何かを考えるように数秒そうしていたが、立ち上がる。ブーツを脱いだのでアデライードは小首を傾げた。
「お出かけになりませんの?」
「勤勉な副官様に縋りついて何とか十五時までは許してもらったよ。……今はジィナイースについていてやりたいんだ」
彼は襟元を緩めると、ジィナイースが眠っている寝台へと入って行った。背中を向けて眠っている彼の身体に軽く腕を回して、抱きしめるように寄り添い、目を閉じる。
おやすみなさいませ……。
女の優し気な声が響き、扉が閉まる音がした。
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