東海の覇者、桶狭間で没落なれど ~女たちの戦い~

楼那

松平久 嫁入り前の憂鬱

第1話 輿入れの報せ

 三河国岡崎城 松平久


 1561年冬


「昨日、忠次より聞きました」

「お久様、今は来たる春の動きについての相談中で」

「私の輿入れもその動きの中の1つであるはずでしょう?それにまだ私は元康殿の口から、その真意について聞いておりませんよ」


 昨夜、わずかな供を連れて私の元を訪ねてきた忠次は、神妙な面持ちで私のなかなか決まらない嫁ぎ先について語りました。

 てっきり松平家の後ろ盾となるであろう織田家の誰かしらのもとに送り込まれると考えていたのですが、その予想は大きく外れていたのです。

 いいえ、いったい誰が考え付くのでしょうか。敵国の領主に輿入れさせようと画策するなど。それが寝返り工作になるというのであればまだ理解は出来るのですが、その相手は今代における今川一の忠義ものと名高い一色家。

 私が嫁いだところで、一色家が今川様を裏切るはずがない。つまり私は松平の家をただただ追い出されるという話。

 実弟である元康殿にとって、私の存在はそれだけ邪魔であるという証明でした。

 しかし疑問であるのは、裏切りの一族となった松平からの嫁入りを一色家が呑むかということ。

 先日、瀬名様のことで関口家が取り潰しとされたばかり。下手をすれば松平に与したと一色家も関口家同様に取り潰されるかもしれない。

 そうなると未だに嫁ぎ先が決まらない私の立場は…。


「姫様、殿には殿のお考えが」

「あなたには聞いていませんよ、忠次。こうして突然訪ねたのは、あなたの口から本心が聞きたいからです。元康殿、私が家中でどのように言われているかは十分に理解しているつもりです。それでも私は松平の女として、松平のために生きていくと誓って岡崎城に戻ってきました。そんな私があなたには邪魔であると映るのですか?」

「そのようなことは申しておりません。忠次もそのような物言いはしなかったはず」


 元康殿の視線は助けを求めるように忠次に向けられる。

 しかし忠次は口を開かない。私が先に制したからです。

 困り果てた顔をした元康殿はゆっくりと口を開きました。言葉を決して間違えないように。私の怒りを買わないように。


「それに私はお久様を不幸にしないために一色家への輿入れを画策しているのでございます」

「不幸にしないため?今の状況を見て、いったい誰がそのような言葉を信じるというのですか」

「私は一色政孝という男を隅から隅まで理解しているつもりです。あの男は間違いなくこの婚姻を利用しようとするでしょう」

「…それはどういう」

「三河西部の統治に松平の血が必要であることは、此度の一件で多くの方々が再度認識したことでございましょう。ですが残念なことに私の裏切りによってそれは証明されたのです。今川は私をこの地より追い出し、再び三河全土の支配を企てるはず。その際に必要なのは、忠実な松平の血。つまりお久様との間に生まれる子の存在なのでございます。松平に分家は数多くあれど、その大半が此度の離反騒動で私に従いました。これでは私を取り除いたところで、三河西部の統治は盤石となりません。誰が入ろうと、民はここ数年の苦しい暮らしに戻るのであればと反発することでございましょう」

「その反発を抑えるために、一色家が松平に成り代わる存在になると。そのために敵となった松平の娘である私を大切に扱うと言うのですか?」

「長らく一色政孝を傍で見てきた私が言うのです。間違いなくあの男はその通りに行動することでしょう。問題は華様が強く拒絶するのではないかということですが」

「それについては私におまかせを」


 ようやく出番が来たと、忠次が手を挙げる。

 私がそちらを見ると、どこか申し訳なさそうな表情で目を伏せていました。あくまで忠次は元康殿に仕える身。

 姉である私よりも元康殿を立てることは当然のことです。しかし元康殿と実の姉弟である私に遠慮することもまた当然のこと。仕方が無いことなのです。

 そしてこうした家臣らの態度が元康殿を不安にさせるのでしょう。

 未だ瀬名様は体調が優れず、食事もまともに喉を通らないとか。元康殿と侍女以外は誰とも会わず、日に日にやせ細っていると。

 これが元康殿の身を案じてなのか、あるいは関口の家を想ってなのか。

 どちらにしても、元康殿は今の状況からどうにか打開しようと動くはず。その前の悩みの種の1つである私を外に出してしまいたいのでしょう。

 今、どのような説明を受けたとしても、私は言葉の意味を捻じ曲げてしまうような。そんな気がしてなりませんでした。

 昨日の今日で来るべきでは無かったと今さらながらに反省し、それでも元康殿の口から早急に本心が聞きたかった。ただその一心でした。

 結局それも叶わずじまい。むしろ心の内に募る不安が大きくなるばかり。

 このままでは尽くそうとしていたはずの松平家がこの日ノ本から消えてしまいそうで。言い知れぬ不安に駆られる私を、いったいあなたはどう見ているのですか?

 まことにこの状況から生き残ることが出来ると思っているのですか?

 あなたは幼き子らによる婚姻で、尾張を統一せんと動く織田様との盤石な同盟関係を期待しているのかもしれませんが、果たしてそれはまことに松平家のためになるのですか?

 ゆえに私は何度だって言うことでしょう。

 今川様に誠心誠意謝罪して、天下に名高い今川家の一員として尽くすようにと。

 たとえ口うるさい女だと遠ざけられようとも、どう思われたとしても私はあなたを説得し続けます。


「それゆえどうか御心安らかに」

「また来ます」


 私を丁重に追い出そうとする元康殿の姿が心の内を締め付ける。

 このような態度を今後も取られるのだと思うと、早く家を出るべきなのかもしれない。

 それでも私はまだ、松平という家を守りたい。元康殿のためでは無く、父様やお爺様が守ってきた松平という家を守りたいのです。

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