鉱上のアデス

只森

第1話 アデス

 荒野。

 砂漠。

 その地中深く————。

 世にも珍しく、万物に成るという鉱石がある。それは多く透き通った茶褐色で、光に翳すと美しく黄金に輝くという。ごく稀に光を翳さずとも黄金のものがあり、言わずもがな、それは国ひとつ買えてしまうほどの価値があった。その鉱石が人々の前に姿を見せた時から、世界はそれを中心に回り始めたのである。

 今まで地中になど全く興味のなかった人々は躍起になって地面を深く掘る技術を磨き始め、森の大半に住んでいた人々は徐々に荒野や砂漠の周辺に住むようになった。特に採鉱により大きく発展した国家では地中に街を作るようにもなった。全てはその鉱石を手に入れるために。

 『万能の石』と呼ばれるようになったそれは貴重がゆえに偽物が出回ることが多く、その偽物ですらそこそこの値で売れるので、それで生計を立てる者も少なくなかった。『万能の石』自体発見されてから実際に発掘されたのはただ一度だけというのもあり、皆本物を見たことがなく、森に住んでいるなど鉱物について知識のない者はただの鉄でも水晶でも買ったからである。ここ、荒野の大半を領地とするギミギクス皇国のスラムでも、街にやってきたキャラバンに偽物を売りつける者が後を絶たなかった。

「オウ、誰かこいつを買っちゃくれねぇか!よっく見ろ、ほら、光ってるだろ!金貨二枚でいいぞ!」

 一人のスラムから来た壮年の髭男が荷車に向かって大声でどなった。次いで、その後ろに連なる貧民たちが同じように声をあげ、途端に荷馬車の周りが騒がしくなる。しばらくして荷馬車の垂れ布が持ち上げられ、一人の男が顔を出した。男は眠そうに瞬きしたあと眼前に掲げられた鉱石を一瞥すると、つまらなそうに首を振った。

「いいや、あんたのは偽モンだよ。色が違う。というか水晶だろ。それにおれは行商に来たわけじゃない。そういうのはみんな向こうにいる奴らに売りに行くんだな」

 土埃にまみれたねずみ色の外套をたぐって肩にかけると、男はキャラバンの荷車から降りた。

 男はグークといった。ぼさぼさとした髪は外套と同じような、しかし濃いねずみ色で、前髪は後ろへ撫で付けてあったが、ピンで止められていない毛束は前へ垂れていた。切れ長の明るい黄緑色の目は、獲物に飢えた蛇を思わせた。背は高いでも低いでもなく、歳は見るところ二十前半といった感じだった。

 グークは少し離れたところで荷解きをしているキャラバンの商人たちを顎で指すと、貧民たちは途端にワッとそちらへ群がっていく。さながら蜜にたかる蟻のようでもあった。

「おれは医者なんだ。誰か、金を持ってる患者はいるか?」

 グークはこれ見よがしに調合したらしい薬の試験管や注射器を肩掛け鞄の外側につけており、偽の鉱物を持ったままの髭面の男に尋ねた。汚れた髭をワシワシとかくと、髭男は眉を下げ困ったように言った。

「金はねぇが病人ならスラムにたくさんいる。今日も俺の娘が熱で寝込んでんだよ。なんとかして薬を買わなきゃならねえ……。ん?」

 見た目に似つかわしい嗄れた声でそこまで言ってから、男はグークの身なりをまじまじと見、ほぉ、と息をついて指をさした。その指は薬瓶をさしている。グークは嫌な顔をして鞄を押さえた。きっと次に言う言葉は『その薬を売ってくれ』だ。間違いない。

「あんちゃん、その薬売ってくれや。いくらだ」

「嫌だね。金を持ってるように見えない」

「そこをなんとか……。ひどい熱なんだ。もう三日は続いてる。飯も満足に食わせてやれねぇのにこのままじゃ死んじまう!そ、そうだ。貯めてる金がある。なけなしの金だ。銀貨二十枚。本当はスラムから出て暮らすためのだが、どうだ?……」

 グークは内心ほくそ笑んだ。グークの鞄についている『薬』は、どれひとつとして本物がなかった。つまるところ偽物である。グークはこの話を半信半疑で聞いていたが、危険を承知で男の家まで赴くことを伝えた。男は感激すると、水晶を放り捨てて迷路のように入り組んでいるスラム街へグークを案内し始めた。

「まさか直々に娘を診てくれるなんて!ツイてるよ。石は売れなかったがな」

「はは。売る相手を間違えたな。もっと疎そうな奴に売ったほうがいい」

 それもそうだ、と男は豪快に笑った。路地はどんどん入り組み、右へ左へ延々と続くかのように思える分かれ道をぐるぐると進んでいく。ギミギクスのスラムはこれほどまで大きかったか、と自分の古い記憶を書き換えていると、とある傾いた小屋の前へたどり着いた。ここだ、と男が中に入っていく。グークも後に続くと、暗い部屋の中に一人の少女が布を被って横になっているのが見えた。苦しそうに息をしているのが聞こえる。父親は娘に水を飲ませたが、こぷりと音を立てて一口飲み込んだだけだった。

「こんな有様で……薬さえ飲めばよくなると思うんだが……」

 なんとなしに毛布代わりの薄い布をまくってみたグークは思わず目を見開いた。ひどく右足が腫れ上がっており、小さな傷口は黒子のように黒ずんでいた。荒野を通っていく途中で、グークはこれに見覚えがあった。

「ヤツキリムカデだ……」

「先生、薬を……」

 背後から声がして振り向くと小袋を持った父親が跪いていた。グークは静かに袋を受け取って中身を確認し、丁寧に鞄の中にしまった。父親の欲しがった瓶を鞄から外して渡すと、グークはなんでもないようにこう言った。

「うん、風邪だな。これは熱冷ましだから一瓶飲ませるように。薬代はこれだけだからこれ以上はやれない。じゃあ」

 ヤツキリムカデとは、荒野に多く生息する黒色のムカデである。瞬発力に優れ、ムカデとしては大きく、鼠程度であれば捕食する。その毒は非常に強く、刺されれば名の通り身を八つに切られたような激しい痛みが全身を蝕み、刺されて三日も放置したらあとは死だけが待っている。刺されてすぐに処置をしなければ助かる道はない。荒野を通れば誰しもが知ることだが、この父親はスラムから一度も出たことがなかった。

「ありがとう、先生……そうだ、名前だけでも!」

「……グークだ」

 その言葉を聞いたとき、父親の顔が訝しげに歪んだのをグークは見逃さなかった。何か言われるよりも早く小屋を飛び出す。後ろからは恐ろしい怒号が飛んできたが、構わず銀貨を持ったまま迷路状のスラム街を走り出した。

「グーク!ヤブ医者グーク!金返せェーッ!!」

 スラムは騙し騙され、より知識を持っている者だけが生き延びられる場所なのだ。最初からおれをヤブ医者だと見抜けなかった時点でお前は鴨に間違いなかった。そう、グークは手に入れた銀貨二十枚に口角を吊り上げながら思った。しつこく追いかけてくる男にグークはうんざりした表情で何回目か分からない小屋の屋根を飛び越える。石造りの廃墟跡を通り抜け、傾いた薄汚い小屋を過ぎ、怒鳴り声も遠くなった頃。

「ぁだッ!」

 グークは何かにつまづき、もんどりうって地面に激突した。かなりの速度で走っていたために、地面に激突するだけでは勢いが殺せずにそのままゴロゴロと地面に転がる。全身を強打したグークは悶絶しながら顔を上げ、自分が何につまづいたか確かめようとすると、そのつまづいたモノがうめき声をあげた。

 奇妙だった。

 グークと同じように地面に倒れ伏すそれは人の形をしていたが、下半身が人のそれではなかった。まるで粗悪な彫像のような石でできていたのである。グークはぎょっとして身体の痛みも忘れ、その人型に近づくと顔を覗き込んだ。赤茶けた錆のような、しかし『万能の石』のような茶褐色にも見える短い髪の毛の下の表情は苦しみに歪んでいた。首を絞められたような苦しげな声が食いしばった歯の隙間から漏れる。何かが詰まっているようだ。グークは口を開けさせると喉に指を突っ込み、えずかせる。

 ぐえ、だかおえ、だかそんな声と共に口から出てきたのは、とても喉を通ると思えないこぶし大の大きさの鉱石だった。ごとり、と土に転がる。それでも人型————少年はまだ吐くのをやめず、カラカラと今度は硝子玉ほどの宝石のかけらを吐いた。どれも全て成形されていない原石だったが、鉱物に詳しかったグークにはそのどれもが高価なものであることが理解できた!

 少年は石を吐き終えると、ようやくつかえが取れたように深呼吸をした。グークはこぶし大の鉱石を手にとると光に翳した。果たして黄金に————光りはしなかった。

「なんだ……畜生」

 グークはがっかりした。同時に忘れていた痛みが蘇ってきて大人しく大地に横たわる。鉱石を吐き出した少年はまた呻くと咳をし、疲れたように眠りこんでしまった。しばらくして、身体の痛みが和らぐとグークは石の少年の頬を何度も張って文字通り叩き起こした。「使える」、それがグークが少年に下した唯一の評価だった。

「おい、起きろ。言葉わかるか?」

 顎を掴まれ乱暴に上を向かされた少年は、その透き通った金色の目でグークを見つめた。ぱちぱちと瞬きをすると、「ふわ」と呑気にあくびをしてまた眠りにつこうとする。そんな態度に少し苛立ったグークはまた頬を張った。がくがく揺さぶる。少年の顔には鱗のようにところどころ石の剥片のようなものがついており、グークが叩いても剥がれ落ちることはなく、少年は次第に強くなるグークの平手打ちを全く意に介さぬように眠りつづけた。

「起きろって!」

 今度は額を弾くと、ようやく少年は眠気と抗いながら目を開けた。

「……だれ?」

 少年は半開きのまなこを擦り、いかにも眠そうに言った。グークはそっくり同じ言葉を、もっと乱暴に言い返したかったが、ひとまず飲みこんで名乗った。少年はそれを二度ほど繰り返すと、

「ぼく、……アデス」

 己の名を噛み締めるようにして、まるで発音が合っているか確かめるみたいに、ゆっくりと言った。それからアデスは気分の悪そうな顔をして、口から砂をぱらぱらと出した。それを見たグークはどう見ても人間ではないという認識を強くしながら、素直にその疑問をぶつけた。

「お前は何だ?ここで何してる」

「……ぼくは、ただ歩いてきただけ……。グーク、水がほしい」

「うるせぇ。んな事よりこれは何だ?なんでこんなものを吐いた?お前やっぱり人じゃないんだろう、え?」

 矢継ぎ早に質問ばかりしてくるグークに、アデスは水をもらえないのに不服そうな顔をして水をくれないなら答えてやらない、と言うようにそっぽを向いた。歳のころ十五、六といったところで、声も若干低かったが、その実振る舞いは見た目より幾分幼かった。グークは舌打ちすると鞄から水筒を取り出してアデスに放る。アデスはそれに破顔するとすぐに栓を抜いた。

「飲みすぎるなよ。お前歩けるか?さっさとここから移動しなきゃいけないんだ」

「どうして?」

「面倒なのに追われてんだよ。ほら、分かったら早く立て」

「めんどう、って、このひと?」

 アデスが不思議そうにグークの後ろを指さす。グークがぞっとして後ろを振り返ろうとしたその時、グークの鼻面は怒りによって打ち出された拳に勢いよく潰された。強い衝撃を食らって後ろへ吹っ飛び倒れこむグークに、殴った男は馬乗りになってさらに二発三発と追撃を加える。男は動かなくなったグークの鞄を漁り、銀貨の入った小袋を取り出すと忌々しそうに唾を吐いた。

「お前はこいつの仲間か?」

 アデスはグークの水筒を一口飲むと、「さあ」とだけ言った。水筒の中身は半分を切っていた。髭面の男は顔から血を流してぐずぐずになったグークを最後に蹴って、その場を後にしようと踵を返した。だが、何か思い出したようにアデスのほうへ振り返る。男は頭からつま先までアデスをじろじろと眺め、「……なんだ?」とこぼした。

「ぼくを見たひとはみんなそう言うね」

 不思議そうにアデスはそう言い、吐き出した原石を持ち上げると陽にかざした。美しい輝きを放つそれに男は魅了されたかのように、土に汚れた無骨な手で触れようとする。

 その瞬間、倒れ伏していたグークが弾かれたように立ち上がり、男に勢いよく体当たりをかました。その勢いのまま男と地面に転ぶ。

「おれのもんだ、おれのだ!触るな!」

 グークは男に向かってそう威嚇した。その声は妙に凄みがあり、突然のことに男が驚いて目を見開いたままにしていると、グークは鉱石とアデスの腕を掴んで逃げ出した。初めに逃げ出したほど速度は出ておらず、その上殴られた痛みが抜けずにふらふらしていたが、グークとアデスは男に追いつかれることはなかった。スラムを抜け、街の大通りのそばまでやってくるとようやくグークは立ち止まった。

「おれには金がいる。それもたくさん」

 建物に陰る階段に座り、グークはそう吐露した。そして水筒を飲もうとして、ほとんど中身が残っていないことに悪態をつく。アデスは息も切らさずそれを見ていたが、グークに座るよう促されて階段に座った。

「それにぼくが関係あるの?」

「お前がなんだか知らないが、おれにとって金になることは確かなんだ」

 グークはアデスに鉱石を放った。ずっしりとしたそれはアデスには少し綺麗なだけの石ころにしか見えなかったが、グークによると高い防具などによく使われるタンデル鉱、というものらしかった。鉱物を取り扱う質屋に持っていけばそれなりの金になるのだという。

「おれと来い。どうせ行くあてもないんだろう」

 アデスはしばらく路地の向こうの大通りに目を向けると、視線をグークに戻して言った。

「グークは、ぼくに水をくれる?」

「はあ?まぁ、あれば飲ませてやるが……」

「じゃあ、いこう」

 そのまま階段から立って大通りへ歩いていこうとするアデスを慌てて引き止める。アデスが振り返ると顔にばさりと布を被せられた。ねずみ色のそれを持ち上げるとグークが言った。

「お前の見た目は目立つ。それ着てろ」

 グークの大きな外套は、果たしてアデスの石の脚と石の鱗を隠すのに役立った。ぼろ布のような服を纏っていただけのアデスにはそれが一等まともな服のように見えた。アデスは水をもらった時のように喜び、くるくるとグークの前を歩き回ったり裾をはためかせてみせた。そんなコートで、とグークはアデスの喜ぶ姿に苦笑する。階段から立ち上がるとアデスに近づき、言う。

「行こう。……

 

 

 こうして荒野の街にまた二人、『万能の石』を求め旅する者が増えた。ヤブ医者の肩書きを持つ男と、人に近く人より遠い、不思議な少年の旅の行先は誰も知らない。『万能の石』の在り処のように。

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2025年1月6日 00:00

鉱上のアデス 只森 @tadamori

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