不器用な見習い天使は雲祭りでも手を抜かない

いとうみこと

女神の祝福

 ある日の午後、メルティたちは突然宮殿の中庭に集められた。たくさんの天使たちが理由もわからず待っていると、白いふわふわしたものが音もなく空から舞い落ちてきた。誰かが「雪だ」と叫ぶとあちこちから「雪だ」「雪だ」の声が聞こえた。それはメルティが初めて聞く言葉だった。

 メルティはそっと手を出し、恐る恐る受け止めてみた。ふわりと掌に乗った雪は、重さはなくちょっと冷たくて見る間に溶けていく。その短い間に、それぞれの雪が綺麗な形をしていることにメルティは気づいた。それはこれまで見たどんな形より美しく整っていた。


「皆の者、これが雪である」

 頭上から声が響くと同時に、真っ白な羽を広げ金色の髪をなびかせて大天使カミエルが現れた。広場にいる天使たちが一斉に跪き、メルティもそれに倣う。カミエルはこの国の女神に仕える天使の中の頂点に君臨する立場だ。普段はこうして一般の天使たちの前に出ることはあまりない。メルティも遠くからその姿を一度見たきりだ。

 カミエルはどことなくホルンに似ているとメルティは思った。先日の試験の前に自分を助けてくれたホルン。お礼を伝えたいのにあれから一度も会えていない。そもそも彼がどこから来てどこへ行ったのか誰も知らなかった。

 そのカミエルが一段高いところに降り立つと、雪はやみ、代わりに宮殿の壁に何やら賑やかな映像が映し出された。暖かそうな服装をした人間たちが白い建造物を巡っている。それらは人よりずっと大きくて、建物もあれば人の顔や動物らしきものもある。人間たちは皆、手にした何やら四角いものを向けて楽しそうに笑っているところで映像は終わった。

「先頃、私は人の国の日本というところへ行ってきたのだが、そこでは雪がたくさん積もっていて、その雪を使った祭りが行われていた。今皆が見た大きな建造物は全て雪で作られたものだ。私はこれをこの国でやってみようと思う」

 天使たちの間から静かなざわめきが起こった。先程見せられた雪は僅かな量で、しかもすぐさま溶けてしまったのに、そんなものであの大きさの物が作れるのか。メルティのみならず、そこにいた多くの天使が首を傾げた。


「心配せずとも良い。ここでは雪ではなく雲を使う。それならば無尽蔵にあるからな。立派な雪像ならぬ雲像を作って女神様に楽しんでいただこうではないか」


 その後ルールが示された。制作期間は七日。公平を期すために、一日のうち開始の合図から終了の合図までの間しか作業してはならない。大きさは自由だが、ひとり一作品で他の者の手を借りてはならない。

 何より天使たちを奮い立たせたのは、最も素晴らしい作品を作った者に女神自ら祝福を与えるという特典だ。女神の祝福は一生に一度あるかないかの最高の名誉だ。それまで面倒くさそうにしていた天使たちも俄然やる気を見せ始めた。


 翌日から早速作業が始まった。どんどん進める者もいれば、頭を抱えて座り込む者もいる。そんな中メルティはひたすら円柱状に雲を積み上げていた。


「ちょっと、メルティ、あんたヤケになってない?」

 二日目の朝、同期のリリルが取り巻きを引き連れてやって来た。顔には一応気の毒そうな表情が浮かんでいるが、取り巻きたちはニヤニヤしている。

「女神様の祝福はもう諦めたのかしら。ちょっと前まで落ちこぼれだったメルティには荷が重いでしょ? 安心して、同期を代表してわたしが女神様の祝福を受けてあげるわ」

 メルティはリリルの挑発などどこ吹く風とばかりに黙々と雲を積み上げていく。その高さは既にリリルの背を上回っていた。

「ちょっと何とか言いなさいよ。これはいったい何になるのよ!」

 メルティは手を止めると少し困った顔をして答えた。

「まだ答えは出てないの。とりあえず頑張ってみる。リリルも頑張ってね」

「んあ、あ、あんたなんかに言われなくても頑張るわよ」

 リリルは憮然とした表情で次のターゲットへと移動していった。


 それからもメルティはひたすら雲を積み上げ、バケツを逆さにしたような形を作り上げた。周りが何かしら意味のある形を成しているのに対して、メルティのそれはただただ巨大化するだけだった。


 六日目の朝、大天使カミエルが視察に訪れた。ひとつひとつ出来栄えを確認しながら歩いていたカミエルが、メルティの作品の前で止まった。

「これはまた大きいね。私の知っている食べ物にプリンという甘いお菓子があるが、これは巨大なプリンなのかい?」

 話しかけられたメルティはいちばん上から飛び降りると跪いて答えた。

「大天使カミエル様、わたくしはプリンというものを知りません。そしてこれはプリンではありません」

「だったらこれは……いや、いい、出来上がりを楽しみにしているよ、メルティ」

「おそれいります」


 初めて大天使と話をしたメルティは、緊張から暫く体の震えが止まらなかった。

(失礼はなかったかしら)

 カミエルの後ろ姿を見送りながら会話を反芻していてふと気づいた。

(わたしの名前をご存知だった?)

 メルティは不思議に思いながらも作業に戻った。急がなければ明日の夕刻の期限に間に合わない。そこからメルティは食事も摂らずに作業に没頭した。


 八日目の朝、いよいよ雪祭りならぬ雲祭りの開幕となった。普段は宮殿の奥にいる女神もこの日は、天使の姿になってお出ましだ。

 実は女神の実像はごく少数の側仕えの者しか知らない。光そのものだと言う者もあれば、女神ではなく老人の賢者だと言う者もある。しかし、今皆の前に現れたのは、誰もが崇め奉りたくなるような美しい女神の姿だった。


 女神はカミエルたち重臣を引き連れてにこやかにひとつひとつ見て回った。そして、ひと際大きなメルティの雲像の前に来ると口をあんぐりと開けて見上げ「これは何かしら」と言った。

「これは滑り台にございます」

 メルティは恭しく答えた。途端に女神の目がキラキラと輝く。

「滑り台? 実際に滑ることはできるのか?」

「もちろんでございます」

 女神がソワソワとカミエルを見上げると、カミエルがにっこり微笑んだ。

「そのままでは危のうございます。お召替えを」

 そう言うと同時に、眩く輝くドレスが乗馬服のような軽装に変わった。


 メルティは緊張で震えながらも、失礼のないように女神を案内した。頂上は平らになっていてオブジェが飾られている。

「ほう、これは雪の結晶ではないか」

 女神が感心の声を上げると、メルティは嬉しくて声を弾ませた。

「結晶と言うのですか? カミエル様が見せてくださった雪がとてもきれいだったので真似てみました」


 手すりの代わりにもなっている結晶のオブジェの間には穴が空いていて、そこから下へ滑るようになっていた。

「では、行くぞ」

 女神が手を離すと、その体は螺旋を描いて一気に滑り降り、下の穴からぽんっと外へ飛び出した。途端に歓声が湧く。

「もう一度良いか?」

 そう言って女神は十回ほど楽しんでから次の雪像へと移動していった。

 その後一般公開された雪祭りで、メルティの滑り台は順番待ちの長い列ができた。もちろんその列にリリルとその取り巻きも並んでいたのは言うまでもない。


 雪祭りが終わった日、天使たちは再び宮殿の中庭に集められた。いよいよ女神の祝福を受ける者が発表されるのだ。メルティはあちこち見て回った雲像を思い返していた。いくら雲を管理する天使たちとはいえ、あれだけのものをひとりで作るのは並大抵の努力ではない。アイデア含め、自分もとても苦労したので、優劣をつけるのは何か違うのではと感じていた。


 その時ベランダに、あの日見た女神がカミエルと共に現れた。

「此度の雲祭り、非常に愉快であった。礼を言う」

 女神の声が響くと天使たちから大歓声が上がった。胸に手を当て、その姿を目に焼き付けようとしていたメルティの体がふっと浮かんで、気づけば女神の眼前にいた。


「め、女神様!」

 慌ててひれ伏すメルティ。その頭上から女神が優しく声をかける。

「そなたの滑り台は本当に楽しかった。私の祝福を与えよう」

「そ、そのことですがっ」

 メルティは思い切って声を上げた。

「私なんかよりずっと頑張った人がたくさんいます。みんなほんとに頑張ったんです。その人たちみんなを祝福していただくわけにはいきませんか」


 女神は少し困った顔をしてカミエルを見上げた。カミエルはしゃがんでメルティと視線を合わせると静かに言った。

「メルティ、優劣をつけることは悪いことではない。それによって切磋琢磨が生まれ品質の向上に繋がる。努力することは素晴らしいが、職人としてはその上を目指さねばならないのだよ」

 メルティはハッとした。自分がとんでもない勘違をしていたことに気づいたのだ。

「生意気を申しました。申し訳ございません」

 メルティは床に額を擦りつけた。

「謝らずとも良い。そなたの気持ちもわかる」

 女神は優しく言った。

「では、こうしよう。今回は初回ゆえ、皆の努力を称えて祝福を与えよう。しかし、次からは順位をつけるのじゃ。三等までの者に褒美を取らせるようにすれば、ますます励むのではないか?」

 そう言ってカミエルを見上げると、カミエルも優しく微笑んだ。

「それがようございましょう。メルティ、顔を上げよ。女神様にお礼を言うのだ」

 メルティは顔を上げた。その顔は色々な感情が混ざり合って涙でぐしょぐしょになっていた。

「ひどい顔だな、メルティ。笑え、わらわの祝福ぞ」

そう言うと、女神は広場に向かって両手を広げた。

「皆の努力に祝福を与える。受け取るが良い」

 その言葉と同時に、空から光の粒が雪のように降り注ぎ、広場を明るく照らした。それと同時にその場にいる誰もが深い愛に触れて至上の幸福感に包まれたのだった。


──まだつづく?──

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