第11話

境界を離れても、俺の頭は混乱していた。



この街に、闇の粒が降る。



人の体だけでなく、建物まで腐食する死の雨から逃れることはできない。




そうなれば、母さんも、友達も。




優しくしてくれた近所の大人たちまで、全員死んでしまう。






……そんなの耐えられない。






……俺はどうすれば?







自分の無力さに呆れて打ちひしがれていた時、左手に握っていた小さな箱を落としてしまった。





四角くて黒い、手のひらサイズのその箱…





それに詰まった彼女の思いが、決断を迫られた俺の心を、強く揺さぶる。






俺とは全く異なる環境で育った彼女に惹かれたのは、間違いじゃない。






メラと話す度に心が軽くなるのを感じた。







一緒にいると、心の奥まで優しい波が浸透するように落ち着いて、彼女と離れたくないと会う度に思った。







静かに微笑みを浮かべるメラの笑顔を、手放すことも、俺には…できない








そう思った瞬間、堪えきれなくなったように

一粒の涙が零れた。







だけど、それでも…、







「俺だけが助かるなんて…できるはずない」





そう声に出したからか、溜め込んでいた思いが溢れて涙が止まらなくなる。







何でこんな事に…






何で大切なものが分からないんだよ、この街の人間は。








誰にも死んでほしくないだけなのに。






もう、誰にも……


















父さん、助けてくれよ…






















道端でうずくまって泣いていると、不意に肩に温かい重みを感じた。









「どうしたルカ、こんな時間に。」



顔を上げると、この地区の長であるジェラールが大きな荷物を片手に側に立っていた。






「…なんでもないよ」



慌てて目元を拭い、そう答える。




「本当か?お袋さんの体調が悪いとかじゃないだろうな」



「うん、母さんは元気だよ」



「そうか。飯が足りなくなったらすぐ言えよ」




そう言ってくれるジェラールに頷き、立ち上がって家に帰ろうとすると、





「ちょっと付き合え。」と、何故か腕を引かれてどこかへ連れて行かれた。
















「なあルカ。」



二人で腰掛けるのは、小高い丘の上。





そう声をかけられた俺は、もうすぐ壊れてしまうこの街の夜空を、目に焼き付けるようにじっと眺めていた。


  









「なんかあっただろ。」




「…え?」




「俺が何年お前を見てきたと思ってる。様子がおかしいことくらいすぐに気がつくさ」




がしがしと俺の頭を撫でながら、ジェラールが優しい表情で見つめてくる。






それを見た俺の心は、目の前の人物を含む大勢の人々がもうすぐ死んでしまうと分かっているからか、割れるように痛んだ。













「ジェラール…、あのさ。」
































あなたの街は、明後日の戦争で壊れてしまうの
























 















「…戦争、やめられないかな」



その言葉に、目を見開いたジェラールが、俺の頭から手を離した。






「…無理だな、それは。これ以上攻められると、俺たちの街は光を失っちまう。」




「分かってるけど。だからその…和解とかできないのかと、思って…」




今度は悲しげに微笑んだジェラールが、どこまでも続く空を見上げて言った。





「俺もガキの頃はそう思ってた。いつまでやるんだろうって。」



「……」



「けどな、戦わなきゃ俺たちは殺されちまう。…お前は、家族を見殺しにできるのか?」



「…っ、」



「今やめたら、間違いなく全員死ぬ。和解なんて向こうが聞き入れてくれる訳ない。これ以上の死を、フェランが望むと思うか。」




爆撃で死んだ俺の親友…彼の息子の名を口にしながら、ジェラールは唇をかみしめていた。






「お前には、あいつの分も生きてほしいんだよ。だから、戦争はやめられない。」




あまりにも重みのあるその言葉に反論することは、俺には出来なかった。






「見ろよルカ。星が綺麗だな」



父さんが生きていた頃よりも随分見えにくく

なった星空に向かって目を細めるジェラール。






「戦争に勝って光が手に入れば、もっとはっきり星が見えるようになる。」






「だから待ってろよ」と告げるジェラールの

傷だらけの手を、俺は静かに握り返した。

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