ジェーン

明日和 鰊

第1話

 その年、わたしの住む町では珍しく雪が積もった。

 一晩で一メートルほど積もったのは、この町では初めての事だったらしい

 道路が雪や氷に覆われて嘆く大人を尻目に、当時小学生だったわたしは物珍しさもあって、近所の子供たちと雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりして、何日も日が暮れるまでのんきに遊んでいたものだった。


 子供心にも何かおかしいと思い始めたのは、一週間経った頃だったろうか。

 太陽が強く照らしているのに、雪はまったく溶けず、どれだけ雪かきや雪遊びをしても雪の高さは変わらなかったのだ。

 雪かきをしても、確かに雪を移動することは出来るのだが、雪が積もっていない地域に持って行くと、その雪は突然消滅してしまい、また元の場所に雪が積もっているという状態だった。



 そして、あれから十年が経った今も、雪はいまだこの町に居座っていた。



「今日でお別れね、マリア」

「この町を離れても、長いお休みには帰ってくるんだから、そんなに悲しまないで」

 わたしは ジェーンに優しく笑いかけた。

「帰ってきたら、街で出会った楽しい話をいっぱいしてあげる」

 ジェーンの表情はわからない。今彼女が何を考えているか、少し不安だった。


「ダメよ、私はこの町に縛られているもの、そんな話、かえって寂しくなっちゃうわ。あなたが羨ましい、その足でどこまでも自分の道を進めるんだから」

「いつか、いつかあなたもこの町を離れられるわ」

 気休めであるとはわかっていたが、少しでも彼女の気持ちがおさまればと思う。

「本当にね。本当にそうなればどれだけうれしいか」

 チラリと時計を見ると、駅に列車が到着する時刻が迫っていた。

「ごめん、もう行くね。お土産話楽しみにしていてね」

「かならず、かならず帰ってきてね、マリア」

「ええ、きっと帰ってくるわ」

 わたしは彼女をその場に残して、隣町との境界の雪線に向かって歩いて行った。



 故郷の町と隣町とは、一メートルほどの雪の壁によって境界線が引かれていた。

 ドキドキしながら雪の道から階段を降りて隣町に入ると、わたしは着ていた分厚いコートを脱ぐ。

 隣町に入ると、そこには春の風が吹いていた。

 町に射す日差しは変わらないはずなのだが、雪が無いので隣町は遙かに暖かい。

 公園の木々も生命力を誇示するかのように、青々とした葉っぱがつきはじめていた、。

 


 列車に乗って二つ目の駅が見えてきた時、わたしはやっと緊張から解放されて、安堵のため息をつく。そして、既に見えなくなった故郷の方角を見て、小さくつぶやいた。



 十年前に降った雪は、溶けない事以外にも不思議な性質を持っていた。

 それで作られた雪だるまには、魂が宿ってしまうのだ。

作った子供の家の前にあらわれ、その心に友達のように喋りかける。

 子供たちは大喜びだったが、大人の目には不気味に映ったらしい。

 ある日雪だるまに喋りかける子供を心配した父親が、その目の前で雪だるまをスコップで叩き壊すという事があった。

 泣き喚く子供を父親は引きずって家に連れ帰り、外鍵のある部屋に閉じ込める。

 その夜、みんなが寝静まった時刻に、町中を大きな揺れと轟音が襲った。

 あの子供の家が、雪で押しつぶされていた。

 どのように脱出したのか、あの子供は外にいて無事だったが、両親と兄弟は雪と建物に押しつぶされ、亡くなってしまった。


 雪だるまは、自分を捨てたり壊そうとしたりする者を許さなかった。

 この町を捨てていく人たちは大勢いたが、雪だるまと絆を結んだ子供だけは町を出ることが出来ず、必然的に町に残ったのは子供とその家族がほとんどだった。

 けれど、子供にとってはただ恐ろしいだけの存在ではなかった。

 雪だるまを大事に想っていれば、その子供を守る守護者になっていてくれたからだ。



雪だるまは知らない。

 絆を結んだ子供が成長して町の外に出ると、その雪だるまは消滅してしまうことを。  


 

 わたしやママを、義理の父親の暴力から守ってくれた、ジェーン。

 わたしのただ一人の友達だった、ジェーン。


「さようなら、いままでありがとう」

 

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ジェーン 明日和 鰊 @riosuto32

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