忍び隠れの宿 短編②

橘はじめ

第1話 琥雪

 時は天正。

 尾張国の大名であった織田信長は周辺の国々を次々と討ち破り、ついには天下布武を掲げて京へと上った。


 ◇


 尾張国の隣国、伊勢国の玄関口にあたる古い港町。

 そこに『雲』の看板をかかげる旅籠があった。

 木賃宿きちんやどに食堂を併設する造りの小さな旅籠で、店を営むのは老爺の主人、玄爺げんじいとその孫娘、ナギ。二人が店を切盛りする。


 そんなある日のこと、一人の少年がこの旅籠で姿を見かける様になった。

ミナト」と呼ばれるこの少年、遠い親戚すじの子との事であるが、その素性すじょうは定かではない。


 実はこの旅籠、甲賀の草の忍びとして地元に根ずく『忍び隠れ宿』であった。


 

 ◇◆◇◆ 琥雪


 寒さが残る二月の初め。

 鈴鹿山麓を望む西の空が灰色の厚い雲に覆われていた。


「やはり、今夜あたりくるな」


 空を見上げていた玄爺が鈴鹿の御山を見上げながら目を細めた。


「おいナギ。今日は早めに店じまいだ」

「宿のほうにもまきの準備を多めに出してやってくれ」


「はあーい」とナギの元気な声が奥から聞こえてくる。


「ほらほら。ミナトも男の子なんだからまきを運ぶの手伝って」

 その声に急かされるまま、ミナトは裏口から連れられて出ていった。


「こりゃ暫く客は来んなぁ」


 玄爺がキセル煙草を噴かす。

 なぜか嬉しそうに白い煙を高く吐いた。


 ◇


 その夜。玄爺の予測通り降り始めた雪は、大粒の綿雪となり空を舞った。

 めずらしく降り続いた雪は、鈴鹿の御山を白い雪化粧で包む。

 鈴鹿の御山から吹き下ろす風にのって運ばれた雪は大雪となり、やがて桑名宿の辺り一面を銀世界に変えた。


「何してるんだい?」


 竹で編んだ背負いの荷篭にかごを調整していたナギにミナトが声をかけた。


「ああ。昨晩、玄爺と話していたあれか」

「御山の雪が溶けたら山中に入って、薬草の原料となる山草を採りに行くとか?」


 鈴鹿の御山には珍しい山草が多く生息するらしい。


「こんな寒い時期に山草が採れるの?」


「ふふふ。あなた知らないのね」


 手を止め両腕を組むと、鼻を鳴らす。

 ナギのに入った。


「この寒さだからいいのよ」

「寒さに耐えた山草は養分をたっぷり蓄え込んでいるの」

「今回の目的は、黄花石楠花しゃくなげ

「花や葉の部分もいいけれど、根には炎症や鎮痛に効く効果があるんだよ」


「うちぃは玄爺みたいな体術は得意じゃないけど、薬草作りはなかなだよ」


「ほら、うちの旅籠ね長旅の人が多いから。病気や怪我、腹痛や疲労回復にけっこう役立つの」

「それに……ふふっ。いい稼ぎになるの」


 と目尻を下げると商売人の顔に成る。


「ミナトは、もう準備が済んだの?」

「えっ?」

「えって、ミナトも行くのよ。うちぃと一緒に薬草採りに」

「はっ?」


「まさか。年頃の娘を一人であの鈴鹿の御山へ行かせなよね」


「明日は店も休みだよ」

「玄爺は朝から釣りだって」


 

 ◆◆◆ 鈴鹿の御山


 夜が明ける前に家を出た二人。

 

 さすが山歩きが慣れているのか、ナギは草木をかき分け山を登っていく。

 まるで裏山にでも散歩に行くような勢いである。

 その後ろをミナトが必死で追いかけて行く。


 ナギが止まる。

 ときおり止まっては地面に生える草花を摘み、根を掘り返す。

 その度にナギの植物講義を聞いては感心する。

「うちぃの眼力は凄いでしょ」と自慢気に言うその才能に舌を巻く。


 御山の中腹辺り。

 遠くに見える山間から朝日が昇り始めていた。

 雪を溶かすほど日の光が温かく、固まった雪をキラキラと虹色に反射させる。


「この辺で朝ご飯にしましょう」


 桑名の港町を見渡せる丘。

 大きな二本の川が緩やかにうねり海へとそそぐ。

 ぐるりっと丸く囲んだ海岸線。伊勢湾が一望できる。


「あっちが木曽国。あの対岸が三河国。そしてあっちが伊勢国だね」

 ナギが大きく指をさし示す。


「今日は鳥飯とりめしにしたから」

「さあ。たべましょ」

 と取り出した竹籠を開くと大きな握り飯が並ぶ。


 玄爺が昨日仕込んでした食材だ。それが鳥飯とりめしになったのか……。


「さあ。たくさん食べて食べて」

「今からが大変だからね」


 並んだ握飯を手に取り、大きくかぶりついた。

 甘辛い醤油の匂い。味の染みた歯ごたえのある牛蒡ごぼう、甘い人参、旨味のある鳥肉がゴロゴロと飯の中に一塊に握られている。


「美味い」「美味いよっこれ」

 飯をほおばったミナトの目がナギを見る。


 ナギが細笑む。

「そうでしょ」

「小さい頃から遠くへ行く時は、必ず玄爺がこの鳥飯とりめしを作ってくれるの」

「故郷の味だって……」


 大きな握り飯しを両手に持ったナギは、うつむく様に見つめ一口かじった。


「決めた」「えっ」

「俺も習うよ。この味が再現できるように」

「玄爺に習う」

「今度は俺が作るよ。ナギの為に」


 うつむいたナギの顔は嬉しそうに何度かうなずいた。

「えへっ……えへへ……」恥ずかしそうに小さな声を出してナギが笑った。


 思わず俺は、もう片方の手で握飯しを取り上げると大きな握り飯しを大口でかじった。


 ◆ 


「これはこれは、良い薬草が沢山採れたよ」

「やっぱり若い男手は必要ねぇ」

 と高笑いにも似た声でナギが肩を上下させる。


「ナギ。ちょっと待って」

「えっ?」

 ミナトが目を閉じ耳をすます。


「鳴き声だ」「微かだが獣の鳴き声がする」


 辺りを見回し声の主を探る。


 雛鳥ひなどりが木の根元の草むらで小さくうずくまっている姿。


「巣穴から落ちたのか」


 ナギが雛鳥を両手の平でそっとすくい上げる。

 周りの木々を見渡し雛鳥の巣を探したが、それらしい巣は見当たらない。


 キュウキュウと大きな丸い琥珀色の瞳が二人を見つめる。


「巣が見つからなければ、この子、連れて帰りましょう」

「このままでは、死んでしまうよ」


 手の平に小さな温もりと早い鼓動が伝わる。

 ナギはそっと両手で小さな子を抱いた。

 そして自分の着物の懐にそっとしまった。

 

 ◆


「でも、この雛鳥……なんかが大きいよね」


 結局、旅籠に戻った二人は囲炉裏端で雛鳥に餌をやっていた。


「あたり前だ」

「こいつは『みみずく』だからな」

「お前たち、このの雛を飼うつもりか?」


 キセルを噴かしていた玄爺が言う。


「しかしなぁ。こいつらは最も野生に近い種だ」

「鷹と同じで人間にゃあなつかねえぞ」


「どっちかと言うと……こいつら裏の獣だぁ」


「お天道様には背を向けてやがる」

「なあ。おい」「まあ、しかし儂らと同じか……」

 と誰に言うでも無い、玄爺は小さな雛鳥を見つめた。

 

 ◆


「名前どうしようか……」

「この子の名前?」


 ふっ。とナギが口元を上げる。


「この子の名。『琥雪こゆき』はどうよ?」

「雪山の雪に琥珀色の瞳だからね……」


「ふふっ。どうよ、どうよ」

「うちぃの目利きは」と自慢気にナギが鼻を鳴らした。

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