知言の追抄(ちげんのついしょう)

天川裕司

知言の追抄(ちげんのついしょう)

知言の追抄(ちげんのついしょう)(二〇一五年一〇月一六日より筆)

                        ~Knowledge and Asterisk~

                                             天川裕司

Wisdom creating with humanism should be approved from own identity relating to all recognitions. People call it as "Chigen no Tuisyo". This is able to be recognized to people as "Existing Existence Having with Human Energy". Below, all words that people never have seen are recorded.



「あ」

 五十から観た自体(おのれ)の記録は幻(ゆめ)の放砂(ほうさ)を追立(ついた)てした後(のち)、〝仕切り雨〟にて輪舞曲(ロンド)を囲める朝の生録(きろく)を小言に追立(ついた)て、幻(ゆめ)の速水へ無頼を翻(かえ)せる身欲(よく)の凡化(ぼんか)を事毎嫌う。

      ☆

 五十五音図あ行第一の仮名。平仮名「あ」は「安」の草体。片仮名「ア」は「阿」の左の変形。

      ☆

 旧印(むかしじるし)の路途(ろと)に包まれ淡い日照りを奥義(おく)へ遣るのは「向日語(むこうがた)り」の列記に伴い、その字一体、現(うつつ)へ延ばせる男の愛撫を実に幻見(ゆめみ)た女性(おんな)の記憶を踏襲して居り、現計(うつつばか)りの「一字」の幻句は物語にして鬱屈させられ、始めの一歩を減(げん)に逸せる旧来独語(むかしがたり)の乱歩の上手は、「あ」という字源に追従して行く。―孤独の人間(ひと)から文言(ことば)が仕上がる有機の活句(かっく)にその実(み)を観たのは、純白(しろ)い好みが真上に逆巻く現行人(ひと)の論議の破亘(はこう)の痩句(そうく)で、酔狂(くる)う律儀に教授が見得ない独学・進歩は淡手(あわで)を振り貫(ぬ)き、現世(このよ)に名立たる明石の〝君(きみ)〟には真白(しろ)い論歩(ろんぽ)が機嫌を失(け)した。幻(ゆめ)の過録(かろく)が機嫌を損ねて一女(おんな)の柔手(やわで)に追抄した後(のち)、翌朝(あさ)に至れる紙の純化は思想の具流離(まわり)で安愚(あんぐ)を調え、自体(おのれ)の魅惑にほとほと零れる孤遇(こぐう)の所以(ありか)は字源(もと)を正せぬ未開を識(し)り貫(ぬ)き、過去の草汰(そうた)を生きながらにして無言の相図(あいず)へ返して生(ゆ)くのは、意味を解らず感覚(いしき)を翻(かえ)せぬ虚空の淘汰の成り行きだった。端正(まわり)に割かれる物の曰くの襲来等には、字体(おのれ)の分岐が自然に儲かる〝逡巡連歩(しゅんじゅんドグマ)〟が活性され行き、字体(おのれ)の小言が独りでに成る無風の暴嵐(あらし)に追抄した後(のち)、哀れ成る哉、幻(ゆめ)の温度はナンセンスを問う現代人(ひと)の躾に操られた儘、現世(このよ)で自体(からだ)を配(あやつら)れて行く未想(みそう)の孤独へ連走(ドラマ)を識(し)った…。「あ」の字が幻(ゆめ)を配(はい)する単色主義(たんしょくいずむ)の次元を知る時、自体(おのれ)の無憶(むおく)に用を絶やせぬ未開の輪舞曲(ロンド)を腰まで巻き付け、五月蠅(あわ)い姿勢(すがた)を宙(ちゅう)へ去らせる幼児(こども)の生憶(きおく)を無想に観て居た。まだまだ、まだまだ、……、まだまだ、まだまだ、旧来(むかしから)見た人間(ひと)の小口(くち)から陽(よう)の空気が活気に集まり、純白(しろ)い無機から臭気が零れる淡い気色の〝小手鞠(こてまり)〟等には、「往来」識(し)らずの小さな児(こども)が女児(おんな)に化かされ衒いを透せる…。「あ」の字、「あ」の字、「あの字」、あの字…。孤独の王佐に自然が綻び単色主義(たんしょくいずむ)の至智(しち)の境地は、無論を言わされ脆差(もろさ)を亘(わた)され、がめつい現代人(ひと)から個録(ころく)を介せる無適(むてき)の尋社(じんじゃ)へ奉公している。「あ」の字に結託して生(ゆ)く魔物をあやせた真言達には、今日の界(かぎり)を上手に見た上「自由」を見ながら「自由」を配(はい)せる覚りの概句(おおく)を礼賛して行く。


「丫」

 …あ、あ、あ、…案山子じゃないよ、記憶の裾から鯊(どんこ)が釣れては遠くの回路へ記憶が流れる…。継続こそは…継続こそは…。馬乗りされ生(ゆ)く人間(ひと)の動作に児(こども)の黒髪(かみ)などちょこんと乗っけて、幻(ゆめ)の限りへ無限と透せる篩仕立ての〝併鏡(あわせかがみ)〟に巨躯を褒められ紅(あか)さを識(し)るのは、無闇矢鱈の信仰心(こころ)から成る旧いお色の空間(すきま)であった。日夜…日夜…日夜…。苦し紛れの文言(ことば)の巣箱は小宙(そら)を見詰めて女児を追い掛け、宙(そら)を見付けた一通(とおり)の坊には絵筆(ふで)が乗らずに延命(いのち)が欠けた。一女(おんな)の躰が如何でも挙がれぬ感覚(いしき)仕立ての憤悶(ふんもん)等には、分厚(あつ)い吐息が気楼を発する脆弱(よわ)い一体(からだ)が孤高を問うた…。

      ☆

 また。ふたまた。木のまた。あげまき。つのがみ。昔のこどもの髪の結い方の一。

      ☆

 奇麗すっかり〝にっかり・ポッカ…〟。端正(きれい)に居座る苦労の水面(みなも)は安い気配に淀みを忘れて、俗世(このよ)と丫の世(あのよ)の女児の行方を生(ゆ)く生(ゆ)く見棄てて純白味(しろみ)を吟味(あじ)わい、児(こども)と言えども旧い〝水面(みなも)〟は、小敗地(アジト)を忘れてツンとしていた。しどろもどろに奈落を見送る巨矩(きょく)の許容(うち)では律儀に息衝け、俺と一女(おんな)の平行線には、俗世(このよ)の合図は通らなかった。妻を保(も)たずに一女(おんな)を射止めず、女神を射止めず女性(おんな)が成らない現世(このよ)の豪華の泡沫(あぶく)の成果(さき)では、俺の幻(ゆめ)から空転(ころ)がる懐古(レトロ)は独り暗黙(やみ)にて談笑している…。空野(くうや)、空野(くうや)、空野(くうや)、…喰うや喰わずの理知の畝(うねり)は何処(いずこ)も同じで紅味(あかみ)が差し活き、生きる人路(みち)にて気苦労して行く過酷な信途(しんと)がその身を挙げた。一女(おんな)の虚無には宙(そら)が問えずに一体(からだ)が締まらず、過去の奈落に意味を付せ得る旧来独語(むかしがたり)の俗語が付し活き、一幻(ゆめ)の感覚(いしき)に問わず語りの断固の〝字訓(じよ)み〟が空(くう)を徹した。―気心(こころ)叶わず旧(むかし)の暗転(ころび)は神秘(ふしぎ)を拝して安転(まろび)を培い、男児の瞳(め)にした空(そら)の水面(みなも)は遠方(とおく)を遮る女魔(あくま)を引き出し、快活被(かいかつかぶ)りで自己(おのれ)を引き出す初春(はる)の暖風(かぜ)には女神が現れ、明日(あす)を培う仔童(しどう)の呼吸(いき)には、思春の冷気をちょこんと乗せ合う男・女(だんじょ)の湯浴みが提灯(あかり)を保(も)った…。男児の髷には思春(はる)の一女(おんな)が宙(そら)に跳び発(た)つ、旧い瞳(ひとみ)に自覚(かくご)を凝らした幻(ゆめ)の現(うつつ)の転倒(まろび)があった。


「襾」

 覆うのだ。覆うのだ。雨が降っても覆うのだ。女性(おんな)の禿(かむろ)は雨を宿せる〝一匹伝(いっぴきづた)い〟の茂りであった。気温を宿せる柔(じゅう)の軟裸(やわら)を一時伝(いっときづた)いに覆って行くのだ…。気泡に統(たば)ねる連綿・連如(れんにょ)は事始(こと)の概(おお)くを信じていながら幻想(ゆめ)に見紛う気色の一形(かたち)は白紙を通して連女(れんにょ)を足ら締め、厚い気長に追随して生(ゆ)く昨日の一灯(あかり)は現代人(ひと)の知識に通面(つうめん)して行く。出来事(こと)の惨事は惨さを伴う未遂が伴い、男性(おとこ)と女性(おんな)の未然の格差に大手を振り上げ追随して生(ゆ)く…。奇妙の調子に未然を防げぬ人間(ひと)の歴史(かこ)には懐かしさが在り、至闘(しとう)に灯せる日蓋(ひぶた)の許容(うち)には見様(みよう)の仕種が順じて仕上がり、過程を踏まえた「王佐」の波には無言の律儀が画され始める…。幻(ゆめ)の未完(みじゅく)を沸々咎める…。孤独の概(おお)さを未順に仕組める…。自然(あるじ)の謎には無断の外気が登頂しており、自体(おのれ)の感覚(いしき)に憤怒を掠める脚色(いろ)の未覚(みかく)をきちんと識(し)った。分厚(あつ)い孤独は連夜にのさばり、幻覚(ゆめ)の下肢(あし)にて器用を固める自体(おのれ)の感度は孤独を仕垂(した)らせ、無応の行儀へ理屈を深める孤高の懺悔を回収している…。陰府(よみ)の末から無断が寝そべる紺(あお)い気儘にペンが止むのは、幼女(おんな)の意識に自然(あるじ)を固める無言の危惧にて一向変らず、覆い隠せる天変地異など無言の範囲で静まり行き過ぎ、事始(こと)を擁する愚行(おろか)の労苦は、幻(ゆめ)の果実に現実(おのれ)を観ていた。覆う幻(ゆめ)には現実(うつつ)の翳りが…。過去の内から脆弱味(よわみ)が煽られ、神秘(ふしぎ)の正理(せいり)が身重に並べる無適(むてき)の真話(しんわ)へその実(み)が割かれ、現行人(ひと)の集成(シグマ)に無断を放てる揚々迷子の孤独を労い、神秘(ふしぎ)の蚕は女体を蹴散らす無純(むじゅん)の純化を密かに待った…。多少なりとも雨を降らせる熱帯雨林の防風体(ぼうふうたい)には女児(こども)の仕種に陽(よう)を当て行く惨い仕打ちの覆いが被さり、「戸隠れ」成らずの「葉隠れ」通りの生命(いのち)の延びから生気が仕上がり、現行人(ひと)の忍従(しのび)に無屈(むくつ)を為すのは滑稽(おかし)な児(こども)の愛(うつく)しさである。事始(こと)の熱気へ埋れて行くのは不断の生茂(せいも)に暗転(まろび)を知る内、一幻(ゆめ)の着(ちゃく)から〝網羅〟が仕上がる〝稀有〟の個別がそのまま顕れ、一幻(ゆめ)の未完(みじゅく)に四肢(てあし)が覆える旧い讃美の具体の形跡(あと)には、「大好き…」ばかりが孤高を射止める亀の甲羅が生気を解いた…。無臭の覆い。


「亜」

 白木を破ればそこは海…。小声の空転(まろび)は芦屋に吹けどもポエムの独語(かたり)は一体(からだ)を生やさず、白砂青松、信じて違(たが)えぬ暗転(まろび)の文化は野次に対して達観して居り、旧い景色に応募を気取れる羽虫(むし)の庭では無垢を信じて、〝白砂〟を気取れぬ陽(よう)の付帯に亜人(あじん)の生果は切迫している…。白亜の初端(すそ)から幻(ゆめ)が堕ち行く自体(おのれのからだ)の熱意の甲(こう)には、幻(ゆめ)の旧差(ふるさ)が然程も変らぬ〝故郷〟の陽気に淳和を伴い、分厚(あつ)い兆しに幸(こう)を見ている男児(こども)の素顔は朝帰りに在り、理知を棄てずに体(たい)を表す矛盾の狂義(きょうぎ)に鋭利(とがり)を観ていた。孤高の静寂(しじま)に各(おの)を失くせる一通限りの無応の従者は、身欲(よく)の中身に私欲(よく)を奏でる白亜(しろ)い狂喜へ狂乱した儘、幻(ゆめ)の空転(まろび)に追随して生(ゆ)く旧来独語(むかしがたり)の王佐の身蔭(かげ)には、通り相場の〝純化〟に名高い旧峠(むかしとうげ)の理屈が従う―。

 規則正しい亜細亜の初端(すそ)では愚行(おろか)な理屈が散在してあり、無言を窮する束(つか)の一幻(ゆめ)には亜細亜の目下(ふもと)が謳歌を気にして、理由繋ぎの旧い白茂(しらも)は未屈(みくつ)に有利な羽衣さえ採り、葦の丸屋(まろや)へ秋風(かぜ)を見送る不断の生気に幻(ゆめ)をも彩(と)った。

      ☆

 つぐ。つぎ。それに次ぐ。その下に位する。亜聖。亜流。無機酸で酸素の含まれている割合が少ないこと。亜硫酸。亜細亜。東亜。白い土。しっくい。ぬりかざった壁。白亜。

      ☆

 陽(よう)の見えない旧い塹壕が在る。一匹(ひとり)の兵士が幻(ゆめ)を観たまま始終の生気を痛感していた。穴の底から一女(おんな)の共鳴(さけび)が一体(からだ)を表し、旧い白壁(とびら)を一枚隔てて、大きな欠伸を一連吐(つ)いた。弱い女性(おんな)はか細い腕から滝を想わす白糸(いと)を引き摺り、男性(おとこ)の巨躯へとその実(み)を誘(いざな)う向日の首(こうべ)に自体(おのれ)を投げ捨て、旧い穴から幻(ゆめ)が絶えない未活(みかつ)の信途(しんと)を大事にしていた。…立腹して生(ゆ)く主宴(うたげ)の自然(あるじ)は男児を培う固陋を観たまま旧事(こと)の生憶(きおく)に粉砕して行く気楼の暗黙(やみ)から生茂(せいも)を盛り立て、次第に巨躯から逃れ始める旧来(むかしながら)の追想へと退(の)き、真摯に努める自己(おのれ)の気色を穴へ埋(うず)めて静かに鳴った。自己(おのれ)の父性(あぼじ)に生気を見果てて秋空(そら)の目下(ふもと)で可笑しく問うのは、一幻(ゆめ)の未知から不要に問い往く旧い眼をした兵士の肉塊(からだ)で、煽り過ぎない墓穴の歪曲(ゆがみ)は事始(こと)の身重に良く良く帰す儘、自己(おのれ)の延命(いのち)を孤憶(こおく)に問い得る安い気長を延々待った。

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知言の追抄(ちげんのついしょう) 天川裕司 @tenkawayuji

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