18.女子たちの優しい世界
誤解が解けたところで(主に松雪さんのせい)三人で昼食をとるということになった。
「それにしても、お二人ともここにいて暑くないのですか?」
松雪さんが涼やかな顔でそんなことを尋ねてくる。
時期は九月下旬。
ばあちゃんが「暑さ寒さも彼岸まで」とよく言っていたものだけど、今年の残暑は厳しかった。風が吹いているので耐えられないほどではないけど、汗ばむ程度には暑い。
日差しを遮るものがない屋上ならなおさらだ。
「あたしは平気」
城戸さんは、松雪さん以上の涼しい顔で答える。汗をかいている様子は微塵もないし、強がっているわけでもないのだろう。
「まあ、僕も平気かな」
なのに僕が「暑い」と口にするわけにはいかなかった。先輩として、男としての意地だ。
「そうですか? 私は少し暑いのですけれど」
松雪さんはあっさりと弱音を吐く。いや、僕が変に考えてしまっただけで、こんなことは弱音のうちに入らないのだろう。
「なら、日傘でも持ってこようか?」
そんな松雪さんに城戸さんが気遣いを見せる。
「え、いいですよ。気にしないでください」
「すぐそこにあるから手間じゃない」
「すぐそこ?」
城戸さんはすくっと立ち上がって屋上のドアに向かった。
ここから昇降口にある傘置き場に向かうのはけっこう距離がある。松雪さんもそれがわかって口を開きかけたのだが、言葉になる前に止まった。
城戸さんはドアに手をかけることはせず、その上にある貯水槽のある場所へと昇ったのだ。
「よいしょっと」
時間をかけることもなく、すぐに飛び降りてきた城戸さん。その手には、確かに傘が握られていた。
「これでどう?」
傘を開いて松雪さんに差し出す。
「あ、ありがとうございます」
明らかに戸惑っている松雪さん。どこから出してきたんだよとツッコミたい気持ちがビシビシと伝わってくる。
しかし、せっかく自分のために持ってきてくれたのだ。後輩からの善意を無下にすることはできないだろう。松雪さんは笑顔を作って受け取っていた。
松雪さんが日傘を持つと、深窓の令嬢感が増すなぁ。外見は黒髪ロングの清楚系だもんね。
「代わりと言ってはなんですが、ハンカチをどうぞ。そのまま座ると制服が汚れてしまいますよ?」
「あ、ありがとう……」
城戸さんは照れながらハンカチを受け取った。
言われて気づいたけど、松雪さんはハンカチを敷いた上に座っていた。こういうのを気にするのって女子って感じがするな。
「そんなに見つめられても、比呂くんの分はありませんよ」
「別に物欲しそうに見ていたわけじゃないからねっ」
でも、今度から余分にハンカチを持ってこようと決めた。
さて、そんなこんなでようやく食事タイムである。
とはいえ、僕と城戸さんは購買で買った総菜パンだ。青空の下で食べるのなら、こうやって手軽に食べられるものがいいだろう。
「おかずパンですか……美味しそうですね」
松雪さんは小さな弁当箱を持ってきていた。ちゃんと弁当がある方がいいと思うんだけど。
「弁当の方が栄養があっていいと思うよ」
「うん。栄養に偏りがあると矢沢先輩みたいに小さくなっちゃう」
「オイ後輩。僕を小さくてか弱い男にするのはやめてもらおうか」
「そこまでは、言ってない……」
友達だからこそ、先輩後輩という立場をハッキリさせておいた方がいいかもしれない。だって城戸さん、絶対に僕のこと先輩として見てないでしょ。
「ふふ……お二人とも、これを見てから羨ましがってもらいましょうか」
松雪さんは妖しく笑いながら、弁当箱を開け放った。
「おおっ! ……おお?」
一目見た時は、なんて色鮮やかな弁当なのだろうかと思った。
しかしよく見てみれば、弁当のほとんどが野菜で占められていた。ほとんどっていうか全部だ。え、サラダ弁当?
「お米が入ってないように見えるんだけど……。あっ、もう一つの弁当箱に入ってるんだね。二段になってるやつだ」
「入っていませんよ。こっちも野菜です」
「え?」
「これが、私のお弁当の全部です」
松雪さんがふっと微笑む。いつものニッコリしたものではなく、哀愁を感じさせる笑みだった。
「……ダイエット中?」
「比呂くん、それは男子が女子に聞いてはいけないことですよ」
「ご、ごめんっ」
松雪さんにジトっとした目を向けられてしまった。少し考えたら繊細なことだってわかるだろうに……僕のバカ。
「これだけで、午後の授業は持つの?」
「ご心配ありがとうございます紬さん。私は運動部というわけでもないですし、人間三食きっちり食べなくてもなんとかなるものですよ」
体型維持のためだろうか? モデルさんとか、サラダしか食べないほどストイックに食事制限していると聞いたことがあるし。
松雪さんの美貌は、努力の賜物だったってことか。
「それに、ワガママを言うと母に怒られてしまいますから……」
松雪さんがぽつりと呟く。
彼女が逆らえない存在。それが母親なのだと、少し沈んだ声色だけで伝わってきた。
「厳しいお母さんなんだね」
「えへへ」
笑って誤魔化されてしまった。そういう誤魔化し方すると、真実味が出ちゃうだろ。
「松雪先輩。これ、食べて」
「え?」
城戸さんが自分のパンを半分千切って、松雪さんに差し出した。
「お近づきの印。ね?」
「……」
城戸さんに差し出されたパンをまじまじと見つめる松雪さん。なんだか固まっているように見える。
食事制限しているのにいいのだろうか? 口を挟んだ方がいいのだろうかと迷っていると、松雪さんがおずおずと差し出されたパンを受け取った。
「ありがとうございます紬さん。本当に、嬉しいですっ」
松雪さんは満面の笑みでお礼を言った。心からの笑顔だと伝わってくるほどにニッコニコだった。
女子二人から優しい世界が広がる。世界は、ほんのちょっとの優しさで平和になるのかもしれない。
城戸さんは満足げに頷くと、自分のパンにかぶりついた。けっこう食べっぷりのいい後輩だ。
城戸さんの思いやりが迷惑ではなかったようで安心する。そもそもポテチやパンケーキを食べていたんだから、別にサラダしか食べられないってことはないのだろう。
「僕も、ちょっとだけおすそ分け」
「比呂くん」
城戸さんにも分けてもらっているし、半分だと逆に迷惑になるかもしれないので、ちょっとだけ千切ったパンを松雪さんに差し出す。購買で人気のコロッケパンだ。
「ふふっ、お二人とも優しいですね。そんな比呂くんと紬さんにプチトマトとブロッコリーをあげましょう」
「え、別に僕はいいよ」
「ダメです。ちゃんと野菜も食べないと大きくなれませんよ」
松雪さんもか……。身長についてはもう諦めてるんだから放っておいてほしい。
けれど、うん……たまにはこういうのも悪くないかもしれない。
松雪さんが加わった昼食は、和やかにおしゃべりできて楽しかった。
◇ ◇ ◇
昼休みが終わって、城戸さんと別れ松雪さんと二人で教室に戻る。
「城戸さんともQRコード交換してしまった……」
松雪さんの提案で、僕たちは城戸さんとSNSアプリのQRコード交換をしたのだ。さすがは陽キャ、行動が速い。
おかげで、つい先日まで美月と母親くらいしか女性の連絡先が入っていなかったというのに、ここ数日で二人も女友達の名前が加えられた。
順調に連絡先が増えていくスマホを眺めながら、ニヤニヤしそうになる表情筋を引き締めていると、松雪さんが僕の顔を覗き込んできた。
「紬さん、いい子ですね」
「うん。とても優しい人だと思うよ」
綺麗な顔なのに表情が乏しくて、背が高くて迫力があるから、最初は威圧感があったものだけど。接してみると優しい人だってわかる。
それは松雪さんにも充分に伝わったのだろう。「ですよね」と頷く。
「やはり、噂通りの人だとは思えませんね……」
松雪さんの言葉で、すぐに思い出したのは、男子グループがしていた会話。
「噂ってあのっ……」
途中で言葉を詰まらせてしまう。
噂というには、とても言いづらいことだから。
けれど松雪さんは、表情を消して口にした。
「ええ。紬さんが父親を半殺しにした、という噂のことです……」
学校一の美少女から放たれた物騒な言葉に、僕は唇を噛みしめたのだった。
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