13.幼馴染の笑顔が嫌い

 あれから喫茶店の落ち着いた雰囲気の中、僕と松雪さんとの会話は盛り上がった。

 この僕が! 信じられないことに女子との会話で盛り上がったのである!

 松雪さんと別れた今でも信じられないほどの快挙だ。実は僕っておしゃべり上手なのではなかろうか?


「なーんて、調子に乗ると痛い目を見るのがオチなんだろうけど」


 こういうのは、本当は相手の方がコミュ力が高かったから上手くいっただけなんだ。決して僕自身が話し上手だと勘違いしてはいけない。

 それでも楽しかったことに変わりはない。自然と足取りが軽くなる。

 帰宅して、真っ直ぐ自室に向かう。

 楽しくはあったけど、今日もいくつかやらかしがあった気がする。とりあえず一人反省会を始めようか。


「遅かったじゃない比呂」

「うぇっ!?」


 自室のドアを開けると美月が待ち構えていた。驚きすぎて変な声が出てしまう。


「な、なんで美月がここに!?」

「そんなに驚くことないでしょ。これくらいいつものことなのに」


 そうだった。美月は幼馴染なのをいいことに、たびたび僕の部屋に訪れるのだ。

 彼氏を作ったからこういうことはなくなるだろうと思っていたのに……。

 って、いやいやいや、僕の考えが甘かったというより、美月の脇が甘いだけなのでは? 彼氏持ちの女子がおいそれと男子の部屋に入っちゃダメだと思うんだけど。

 当たり前のようにベッドに腰かけてるし……。幼馴染だと思って気にしていないんだろうけど、僕はドキドキしちゃうんだからなっ。そこんとこわかってんのか! ……なんて、絶対に言えないんだけども。


「えっとね……」


 いつもはきはきしている美月にしては珍しく、口をもにょもにょとさせている。

 喫茶店でのやり取りを思うと、僕の態度を怒りに来たといったところか。手を振り払ったりとかしたし。美月にとっては飼い犬に手を噛まれたくらいは怒っているのかもしれない。って、僕犬かよ。


「ご、ごめんね比呂っ」

「え?」


 警戒しながら様子をうかがっていると、美月は頭を下げて謝った。

 怒られるかもと思っていただけに、これには驚いて美月をまじまじと見つめてしまう。


「私、松雪さんの悪い噂ばっかり聞いていたから、比呂が彼女の毒牙にかかると想像したら頭がこう、かーっとなっちゃって……。ちゃんと知りもしないのにあんな風な態度とっちゃって……本っ当にごめん」


 松雪さんの毒牙……。なんとなく美月のイメージが伝わってくる。


「よくよく考えたら、もし松雪さんが悪女でも比呂なんかを標的にしたりしないかなって気づいたの。ほら、比呂なんか目立たない男子なのに、わざわざ手を出す理由がないよ」

「あれ、今僕のことディスらなかった?」


 美月は僕の言葉を無視して続ける。


「だから、松雪さんが本当に比呂の友達だとしたら悪いことしたかなって……。もしかしたら、三パーセントくらいはそういう可能性があるかもしれないし」


 三パーセントくらいというのがリアルに考えている数字に感じる。美月が僕に対する評価に、容赦がなさすぎてつらい……。


「それで謝りに来たんだ?」

「うん。あれから松雪さんと気まずくならなかった?」


 美月が上目遣いで僕をうかがう。

 昔から、彼女のこういう目に弱いんだ。

 本気で心配してくれて、それが空回りしていたら本気で謝ってくれて。

 ちゃんと僕に向き合ってくれるから……。そんな人、美月しかいない。


「僕は大丈夫。それよりも美月の方が心配だよ。あの後泉くんとどうだったの?」


 言ってから、しまったと思う。

 自分からは絶対に聞くつもりはなかったのに。

 僕の気持ちとは対照的に、美月の口元が緩む。


「うん……。泉くんが冷静に落ち着かせてくれてね。彼のおかげでこうやって比呂に謝ろうって思えたんだ」


 美月は栗色の髪を撫でつけながら、照れ以上の嬉しさを溢れさせて答える。


「そっか……泉くんの、おかげで……」


 こういう話を、聞きたくなかったのにな……。

 美月が笑うと、胸がズキズキと痛む。

 その笑顔が、僕以外の男から生まれたものだと思うだけで心に鋭利なものが突き刺されているような感覚がするのだ。

 僕は美月が好きだ。恋人を作ってしまった彼女でさえも、愛おしいと思ってしまうほどに。


「えへへ、泉くんが彼氏で本当によかったよ」


 息が、詰まる。

 美月の幸せが、苦しいと感じる日が来るなんて思ってもみなかった。彼氏と順調に関係を築いているのが、見ないようにしていても表情や態度から伝わってくる。

 それをわかってしまうのが、嫌だった……。


「はい、話はここで終わり。さあ帰った帰った」


 耐え切れなくなって、話を打ち切った。


「えぇっ!? まだ比呂と松雪さんのこと聞けてないのに」

「僕たちはただの友達。以上! 僕も忙しいんだから早く帰ってよね」

「あ、ちょっ、押さないでよ~。比呂の意地悪~」

「はいはい、じゃあね」


 美月を部屋から追い出した。


「……」


 美月はドアの向こう側から何か言っていたけれど、返事の一つもできなかった。普段通りに振る舞えたけど、余裕なんてものはまったくなかった。

 しばらくしてから階段を下りる足音が聞こえて、ようやく帰ってくれたかと息をつく。

 足の力が抜けて、ドアに背を預けながらズルズルと腰を下ろした。


「クソッ……」


 胸のズキズキは、まだ収まらない。

 僕の心の整理はいつつくのだろうか。今はまだ、終わりが見えない。


「変わりたいなぁ……」


 いつまでも美月に振り回されたくはない。

 いつまでも、美月の重荷にはなりたくなかった……。



  ◇ ◇ ◇



 破壊された脳と傷ついた心が変わらないまま、朝を迎えた。


「……」


 頭がぼーっとする。元気が出ない。

 それでもルーティーンというものは身体に沁みついているもので、僕は身支度を済ませて学校に登校した。


「や、矢沢くんっ」

「うわっ!?」


 上履きに履き替えて、教室に向かって廊下を歩いていた。

 その時、突然僕を壁際まで引っ張る影。僕に抵抗する術はなかった。


「す、少し話があるんだ……い、いいかなっ」


 僕よりも、頭一つ分は背が高い男子。

 僕を壁際に追い詰めるために力を使ったからか、息遣いが荒い。吐息が顔に当たって微妙な気持ちにさせられる。


「う、うん……」


 美月の彼氏、泉くんの突然の接触に、僕はただ頷くことしかできなかったのだった。


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