7.秘密の夜

 どうしてこうなった?

 夜の公園のベンチで、僕と松雪さんは隣り合って座っていた。


「ふんふふーん♪」


 松雪さんはといえば、学校での上品なものとは違った種類の笑顔でスナック菓子の袋を開けていた。鼻歌まで歌っちゃったりして、そんなにもお菓子を食べるのが楽しみだったのだろうか?

 公園に僕を連れ込んだのは松雪さんだ。有無を言わせる暇すら与えないといった感じだったので、帰るタイミングを逃してしまった。


「あの、家で食べたら?」


 開けてからでは手遅れだと思ったけど、言わずにはいられなかった。

 僕の指摘に対して、松雪さんは真面目な顔で声を潜める。


「実は……私の母がスナック菓子を禁止しているのです」

「は、はあ……。家で食べると怒られると?」

「はい。それはもうカンカンに怒りますね。私もまだ命が惜しいもので、ここで食べて証拠を隠滅するしかないのです」


 松雪さんでも親の怒りを買うのは怖いらしい。ちょっと大げさすぎる気がするけども。

 学校での彼女は、要領が良さそうだからあまり親から怒られた経験がなさそうな印象だったけれど。この様子を見ると、けっこう叱られた経験があるようだ。


「そういうわけですので、はい」

「はい?」


 スナック菓子の定番、ポテトチップス。

 その一枚をそっと掴み、僕に差し出す松雪さんの意図がわからず首をかしげてしまう。


「どうぞ、お納めください。口止め料です」

「あ、そう……」


 ポテチを受け取る。一枚だけって、口止め料安いなぁ。

 でも、みんなが学校一の美少女と認める松雪さんがくれた一枚だ。人によれば羨ましくて仕方がないのかもしれない。


「ありがとう」


 一応お礼は言っておく。別にこんなことしなくても、松雪さんの母親に告げ口するほど僕も暇じゃないけど。

 返ってきたのは「どういたしまして」の言葉ではなく、プシュッと空気が抜けた音だった。


「この音、堪りませんね♪」


 松雪さんはそれはもう嬉しそうにコーラのペットボトルを開けていた。

 ポテチにコーラ。最高にジャンクな組み合わせ。気分はさながらちょっとしたパーティーだろうか。

 僕たちの年代ではそう珍しくもないお菓子のチョイスなんだろうけど、それが松雪さんとなれば不思議に見えた。

 普段から上品な印象だったから、お菓子を食べるにしても、もっとおしゃれなものを口にするのだと勝手に思っていた。たとえば……マカロンとか?


「ぷはーっ! コーラの甘さとポテチの塩気が堪りませんっ。私はこの瞬間のために生きていたのですね!」

「いやいや、大げさすぎだって」


 ぐいっとコーラを喉に流し込み、ポテチを頬張る松雪さん。

 なんか、普通の女の子みたいだ。

 美月なんか僕の目の前で寝転がりながらポテチを食べて、コーラを飲みながら漫画を読むという自堕落な姿を見せたことがあった。

 それが松雪さんに置き換わるとは、想像もしたことがなかった。

 彼女を偏見の目で見ていたことに気づいて反省する。そうだよな、いつも背筋を伸ばして生きているわけないもんな。


「いつも公園でポテチ食べてるの?」

「ええ。こんな姿、絶対にお母さんに見つかるわけにはいかないので……」


 松雪さんがぶるりと身体を震わせる。

 松雪さんの母親はそんなにも恐ろしい人なのか? なんだか見てみたいような、見たくないような気分。


「でも、夜に女子一人でいるのは危ないよ」

「これは私の月一の楽しみなんですっ。リスクがあるとわかっていても、やめたくはありません。それに、帽子を被って男の子の格好をしていたら案外大丈夫ですよ」


 松雪さんは艶やかな長い黒髪を帽子の中に収めている。身体のラインが出ないダボっとした服装をしていると、確かにぱっと見、男なのか女なのかわからない。


「でも、やっぱり危ないって」


 男装をしていたとしても、夜に女子が一人で出歩くことが危険なことには変わりない。

 それに声を聞けばすぐに女子だとバレるし、サングラスをしていても白くて潤いのある肌は女性のものとしか思えない。


「比呂くんは、下心なしに私を心配してくれるのですね」

「え、下心がないってわかるものなの?」

「はい。私にも女の勘というものが働くのですよ」


 女の勘ってすげえ。女子って下心のある視線や気持ちに敏感って聞いたことがあるけど、それって本当だったんだな。

 どうやら美月には備わっていない感覚のようだけれど。彼女に女の勘なんてものがあるのなら、僕の恋心に気づいてとっくに振られていただろうからね。って、振られちゃうのかよっ!


「それにしても、比呂くんって話してみると普通にしゃべりますよね」

「え、ま、まあ……普通に?」

「クラスではもっとふにゃふにゃしたしゃべり方といいますか、口数も少ないですし。今のような話し方ならみんな受け入れてくれると、私は思いますよ」


 松雪さんは簡単そうに言ってくれる。

 どうやら彼女は、陰キャという生態がわかっていないらしい。


「松雪さんはわかっていないね」

「と、言いますと?」


 松雪さんが聞く体勢になったので、僕は陰キャというものがどういった存在なのか教えてあげることにした。


「僕は自分を陰キャだと自覚している。みんなは陰キャなんていつもどもっているように思っているみたいだけど、実はそうじゃない。陰キャにも人の数だけ種類があるんだ」

「種類、ですか」

「そう。たとえば僕の場合、まったく話ができないわけじゃない。話しかけてもらえれば返事ができる。でもそれは一対一の場合での話だ。大勢がいる場所でしゃべるのはハードルが高くなる」

「それはわかりますね。私も大勢の人がいると気を遣いますから」

「そうなんだよ。考えることが多くなるから、答えの幅も自然と広がってしまう。そこから正しい返事を、と考えている間に他の人に先を越されてしまうんだ」

「なるほど。空気を読みすぎてしまうのですね」

「そうなんだよ。陽キャと呼ばれる人はそこんとこ気にしていないように、僕には思えるけどね。こっちは反射ではなく、ちゃんと答えようとしているから返事が遅くなるだけで、決して何も考えていないわけではないってのに──」


 ……って、僕は何を語っているんだっ!?

 変なことを口走ってしまった後悔に苛まれる。夜に女子と二人きりだからって調子に乗ったのか?

 ああ、死にたい……。


「ということは、一対一なら……比呂くんは私ともおしゃべりしてくれるのですか?」

「え?」


 松雪さんはポテチを咀嚼しながら、僕を見つめている。

 公園の照明に照らされた瞳が、純粋な光を帯びているように思えた。


「私、クラスメイトのお友達がほしいです。比呂くんなら下心がありませんし、……できるだけ迷惑をかけないようにしますので、私のお友達に……なってもらえませんか?」


 友達……。それなら僕もほしい。

 でも、松雪さんなら僕じゃなくても、クラスに友達くらいいるだろう。それなのに、今の言葉だとクラスメイトに友達がいないように聞こえる。

 それに僕自身、高校で初めての友達が女子でいいのか?

 ……そんな無駄なことをうだうだ考えているから、なかなか友達ができなかったんじゃないのか。


「ぼ、僕でよければ……松雪さんの友達になりたい……かな」


 迷いを振り切って、目の前のチャンスに飛びつくことにした。

 あの人気者の松雪さんが、わざわざこんなことを言うなんてあり得ない。

 でも、ここで拒絶したら、僕はずっと孤立したままだ。そんなのは嫌だった。

 もう美月に頼っていられる時期は終わってしまったのだから。


「ありがとうございます比呂くん!」


 花が咲いたような笑顔が、夜の公園で輝きを放った。

 そっと差し出された手を握って、僕たちは友達契約を結んだ。

 ……松雪さんの手、ちょっと油っぽいんですけど。ポテチを食べた手で握手を求めるのはやめてほしかったなぁ。


「お近づきの印に、もう一枚どうぞ」

「あ、ありがとう」


 学校一の美少女からもらったポテチは、しょっぱい味がした。



  ◇ ◇ ◇



 松雪さんと友達になった次の日。


「松雪さんって、男を騙す悪女なんだってさ」


 松雪綾乃が悪女である。などという、噂を耳にしたのであった。


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