第二章 道具屋店員編
第7話 クリスとの生活
グッモーニン エブリワン。
フェイクラントだ。
前の名前? なんだっていいだろそんなモン。
あれから1か月が過ぎた。
正直、この世界の生活にもかなり慣れてきた。
俺は今、この小さな田舎村、プレーリーにあるこれまた小さい道具屋の店番をしている。
オーナー兼幼馴染のクリスの雇われの身だ。
初日から「汚い」と言われたので身なりは整えることにした。
髭は剃り、一着しかない服は洗濯、クリスに仕事用の新しい服を買ってもらった。
何から何まで彼女には頭が上がらない。
「ばか」
道具屋の内装はクリス謹製だ。
こじんまりとしているが、が木の香りが心地よく、棚や壁にはポーションや魔道具、装備なども並べてある。まるでジ〇リだ。
要所要所に小さな植物が置かれているのは、彼女のマメな性格を表しているようで温かい。
マメといえば、クリスは毎日のように教会に行ってお祈りをしている。日ごろの行いが良い。
「ばーか……」
俺の仕事内容は主に店内、店前の清掃、品出し、接客だ。
仕入れに関しては時折クリスが隣町まで行って商人と交渉してくるか、訪れた客から買い取るかだ。
しかし、たまにベルギスが色々買い込んでくれるが、このチンケな村では客の出入りも少ない。
当然、そんな売り上げだけでは大人2人の生活はとても賄いきれないので、彼女は他に水魔術を使って農家の手伝いをしたり、教会の孤児たちに魔術を教えたりして小銭稼ぎもしている。
本当によく働く子だ。
「……ホントばか」
……ちなみに、さっきからちょこちょこ黒い手袋が入り口の扉をほんの少し開け、隙間から顔を覗かせてはバカバカと暴言を呟いてくるベージュロングヘヤーこそ、我が店のオーナークリスだ。
実に可愛らしいだろう? 語彙力の少なさがポイントだ。
ここでは初登場だが、クリスの足元では彼女のペット、プレーリーハウンドの「マルタロー」がご主人様と一緒に俺を睨んでいる。
さて、では一体なぜ彼女はこんなに毒づいているのかを説明するには、少しばかり時を戻す必要がある。
---
早朝。
俺は限界に達していた。
何がって? 性欲だよ。
あれから一か月。俺は自分で処理することもできず、クリスと一つ屋根の下で過ごしている。
いや、正確には深夜にトイレに引きこもったりして処理できてないこともないのだが。
クリスの家は狭い。
1階は道具屋の部分が大半を占めているので、居住区はほぼ2階部分しかない。
しかも、部屋は1つしかなく、ベッドも1つだけ。
まぁ、一緒に寝るというのは流石に無い。
クリスはベッドで、俺は部屋に置かれたソファで寝ている。
それはいいんだが、朝起きるとシーツに包まったクリスの姿が見えるのが目に毒すぎる。
薄っぺらいシーツは寝間着姿のクリスの身体のラインをこれでもかと言わんばかりに鮮明に表現していて、しかもクリスの寝起きは悪いときたもんだ。無防備すぎる姿に俺は日々頭を悩ませている。
そこで俺は思った。
そもそもクリスはフェイに惚れているのではなかったか?
結論付けるには早計すぎるかもしれないが、俺のギャルゲセンサーはビンビンとフラグを検知している。
何せ同じ部屋で熟睡できるくらいだ。
それはつまり「私はいつでも準備できてるよ」と信号を送っているのではないのだろうか。
加えて、クリスは見てわかる通りツンデレだ。
自分で言い出すことはできず、こういった形でしか表現できないとなれば、どうだ?
……うん、なんか、そんな気がしてきたぞ。
クリスは待っているのだ! そうに違いない!
「あとは……」
ベッドの横に毛布が敷き詰められたカゴがある。
そこにはクリスの愛犬? マルタローがすやすやと寝息を立てて眠っていた。
このプレーリーハウンド、ちゃんと育てれば人に懐くし飼育も可能なのだが、どういうワケか俺には一切懐かない。
いや、クリスにだけ懐いていると言った方がいいのかもしれない。
ふてこイッヌだ。
番犬の役割は果たせそうだ。
しかし、その番犬も今や夢の中。
いける。
俺の中のフェイクラントよ、お前の悩みの一つは俺が消してやる。
お前と俺は、今日で一緒に卒業だ!
俺は上の服を脱ぎ、禁断の
「……ん……んぅ……?」
俺の体重にズシン、とベッドが上下に揺れ、クリスがぼんやりと瞼を開く。
「ん?」
クリスを見ると、彼女は寝ているにもかかわらず、あの特徴的な黒い手袋をしていた。
基本的につけてはいるが、まさか寝る時まで付けているとは。
まぁいい、取ってしまおう。
「……ぅ?」
何をされているのかわかってないのか、クリスは俺に手袋を抵抗なく外されてく。
手袋なのに『脱がしている』という感覚が、なぜだが高揚する。
いけないことをしているみたいだ。
「フェイ……?」
まだ夢見心地なのか、とろんとした目は少し潤っていて、ゆっくりと俺の頬にその手を伸ばしてきた。
初めてクリスの生手が俺の頬に触れ、わずかに撫でる。
心地よい。
手袋でわからなかったが、細くて綺麗な指をしているんだな。
「ク……クリス……!」
「んぅ……?」
クリスは「どうしたの?」とでもいうように首を傾げる。
可愛い。
俺の理性は爆発寸前だった。
ほら、やっぱいけるんだよ。クリスは待っていたんだ!
ええと、次は何をしたらいいんだ!? やばい、なんか興奮してきてわけがわからなくなってきたぞ!
「はぁ、はぁ、ク、クリスぅ……でゅふふ」
「え……?」
後になって思う。
この瞬間の俺はとても人間の顔をしていなかった──と。
クリスは一瞬で我に返ったように目を大きく開き、自分の状況を確認する。
綺麗な白い顔はどんどん赤みを増して、瞳には漫画のように螺旋が描かれていた。
「もっ、燃え滾る力よ、我が前に集いて…け、け顕現せよ──『
「ちょっ!?」
あ、俺死んだ。
俺の頬に触れる手のひらから魔力が解き放たれる。
俺は真後ろに倒れるように瞬時に身を引き、直撃を免れた。
標的を外した火の玉は都合よく窓の外に飛んで行く。
あぶねぇ。あんなの直撃したらマジで死にかねん。
うん、やっぱ夜這いとかよくないよねっ。朝だけど。
「わ、わりぃクリス、冗談──」
「ッッ!!」
軽く謝ろうとベッドの上を見上げると、今の出来事で完全に覚醒したクリスは、怒るわけでも恥ずかしがるわけでもなく、まるで何かを恐れているかのようにカタカタと震えながら俺を見て戦慄していた。
それを見た俺は一瞬で血の気が引き、我に返った。
怖がらせてしまった。最低だ。何が冗談だ。
正直、怒られたり殴られたりする方がずっと楽だ。
反省しなければ。
人としてやってはいけないことをしてしまったと──。
「ご、ごめ──」
「あ……」
今度はクリスの少し呆れたような声でつい言葉が遮られる。
恐る恐る、俺は顔を上げると、彼女は呆気にとられてたような目をしながら口をぽかんと開いてこちらを見ていた。
ころころ表情が変わるな。今度はなんだ…?
……なんか、焦げ臭い。
しかしなんだ? さっきから視界の上の方ではその部分だけ陽炎のようにやたらとユラユラとしていて……。
俺は手を額あたりに当ててみる。
「アッツ!!!!!!」
俺の前髪はクリスの信頼度と共に消滅した。
---
なんというか、お約束だ。
俺は勘違いしていたようだ。
ツンデレは属性なだけで、惚れるか惚れないかはまた別の勘定なのだろう。
勉強になった。
まだ謝れてないので、ちゃんと謝らなくては。
しかし、考えてみると本来この世界の住人ではない俺がフェイとクリスの関係にズカズカと入ってしまっていいのだろうかという懸念点はあった。
まぁ、フェイ自体、コイツがクリスに恋愛感情を抱いているという感覚も無いので、俺が介入しなければそもそも何もないのだろうが…。
それと、今のところフェイの意識が俺の意識と混在しているという感覚は無い。
あるのは記憶のみで、だからかはわからんが、フェイと距離の近かったクリスとの距離感がたまにバグる。
結果、女性に耐性のない俺が勘違いしてしまう。
店舗の清掃を終え、湯を沸かす。
そして水が熱され、お湯になる頃──
俺が入り口の前まで行くと、バカバカBOTにバタンっ、と扉を閉められた。
警戒されてるなぁ。
特に押さえつけられてることもないようなので、扉を開く。
扉のすぐ横ではマルタローを抱きながらうずくまっているクリスがいた。
「なぁ、そろそろ戻らないか? コーヒーを淹れたんだ。あったかいぞ」
「…………」
クリスは駄々っ子のようにうずくまって目を伏せたままだ。
マルタローはご主人様に抱かれながら相変わらず俺を睨んでいる。
初めてプレーリーハウンドに追いかけられたことを思い出す。
ちょっとしたトラウマだ。
「……信頼してたの」
「ごめん」
「でもいきなりなんて、その……ばかじゃないの?」
「ごめん」
「……そりゃあ、私だってちゃんと想いを伝えてくれてから、段階を踏んで…(ぼそぼそ)」
「ん?」
「バーーカ!」
「ごめん。もうしない」
「…………」
「…………」
数秒の沈黙の間が訪れる。
チラッ、とクリスが上目遣いで見上げてきたので、ニコッと笑顔を向けてやった。
「……なんともないの?」
「ん?」
何がだろうか。
「性欲は大丈夫なの?」と聞かれているならば、もう反省した。一人で処理してきた。
俺はもう無害だ!
「大丈夫だ。さっきトイレに行って俺の悪意はすべて──」
「ばっ……!! そんなの聞いてな……はぁ…もういい。……帰る」
「? おう」
いっぱい謝罪され、悪態も吐けて、スッキリしたらしい。
マルタローを抱きながらいつものように「しょーがないなぁ、もう」と呟きながら、トコトコと家に戻ってきたクリスの顔は、心なしか疲れているように見えた。
女心ってのは難しい。
28年間を棒に振ってきた俺には学ぶべきことが多そうだ──
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