泥団子と雪だるま
燦來
第1話
ショク、ジャク。ショク、ジャク。
「ねえ、早くおいでよ」
「待って! 今行く!」
小学校の校舎から少し離れたところにあるプレハブは私と悠太にとって秘密基地でありお家であった。
お父さんもお母さんもお仕事をしていて、小学校が終わって家に帰るといつも一人だった。家に一人でいてもつまらないし、かといって遠くに一人で行くのは怖いし、と思っていた時にこのプレハブ小屋を見つけた。初めはその周りで遊んでいるだけだった。
そんな日が数ヶ月続いたある夏の暑い日だった。夏休みに入り、午前中は家で宿題をしてお昼からは空腹を忘れるために散歩をする。夕方くらいにプレハブの周りで学校を見ながら夏休みが終わることを願う。小学二年生の小さな私の体は尋常ではない暑さを蓄えていた。
プレハブの日陰に入った時、ようやく訪れた涼しさに体が休めると勘違いしたのか、力が抜けてしまった。地面に吸い込まれるように倒れ込む。土の冷たさに感動しながら、自分はここで死んでしまうのかとぼんやりと考えていた。
「ねえ、大丈夫?」
プレハブから声をかけられた。幻聴かと思いながらうっすら目を開けると私と同じような体格をした男の子が私を見つめていた。
「こっち、早くおうちにおいで」
そう言って私を起こそうとするが力が入らず二人して地面に倒れ込んでしまう。
何度も何度もこけながら二人ともドロドロになってプレハブに入った。
男の子は私が入ったことを確認すると走ってどこかにいった。戻ってきた手にはスポーツドリンクが握られていた。
「はい! 飲んで!」
喉がカラカラだった私は凄まじいスピードでそれを飲み干した。
「僕、有岡悠太! 九歳! 君は?」
夏の太陽に負けないくらいの笑顔で私に笑いかける男の子。
「井上真子。八歳。」
私は、プレハブの床を見つめながらそう返事をした。
その日から私と悠太の共同生活が始まった。
悠太は生まれた時から心臓の病気があった。しかもご両親が悠太の病気を隠したいと思っていたため学校にはもちろん、家に帰ることも禁止されていた。
ほとんどの暮らしを一人でプレハブの中で行い、朝にお手伝いさんがご飯や着替えを持ってきて、通院の日であれば病院に連れて行かれていたらしい。
そのせいで、不健康そのものというような真っ白な肌に、ヒョロヒョロの体をしていた。
私は、夏休みの間悠太のもとで宿題をし、悠太に自分が習っている範囲で算数や国語を教えた。悠太はとても頭が良くて私よりも先に問題が解けるようになった。
おかげで、夏休みの宿題はすぐに終わった。
宿題タイムが終わったら遊びの時間だった。悠太は外に出ることを禁止されていたが、私が無理やり連れ出した。
蝉を捕まえたり、砂で遊んだり、激しい追いかけっこなどはせずに日陰で遊んだ。
中でも泥団子作りはブームになった。
どっちが綺麗な丸を作れるのか、ピカピカにできるのか、硬いものを作れるのか。黙々と泥を集めては丸くしていつの間にかプレハブの周りを囲えるほど泥団子を生成していた。
小学校が始まってからも放課後に悠太のところへ行くのが決まりになっていた。その日学校で習ったことを悠太に教えて、先生から追加でもらったプリントを悠太に渡す。
これまで勉強をしてこなかった悠太は勉強ができることが嬉しいらしく、いつも嬉しそうにプリントを受け取っていた。
半袖の季節が終わり、悠太にどんぐりや紅葉の落ち葉などを届けるようになった頃私たちの平穏が崩れ始めた。
悠太が寝込む日が増えたこと。
お父さんがずっと家にいるようになったこと。
学校が終わっていつものように悠太の元へ行くと悠太がお手伝いさん。と読んでいる人に迎えられた。
「悠太様は本日体調が悪いので、お引き取り願います」
そう言ってプレハブのドアを閉められた。私は、プレハブの前で何時間か座り込んで待っていたがその扉が開くことはなかった。
悠太に会えなかったことに落ち込みながらいつもよりも早い時間に家に帰った。誰もいないと思っていたその家にお父さんがいた。
あまり会えないお父さんがいたことが嬉しくて抱きつきに行くと私の体は壁まで飛ばされた。
意味がわからなかった。
お父さんは、私の元へやってくると何度もお腹や背中を殴った。
痛い。痛いよ。やめて。
何度そう言ってもやめてくれなかった。
お父さんは、
「カイコ。カイコ」
と唱えながら私が眠るまで殴り続けていた。
その日から私は、お父さんにお仕置きをされる日が続いた。学校に行くときも帰ってきてからも土日もずっと家にいるお父さんが怖かった。
でも、お父さんが怖いからと悠太のところへ行っても悠太は寝ている日が多く、話していてもしんどそうにすることが多くなっていた。
プレハブの周りに置いていた泥団子はいつの間にかなくなっていた。
冬休みに入ってもお父さんは家にずっといた。お母さんは帰ってこないことが増えた。
お母さんがいないと機嫌が悪いお父さんに、私がいい子じゃないから帰ってこないのだと何度もお仕置きをされた。
私は、もう何も感じないようになっていた。
その頃の私の楽しみは、図書館で借りてきた本を読むことだった。
私が二学期になり学校に通い始めてから悠太は読書にハマっていた。そんな悠太が本の面白さを私に解説してくれたのだ。
私は、シンデレラという作品にハマっていた。どんなに苦しい状況でも頑張っていれば王子様が迎えにきてくれる。という作品。
私にとっての王子様は悠太だと思っていた。
熱中症で死にかけていた私を救ってくれた悠太。私は、きっと知らない間に悠太を好きになっていた。
悠太に喜んで欲しくてプリントを貰いに行ったし、会えないと分かってからも庭で待っていた。
帰りが遅くなるとお父さんにお仕置きされるとわかっていても。
冬休みになって数日が経った。この日は特別お父さんの機嫌が悪かった。
お母さんの洋服が家から消えていて、机には「さようなら」と書かれた手紙が置いてあった。
お父さんはいつも以上に力任せに私にお仕置きをした。ランドセルや教科書も投げつけられ、お父さんが飲んでいた空き缶も投げられた。
ボロボロになった私は、お父さんに家の外に投げ出された。
風が冷たく、空はどんよりと重たかった。
長袖のシャツ一枚の私はドアをガチャガチャするが開かなかった。
私の足は、知らぬ間に秘密基地へ向かっていた。
悠太が私を救ってくれる。悠太に会いたい。その一心だった。
普段はあっという間に感じる通学路がとても長く感じる。足が冷たくてジリジリとする。靴を履いていないことにその時気がついた。
頭に冷たいものが当たりハッと顔を上げると雪が降っていた。
「めずらしい」
人生で初めての雪だった。
その雪は、地面につくとサッと溶けて水になる。どんどん足から体温を奪っていった。
私は、カタカタとロボットのような怪しい動きをしながら悠太の元へ急いだ。
ようやく辿り着いたプレハブに光はなかった。
私は、膝から崩れ落ちた。
悠太がいない。
電気がついていない。
私を失望させるには十分だった。
「真子ちゃん? 大丈夫?」
ハッとして目を覚ますと、私の服はびしょびしょだった。
そんな私を悠太が心配そうに見つめている。
「ゆう、た」
私は、パサパサな唇をかすかに動かした。
悠太は嬉しそうに笑った。
「ねえ、見て? 雪だるま!」
そう言って悠太は私にほとんど泥でできた雪だるまらしきものを見せてくれた。
「すぐに雪が溶けちゃうから土も混ぜたんだ!」
本で見た真っ白な雪だるまとは程遠い、薄茶色の雪だるま。
私はそれに触ろうと手を伸ばすと、悠太がそれを背中に隠した。
「真子ちゃんも一緒に作ろう!」
私、もう起きられないよ。ボロボロなんだよ。
そう言おうと思ったのに、悠太に触られると力が漲ってくる。
ああ、悠太ってやっぱり王子様のパワーがあるんだ。
私は自分の足でしっかりと立ち上がる。
「ねえ、早くおいでよ」
悠太が雪だるまを掲げるようにしながらプレハブの窓から中へ入っていく。
「待って! 今行く!」
私も慌ててその跡を追うように壁を通り抜けてプレハブの中へ入った。
泥団子と雪だるま 燦來 @sango0108
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