第2話
「退職代行サービスなら聞いたことあるけれど……」
猫村係長は困惑顔を浮かべた。その悩ましげな表情に、幹事の
「馬村のやつめ!」
犬村課長は声を荒げた。
「一度は参加すると言っておきながら、このような形で欠席するとはなんたる不届きなやつだ。人間関係を何だと心得ているんだ! あんなやつクビだ! クビ!」
犬村課長は、『忘年会だりぃ』と馬村が言っているのをこっそり聞いていたので、何らかの理由を付けてサボることを予期していた。すると、考えうるかぎり最悪の形で馬村のサボりが実行されたので、その怒りもひとしおだった。
炎のように燃えさかる瞳が、
「君には帰ってもらおう。不愉快だ。二度と顔も見たくない」
犬村課長の顔はゆでダコのように真っ赤になった。おりしも、タコとワカメの椀の物が運ばれてきたところだった。
ところが、驢馬村はフッと表情をゆるめてみせた。
「まあまあ、そうおっしゃらずに。こう見えましても、わたくしは宴席におけるプロフェッショナルでございます。盛り上げ役としてこの場で尽くさせていただきとうございます」
さきほどまで名刺を持っていた驢馬村の手がくるりと表を向くと、そこには今までなかったはずのボールペンが握られていた。
「あ、俺のペン⁉︎」
魚村主任がすっとんきょうな声を上げた。
「なんと!」
犬村課長はびっくりした。
「手品だわ!」
猫村係長は叫んだ。
「そんなことより、食事にしてくれ、もう我慢できない!」
同期の鳥村の全身はプルプル震え出し、突き出たその目はシーザーサラダのガラス鉢に接触しそうな距離まで近づいていた。
「まあいいだろう。君がプロを自称するというのなら、結構だ、お手並み拝見といこうじゃないか。どうせ馬村など宴席の数合わせにすぎん。かわりに
「それでは、この場にいることをお許しいただけるのですね」
驢馬村は畳の上に片膝をついた。
「よかろう――さあ、忘年会を始めようじゃないか」
犬村課長はパンパンと手を打ち鳴らした。
これを合図に、お店のスタッフが続々と入ってきて、瓶ビールの栓を抜きはじめた。
流れで課長のあいさつがなくなったので、
「やったー! メシが食えるぞ!」
同期の鳥村は、三日絶食させられた犬のように、猛烈に食いはじめた。からあげを二、三個口に放り込んだのだが、口がふさがって噛み切ることができず、唇の脇からは肉汁がぽたぽたとこぼれ落ちて、スーツのズボンを汚した。その姿は残飯をあさる豚のようで、その様子を隣で見ていた新入社員の猪村は食欲を失った。
「では、早速ご披露させていただきます」
いつの間にか驢馬村のもとには、テーブルクロスを敷いた一本足の丸い机が用意されていた。驢馬村はクロスのさらに上へと食べ物の載った小鉢を並べはじめた。
「この手品は!」
魚村主任は目を見開いた。
「テーブルの上のものを落とすことなく、テーブルクロスを引き抜くというアレね!」
猫村係長が声を張り上げた。
「失敗してみろ、即刻追い出してやる」
犬村課長はにやりと顔を歪めた。
「いきます!」
驢馬村の両手は、まようことなくテーブルクロスを引っ張った。お座敷に集まった面々は目を見張った。
すると、テーブルの上のものは、落下することなくそこにとどまっていた――手品は成功したのである。
「お上手!」
中堅社員の
なお、彼のマジックとはいわゆる失敗芸で、マジックがはじまる前の神妙な雰囲気と失敗とのギャップで笑いを誘う芸風だった。彼の芸は今後一生演じられることはなく、満面の笑みでみんなから迎えられるという期待とともに、時の砂の中に消える運命にあった。
「素敵……」
新入社員の猪村は顔を赤らめた。恋を知らなかった彼女は、驢馬村の整った容姿、洗練された身のこなし――そういったものにすっかり魅了されてしまった。
「まだまだ終わりませんよ」
テーブルクロスの下には、また別のテーブルクロスがあった。驢馬村はそれも難なく引き抜いてみせた。
「これは見事だ!」
犬村課長は思わず拍手している自分に気がついた。
「まだです!」
更に別のテーブルクロスがあった。驢馬村はそれも引き抜いた。
繰り返すこと五回。
マジックを終えて、驢馬村が両手を広げると、社員からは拍手と喝采があがった。
「ブラボー!」
鰻村は人の良い笑みを浮かべ、声を張り上げた。顔は笑っていたが、目は笑ってはいなかった。
すっかり酔いの回った鱝村と鸚鵡村などは「いいぞー!」「最高だ、驢馬村!」などとはやし立てた。
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