第2話 玻璃竜・王子・人魚

 ネオン・シラ・シュトラル。十七歳。天導教を中心とした宗教国家群と大陸の勢力を二分する、国家連合の盟主を務める大国シュトラルの王子。シュトラルの先王が晩年にようやく得た長男だが、病弱で公務には耐えられないからと離宮で静養の日々を送っている。


 ナデシコが事前に知っていたのは公表されているプロフィールだけ。だからまさか、夫が女性だという事実を想像できるはずもなくて、ネオンの肌に触れたナデシコは混乱の極みにあった。


「ぅな、な、な──」

「ごめん。てっきり姉上から聞いてるものかとばかり」

「ど──どうなってるのよ、この国は!? どうして女の子が王子やってるの!?」

「うーん、どうやって説明すればいいかな……。まず、私には四人の姉さんがいるんだけど」


 人と竜は同盟を結んでいても、価値観は大きく異なっている。とりわけ竜は強靭な身体や力を生まれ持つために人を見下していることがほとんどで、文化にも興味を示さない。

 そんな相手に過去の事情──先王の愚行をどう伝えればいいものか。ネオンが悩みながらも話し始めた矢先に、ナデシコは混乱からの興奮を一気に鎮めて頷いた。


「ああ、そういうこと。先王が男系継承を諦められなかったから、あなたを男の子にしたってことで合ってる?」

「……大正解。気分を悪くしないでほしいんだけれど、竜ってこんな考え方できるものだっけ?」

「そこらへんの奴らは無理ね。あたしは師匠が人間だったから、あなたたちの文化のこともちょっとは知ってるつもりよ」


 それにナデシコが学んだ魔術はもともと、人間が作り出したものだ。大半の竜は魔術に対しても「弱者の小細工」と見做して侮っているが、ナデシコからすればその認識は驕りもはなはだしい。

 オドゥと暮らした時間に、修めた魔術。ナデシコはむしろ、竜よりも人に近い価値観の中で生きている。


 ネオンはナデシコに襲われ、はだけられたシャツを直しながら笑う。性別を明かしたときの曖昧な表情とは違う、楽しげな笑顔だった。


「竜なのに魔術を使う、とびっきりの変わり者。姉上から聞いていた通りだ。私のお嫁さんが君でよかった」

「それはどうも。……とはいえ、こうなったら色々聞かせてもらわないとね」


 ナデシコは腕を組みながらため息を落とす。

 宮殿のほど近くとはいえ、森林に隠された立地に、人の気配もない離宮。病弱という理由は建前でも、ネオンが隠れ潜んで過ごしているのは嫌でも理解できる。


 誰が、どこまで、シュトラル王室の秘密を知っているのかと尋ねようとしたときに、ネオンの視線が壁越しの廊下に向けられた。

 ナデシコもつられて目を向ける。とっとっと、と軽やかな足音と少女の声が聞こえたのはその直後だった。


「ネオンさま、失礼しますよぅ。お嫁さま、落ち着かれましたかぁ?」

「あ、イウリィ──」


 ネオンの制止は間に合わなかった。イウリィと呼ばれた侍女は扉を開けて、ぴょこりと顔を覗かせる。

 海のような薄藍色の髪と瞳に、やけに露出の多い衣装。まだ十代であろう少女がネオンに侍っているのも不思議だったが、それ以上にナデシコの目を引いたのは、イウリィの異常な容姿だった。


 少女の可愛らしい容貌。けれど人の耳があるはずの場所には魚のヒレが生えていて、光を反射してキラキラと輝いている。剥き出しになった両腕には、同じく光で虹色にも見える鱗が生えていた。


 ナデシコは思わず、ゆっくりと瞬きを繰り返しながらイウリィを見つめる。ネオンは顔を覆って天を仰いでいた。

 一方のイウリィは二人の反応にも構わず、ネオンのそばへ近付くと、首を傾げながらまだ少し乱れていたシャツを直した。


「あ、ネオンさまダメですよぅ。お嫁さまとの初対面なんだから、外見はしっかりしなきゃ」

「うん、ちょっと油断してたね。ところでイウリィ、色々あってまだ君のことはナデシコに伝えていなかったんだ」

「……え?」


 イウリィの瞳がナデシコを見つめる。イウリィは不思議そうにナデシコの表情を観察して、ネオンとの楽しげなやり取りとは一転した真面目な調子で頭を下げた。


「ごめんなさい、ナデシコさま。私を見ても驚いていなかったから、つい普段の癖で入っちゃいましたぁ」

「これでも驚いているんだけど、あたしってそんなに鉄面皮?」

「あら、そうだったんですか? 悲鳴もないからてっきり勘違いしちゃいましたぁ」


 イウリィはにこにこと、嬉しそうに微笑む。自分の異形を理解していなければ出てこない言葉だった。

 ナデシコが一瞬だけ苦い顔をする間に、イウリィは優雅なお辞儀をしていた。


「初めまして、ナデシコさま。私はネオンさまの身の回りのお世話をしております、イウリィです。ちなみに同僚はいないのでお仕事は大変です。母が人魚なので、この通りの半人魚でございます」


 人魚。イウリィは自らが魔物に連なる存在であるとためらうことなく告げた。

 魔物とは魔力を持つ獣の総称。害獣よりも遙かに危険で、時に人の言葉も操る個体すら現れる。その力は小型のものですら、放置してしまえば集落の一つや二つは壊滅するほど。そこでシュトラルを盟主にする国家連盟は、資金や人材を出し合って、魔物を狩る狩人たちをバックアップするギルドを立ち上げた。

 

 狩人とは国家連盟が認める実力者たちだ。けれどそんな狩人たちですら、天導教に「悪魔」と認定された魔物には容易に手を出せない。普段は対立している国家連盟と天導教が手を組んで事に当たらざるをえないほどの厄災が、悪魔と呼ばれるものたち。

 そしてナデシコの直感は、イウリィの親がただの魔物ではないことを感じ取っていた。


「イウリィ、一つ聞かせて。あなたの母君の名前は?」


 ナデシコが尋ねる。ネオンは見守っている。イウリィは笑顔のまま、誇らしげに母の名前と悪魔の銘を伝えた。


「『水底揺籃みなそこまもり』のシェスカ。大海の慈母、海の守護者。天導教が何を言おうと、私の大切なお母様ですぅ」

「……まったく、あたしはとんでもないところに嫁いだみたいね。ねえ、旦那さま?」

「あはは、大丈夫。イウリィは良い子だから」


 ナデシコがネオンを見れば、なぜかネオンもイウリィに負けず劣らず楽しそうな顔をしていた。ナデシコはもう一度ため息をついて、ソファから立ち上がると身体を伸ばす。


「悪いけど、移動で疲れたから休ませてもらうわ。口裏合わせも必要でしょうし、明日また話しましょ」

「うん、そうだね。また明日」


 ナデシコはひらひらと片手を振って部屋から出て行く。ネオンも引き留めることなく、夫婦の初対面はあっさりと終わった。

 ナデシコは一人、先に通されていた私室へ向かって歩く。その道すがら、考えるのはネオンのことだった。


「……あの身体、やけに引き締まってたような」


 性別を知らせるためにと、一瞬だけ触った身体。伝わってきた感触は丹念に鍛えられたものだった。

 隠棲しているはずなのに、どうして武人のような身体をしているのか。離宮に到着してから見聞きしたすべてがナデシコにとって衝撃で、悩ましくて、不可解で、頭が痛いほどだった。

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