星を見たくて。
彼岸水
一
今日もこない。
電車に揺られながら下がる瞼をこじ開けて携帯を見つめる。
あの人〝から〟の連絡がこない。
鳴らない携帯に向かって小さく溜息を吐き、向かいの窓の外の景色をぼんやりと眺めつつ、有り余るほどの話題の中からどれをあの人に話そうかと考えた。
そうだ。あの本の話題にしよう。私は今思い立ったことをあの人に伝えるべく、寒さで悴んだ指を動かし、文章を打った。
『○○という本はご存じですか。』
送信のマークを押す直前、私は躊躇った。急に本の名前を聞くのはどうかしている気がする。最初に『お疲れ様です。』くらいつけるべきだ。でも、『お疲れ様です。』を付けたところで、この話題はこの時間にするものだろうか。『お疲れ様です。この本はご存じですか。』…なかなかにおかしいような気がする。そんなことよりも、そもそも私が本好きなだけであって、あの人はあまり本を読まない。それに、この本だって私が数か月前に読んで、〝本棚の目立つところに置くくらいには面白かったような気がするけれど、人に勧めるために内容を思い出して語ることは難しい〟といったなんとも曖昧な立ち位置にある本だ。
高速で移り変わる景色から目線を手元に戻し、もう一度携帯に向かって小さく溜息を吐いた。
『今日も一日お疲れさまでした。』
なんとも無難な文章を今度は迷いなく送信した。
あの人の返信はいつも遅い。仕事が忙しいことは分かっているつもりだが、私に興味なんてないのではないかと思ってしまうくらいには遅い。まあ実際はそうなのかもしれない。あまり期待などしていないし、といいつつ一緒になれたら、なんて夢のようなことを考えることも少なくはない。こんな関係なのに、頻繁に連絡をとっては「返信はまだかな」などという、まるで恋人じみた考えが頭をめぐる。
一時間と少しが過ぎて、携帯が鳴った。あの人からだ。
『ありがとうね』
この返信から会話が続くことなんて、まあ期待をしてはいない。一日に数度話ができるだけで幸せだと考えたほうがいい。それでも、私はもっと話がしたいと毎回思ってしまう。気分が落ち込んでいるときなんかは、『あなたは私と話がしたいと思ったことがありますか。』なんて面倒極まりないことを聞きたくなってしまう。聞かないが。
冬の空も茜色に染まり切り、そろそろ星が綺麗に見えるようになる時間だ。電車を降りた私は、いくらか下がった気分のまま改札を通り、自宅へ帰るべく大通りへと歩を進めた。
今日は星が一段と綺麗に見える。あの人は星を見ることを心から愛する人だ。こんな日も隣にいることができたら、と思う。星が綺麗に見ることができるような場所はないかと、検索をかけてみるが、虚しさに心が痛みやめた。
ふと、立ち止まる。
一件の連絡。
そこにはあの人から、『今度の日曜日の夜、空いてる?』という文字。
舞い上がる鼓動を感じつつ、『空いています。』と送信すると、すぐに返信が返ってきた。
『星を見に行かない?』
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