第41話 ゲームクリア

 魔王側の事情を聞いた後は、俺たちが話す番だった。途中で夕食をはさみつつ、俺たちはスケアの質問にいくつも答えた。


「そのげぇむってのを終わらせるために、魔王様を倒しに来ただと? なんて奴らだ!」


「セリフと行動があってないぞ、ぼろ布」


「ぼろ布言うな! スケア様と呼べ!」


 魔眼で魔界の食べ物を確認すると、安全とは思えないほど黒く染まっていた。魔王が盗んだ米も同様で、試しに聖剣で浄化を試みたが無駄だった。袋を貼りつけたばちがあたったのかもしれない。


 屋敷の厨房を借りて米を炊いても、取り込まれた魔素が消えることはなかった。ごはんは俺がおにぎりを作って、スケアと魔王が食べている。食べられないとわかっているごはんを握るのは辛かったが、雪村さんはおにぎりを作ったことがなかった。


「残りの魔素酔い薬を全部飲めば、食べられるかな……」


「やめてください」


 俺たちが米を調理している間、魔王が崖下の荷物を取ってきてくれた。空きっ腹でくちばしに米粒を付けたスケアを眺める、ということにはならなかったが、食べ飽きた保存食よりも魔素入りおにぎりのほうが魅力的である。白くつやつやした三角形が俺を誘惑する。


 雪村さんはゲーム外のエリアにいるせいか、妖精界にいたときよりもリラックスしているように見えた。それでも目が合うと頬を赤らめてしまう。雪村さんと魔王、どちらにも視線を向けられない俺は、目の前のぼろ布を見つめることしかできなかった。雪村さんによれば、魔王もおいしそうにおにぎりを食べているそうだ。


 魔素酔い薬の空き瓶に、おにぎりを載せた皿、保存食の残り。ローテーブルを隙間なく埋めた様は、夕食というより宴会に近い。


 宴もたけなわ、俺は本題に入ることにした。


「それで、雪村さん。どうやってゲームをクリアしようか?」


「魔王を倒した、とゲームに錯覚させればいいのですよね。それなら仮死状態にする、というのはどうでしょうか?」


「雪村さん、少し本の読みすぎじゃないかな?」


 そんな便利な代物がどこにあるというのだろうか。俺はかねてからの疑問を口にした。


「『誰かと結ばれるエンディング』のクリア条件ってなに?」


「クリア条件……ですか?」


 雪村さんの知識はこのゲームに関することだけで、一般的なゲームについては疎い。俺は彼に説明した。


「俺たちは魔王を討伐さえすればゲームが終わると考えて、ここにいるわけだろ?」


「はい」


「それなら『誰かと結ばれるエンディング』で起きることをしても、ゲームが終わるはずだ」


 俺は『誰かと結ばれるエンディング』としか聞いておらず、四月のエンディングで何が起きるのか知らなかった。


 しばらく待っても返事がなく、俺は雪村さんを見た。彼は耳を真っ赤に染めた後、小さな声で言った。


「主人公と攻略対象者がキスをします」


「えっ? それだけ?」


 婚約とか対外的な何かが絡むのかと思っていた。もしくはもっと耐え難い何かが。


「じゃあ、入学式の時点でさっさと誰かとキスをしていれば、ゲームをクリアできていた、ってことか?」


「そうなりますかね……」


 もちろん初対面の男に「ゲームをクリアするためにキスさせろ」と迫られても、断固拒否しただろう。失念していたということもあるだろうが、雪村さんならどこかの時点で気づいていたはずだ。もっと早い段階で教えてほしかった。


 雪村さんは隠し事をしていたという意識があるのか、かたくなに俺の視線を避けていた。


「ひどいよ、雪村さん……友達だと思ってたのに……!」


 いままでの苦労は何だったのか。不満を抑えられず口にすると、彼は今までで一番の赤面をした。


「きゅっ、急に友達とか言わないでください……! 恥ずかしいじゃないですか……」


「えっ? そこで照れる? 雪村さん、俺のことなんだと思ってるの?」


 俺は彼を信頼したから魔界にまで来たというのに。打ち付けた背中が主張を始め出す。


 雪村さんは少しためらってから答えた。


「……運命共同体?」


「そっちのほうが、よっぽど恥ずかしいよ!」


 酒も入っていないのに、ふたりして赤くなるという醜態をさらしてしまった。しかも魔界で、確認できないが、おそらく魔王が見ている前で。


 最後のおにぎりを食べ終え、スケアが満足げに息をついた。


「痴話げんかは済んだか?」


「『痴話』は余計だ!」


 俺は力なくソファのひじ掛けにもたれた。キスがクリア条件なら魔王を仮死状態にするより、ずっと簡単だ。くちばしについた米粒を取ろうと、羽を動かすスケアを手招きした。


「スケア、ちょっと来い」


「何だ?」


 両足で飛び跳ねたスケアを掴んで、くちばしに口をつける。体は見た目通り布だが、くちばしは硬く、まさしく鳥のそれだった。驚いたスケアがバタバタ飛び立つ。テーブルの小瓶が音を立てて倒れた。


「いきなり何をするんだ! 鳥肌が立ったじゃないか!」


「鳥肌なのはもともとだろ! お前だって、くちばしが鋭すぎるんだよ! 暴れたせいで、血が出たじゃないか……」


 頭をつつこうとするスケアを追い払い、唇を指で拭う。どさくさに紛れて米粒を食べるつもりだったが、叶わなかった。


 相変わらず体を光らせたまま、雪村さんは俺の口元を凝視していた。


「雪村さん……?」


「……えっ? ああ。ゲームの登場キャラクターでないと駄目なのかもしれませんね」


 口調は冷静だが、俺は用心のため彼から離れた。うっかり魔王に近づいてしまい、後ろに下がる。


 攻略対象者である雪村さんは、キスするのに手っ取り早い相手である。確実にゲームを終わらせることができるし、雪村さんには好感度があるぶん、俺よりキスに対する抵抗感も少ないだろう。


 だが彼とのキスは絶対に避けなければならない。ゲームをクリアして好感度から解放されたとしも、今の雪村さんでは何らかの影響が残る恐れがある。俺たちは好感度を上げすぎていた。


 スケアが言った。


「魔王様は、お前とキスしてもいい、とおっしゃっているぞ」


「いや、わかってるんだけどさ」


 魔王に敵意がないのは分かるが、俺は足を半歩前に出すことも難しかった。魔王がどんな容姿かすら確認できていない。スケアが指摘した通り、経験値不足による圧倒的な力の差を感じるのだ。


 ゲームではパン屋のアルバイトやシーズンイベント、エレメントポイントの変換により経験値を上げるごとができる。このうち俺が達成できたのは、パン屋のアルバイトと六月、八月、十月のシーズンイベントだけだった。ステータス画面が開けないせいで、エレメントポイントは変換できない。


 頬を伝う汗の冷たさを感じながら、俺は恐怖心と必死に戦っていた。


 まったくキスでゲームが終わるだなんて、じゃあるまいし……。


 妖艶な唇が思い浮かんだ。


「スノー」


「彼女がどうかしたんですか?」


「ゲームの登場キャラクターならほかにもいる。スノーだよ」


 彼女は十二月のシーズンイベントに登場しているはずだ。


「季節の妖精ですか。それならサマンサでもよいのでは?」


「奴は謹慎中だろ」


 それにキスするなら美女とがいい。


「対価は? ゲームクリアがかかる重大なキスですよ?」


 サマンサには魔王を討伐する理由を含め、すべてを話してある。スノーにも伝わっていると考えた方がいいだろう。夏至祭のように、こちらの価値を低く見せることは出来ない。


 スノーにキスを求めたら、対価に何を要求されるのだろうか。


 俺ひとりの人生で何とか支払えるだろうか。


 妖精界にも米はあるらしい。


 恐怖か対価か。


 迷いかねて雪村さんを見ると、眼鏡の奥の瞳がわずかに揺れた。


 ゲームをクリア出来るなら、何だってやるつもりだった。


 ゲームの支配力になんて負けたくなかった。


 俺は根の合わない歯を食いしばり、唾を飲み込んだ。


「魔王……お願いがあるんだけど……」


 恐怖に向き合い、顔は上げずに声を絞り出した。


「犬になってくれないか?」


 口にしたとたん、押しつぶされるような感覚が急に軽くなった。顔を上げると黒い犬がいた。ふさふさした顔の毛と丸いしっぽが可愛い。雪村さんが言った。


「熊じゃないですか」


「えっ? どう見ても犬でしょうに?」


 この人、眼鏡を買い替えたほうがいいんじゃないだろうか。


 スケアに呆れられた。


「タヌキだ」


「……イヌ科だから俺のほうが近い」


 なんでタヌキなのだろうか。心底このゲームが嫌になってきた。


 こんなクソゲー、さっさと終わらせよう。


「どうしてタヌキだと平気なんですか?」


「魔王がラスボスだからだよ」


 ゲームでは、ボスが戦いの途中で形態を変化させるのが定番だ。俺の知る限り、第一形態でタヌキが登場することはない。巨大なタヌキならあるかもしれないが、十歳の俺が抱えられるサイズは出てこないだろう。最終形態であれば、なおさらである。


「ゲームに登場しない形態なら、経験値の差を感じることがないと思ったんだ」


 俺はタヌキの前に膝をついた。


「もし、この方法でダメなら俺とキスしたまま、もとに戻ってくれ」


 タヌキの魔王はこくりとうなずいた。


 討伐するつもりだった魔王とキスする羽目になるなんて――。


 俺は目をつむって、タヌキに顔を近づけた。くすぐったさと湿っぽさを感じる。


「あっ」


 雪村さんの声に、俺は目を開けた。




 彼は光り輝いていなかった。

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