第38話 まずい事態

 種族ごとの小国がいつくもある妖精界は、魔界に近づくにつれ人間に慣れていない者たちが多い。ポータルがある場所までの道には、気難しい種族や攻撃的な種族もいるという。


 スノーから渡された地図は二枚あった。一枚はポータルの場所と境界までの道筋が書き込まれた詳細な地図、もう一枚は種族の特徴や注意事項が書き込まれた白地図だ。


 地図に書き込まれた字は、魔素酔い薬の材料に添えられていたカードと同じ筆跡だった。サマンサは嘘つきだが悪い奴ではない。俺は彼の評価を少しだけ見直した。


 俺と雪村さんは地図を見ながら計画を立て、順調に歩みを進めていた。祝福のおかげで妖精たちのいたずらもなく、通行書を持つ俺たちは旅人として扱われている。


「時間が早いですが、今日はここで泊まったほうがいいかもしれません。次のポータルは遠いですし」


「やった! 俺、風呂を交渉してくる!」


 駆け出した俺を雪村さんの声が追いかける。


「気をつけてくださいよー。この間は、危うく聖剣を取られるところだったんですからー」


「へーい」


 旅の間に困ったのが風呂と洗濯で、こうしてポータル近くの集落に泊まる時には、妖精たちと取引して使わせてもらっている。


 今いる国の妖精はトラを思わせる顔がおっかないが、大きさや体つきは人間に近い。服も着用している。人間界と近い文化的な生活に、お湯の風呂への期待が高まった。聖剣を取られそうになった時は、石の体を持つ妖精の国だった。彼らは粗目のスクラブが入った泥風呂を利用していた。


 肌がつるつるになるとの評判だったが、どう考えても石で出来た者限定の効果だった。雪村さんは遠慮して正解だった。俺はまだ背中がひりひりしている。


 旅を始めてみて、俺は雪村さんについて多くのことを知った。彼は野宿の時でも服を洗濯するほどのきれい好きだった。


 雪村さんの几帳面さは学園生活でもうかがい知ることが出来た。魔法による便利なシステムがあっても洗濯物をため込む奴がいる中、彼はいつも折り目正しい清潔な衣服を身に着けていた。それは貴族という立場によるものだと俺は思っていたのだが、違ったようだ。


 旅の間、俺は服を洗う彼のために魔法で水を出し続けた。制御を間違えると雪村さんに水をかけてしまうため、気を遣う作業だった。フランクに氷魔法の開発ではなく、洗濯魔法の改良を頼めばよかったと後悔しているほどだ。雪村さんのため、忘れずに洗濯も交渉しよう。




 道中は好感度を上げないよう気をつけているが、一日の上限に達する日もある。


「なあ、雪村さん。雪村さんのハルトって、どう書くの?」


「季節の春に、兎です」


「春生まれなんだ」


 上限に達してしまった日、俺はたくさん雪村さんに話かけた。発言や内容に気

を遣うぶん、口数がどうしても少なくなりがちだが、こういう日は別だった。


 俺と話している時は、雪村さんも落ち着いているようだ。高すぎる好感度に苦しむそぶりは見せなかった。視線から熱を感じるようなこともない。


「四月生まれです。兎は卯月と干支が由来です」


「へー。俺はね、たつと馬って書くんだ。竜は簡単な方」


「由来は? 干支ではないですよね?」


 俺は巳年の一月生まれである。


「将棋から」


「角行が成った時の?」


「そう。親父が将棋好きでさ。兄は桂馬で、妹は成香なりきょうと書いて成香なりか


 親父の名は一角という。


 これまでゲームの攻略ばかり話していたが、最近ではこうしてお互いのことも話すようになった。雪村さんから質問されることも増えた。それがゲームによる好感度のせいだとしても、あまり気にならなかった。




 そうして旅を続けながら、十日ほどで妖精界と魔界の境目にある崖へとたどり着いた。眼下に広がる光景は奥へ行くほど緑が多く、名前から連想するイメージとかけ離れていた。


「このあたりにロープを預かる妖精がいるはずなんだけど……」


 スノーに指示された場所に来たが、それらしき妖精の姿は見えない。ここまでの間、バラやリスといった、動植物の見た目をした妖精にも出会ってきた。何らかに擬態していても、ふたり組の人間が来たら合図がありそうなのだが……。


 地図を広げる俺の手元を、雪村さんが覗き込んだ。


「間違った場所に来たわけでは、なさそ……」


 肩が触れ、雪村さんの顔が瞬時に赤くなった。三歩後退して木にぶつかる。


「無事?」


「油断しました」


 キラキラを出しながら、雪村さんは倒れるように体を大きくのけぞらせた。


「雪村さんっ!」


 突然、彼の背後に生えた木が目を開いて動き出した。シーズンイベントで戦った紅葉の魔物を思い出す。


 炎の魔法を構えたところで、木が声を上げた。


『ふわぁぁぁっ』


「……あくび?」


 構成中の魔法を解除する。その間に雪村さんが木から離れた。


『いやぁ~、すまん、すまん。なかなか現れんから寝ておったわい。お前さんらが、リュウマとハルトだな』


『スノーの使いのひと?』


 どう見ても落葉樹だが、使いの木と呼ぶのは失礼だろう。


『ああ。ほれ、約束のロープじゃ』


 そう言って、枝を洞の口に入れ、中から蔓製のロープを取り出した。糸が引いているように見える。樹液だと思いたい。


『確かに受け取りました』


 水で洗い流したほうがいいかもしれない。旅の間に水魔法はだいぶ上達した。


『そうそう。ロープはわしに結びつけるといい。それと上る時は、一声かけてくれれば引っ張ってやる』


『いいんですか?』


『スノー様のご命令じゃ。逆らえん』


 上る時のことは考えていなかった。お言葉に甘えさせてもらおう。ねばねばする感触を無視して、ロープの強度を確かめる。木の妖精はふたたび眠ってしまった。


 雪村さんが口を開いた。


「登山がご趣味なんですか?」


「うん? いいや、なんで?」


 崖下までの距離を確かめ、ロープの長さを検討する。これなら二本使いでも行けそうだ。


「ロープ一本で下まで降りれるんですか?」


「言ったよね? ビルの窓ガラス清掃会社の職員だって」


 ビルの窓ガラス清掃というと屋上からゴンドラを下ろすイメージが強いが、現在はロープアクセスという方法も使われている。救急隊員をイメージすると早い。俺はゴンドラを操作する国家資格も持っていたが、会社がロープアクセスをメインに行っていたため経験は少ない。逆に言えばロープで降下するのは得意だった。


 俺の説明に、雪村さんは難色を示した。


「あなたは、それでいいかもしれませんが……」


 素人にこの崖を下りるのは無理だろう。


「降りるだけだし、俺が抱きかかえるよ」


 長いロープの端を切り、簡易的な安全帯を作っていく。ロープだけの安全帯を使うのは初めてだが、雪村さんには黙っていよう。


「抱きかかえるんですか?」


「あ……無理そう?」


 身体的な接触は好感度の上昇率が高い。先ほど好感度を上げたこともあり、雪村さんは辛そうだった。顔の赤みは引かず、限界も近いのかもしれない。限界を迎えた雪村さんがどうなるか、俺は考えないようにしていた。


 雪村さんは崖下を覗き、上を向いて大きく息を吐き出した。


「落ちて死ぬよりかはましです」


 必要な準備を済ませ、雪村さんの片腕を肩に回した。背中から抱えるように片手を添え、もう片方の手でロープを握る。


「はい。じゃあ、行くよー」


 崖から二本のロープを垂らし、雪村さんに一本を握らせながら手の動きを指示する。急な落下を防ぐため、俺が先導し、背後から支えるような形で慎重に降りていく。


 雪村さんの存在もあり、六年ぶりのロープ降下は緊張を要するものだった。あらかじめ動くのに邪魔なコートは崖下に落としたが、今は彼がカイロ代わりになっていた。


 地面に足をついたときは、安堵のため息が出た。


「雪村さん……大丈夫?」


 最初こそ俺の言葉に返事をしていたものの、途中からは俺が一方的に話しかけていた。


 顔を上げると、熱のある潤んだ瞳に見下ろされ、俺は身をこわばらせた。


 影が落ちる。


 雪村さんの輝きを、が。


 俺は本能的な恐怖を感じだ。




 まずい。

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