第9話 幼なじみ

 入学して三週間目には、ゲームを攻略しながらの学園生活という奇妙な状況にも慣れていった。雪村さんによれば、夏休み前までに各攻略対象者のキャラクターイベントを一回起こすと、今後の攻略が楽になるという。俺は攻略対象者たちの好感度を上げるべく、平日は毎日のように話しかけている。題して『あつほん作戦』である。


 始業前は騎士科の子たちと一緒にジョギングをし、朝練をするカイルとイヴァン先輩、ブレク先生に挨拶する。雪村さんを含むクラスメイトの四人は、始業前か休み時間に。授業係に任命されたため、魔法科のエリス先生とは午後の授業前に顔を合わせる。


 謎だったキラキラエフェクトも何か分かった。好感度の上昇である。一日の最初に話しかけた時は、必ず彼らからキラキラが出現する。その後の上昇理由は不明だが、たくさん話すとキラキラが出現しなくなった。一日の上限があるのだろう。キラキラ検証の実験台は雪村さんである。


 曜日ごとに決まった行動をとる攻略対象者たちだが、授業のない土日のパターンはつかめていなかった。


 先週と先々週、練習場で見かけたカイルの姿が今日はなかった。最近は朝練でも見かけないことが多い。イヴァン先輩が言うように忙しいのだろう。




「はい。お土産」


 翌日の休み時間。教室に顔を出したカイルから、実家のパン屋で売っているビスケットの包みを渡された。


「だから昨日はいなかったんだ」


「まあ、ちょっとね」


「何かあったのか?」


 言いよどむ幼なじみに心配がもたげてくる。カイルとは家が近く、家族ぐるみの付き合いだ。ただの里帰りなら、俺にひとことあってもよさそうなのに。緊急の用件だったのだろうか。


 心の声が顔に出ていたのか、カイルは俺の頭にポンと手を置いた。


「デフォートが案じるようなことは何もないよ。今度帰るときは誘ってやるから」


 すねるなよ、と言われ、髪をかき乱すように撫でられた。


「じゃあな」


「うん。ビスケットありがとう」


 去っていくカイルの背中を見送りながら、以前と変わらないやさしさに嘆息する。入学して交友関係も広がっただろうに、彼はこうして俺のことを気にかけてくれる。


 心は甥っ子を想うおじさんだが、体はティーンエイジャーだ。俺は席につくと、さっそくビスケットの包みを開けた。ザクザクと咀嚼そしゃく音を立てていると、雪村さんにあきれられた。


「もうすぐ授業ですよ?」


「んっ」


 包みを差し出すと、雪村さんはためらいながらも一枚つまんだ。


「ありがとうございます」


 扉を一瞥いちべつして雪村さんが言う。


「とても仲がよさそうですね」


「カイル? 普通じゃない?」


 今世の両親によれば、幼少期の俺はぼんやりとした子供だったらしい。面倒見のよいカイルは、危なっかしい俺を何かと気にかけてくれたそうだ。完全に自意識を取り戻してから少し距離が開いたが、カイルはいい友達だった。


「まあ、俺にとっては親分面する可愛い甥っ子みたいなもんだけど」


「甥っ子ですか」


「ホント、いい子だよ~。溺れた犬を助けたときには手伝ってくれたし、野犬に襲われたときは背負って逃げてくれたし……」


「犬ばっかりですね」


「それにすごく家族思いなんだ。年の離れた弟と妹がいて……って、これは設定だから知ってる?」


 雪村さんは首を横に振った。


「学園に入学が決まった時も、家の手伝いをしたいから、って辞退しようとしたんだぜ」


「そんなことがあったんですか」


「おじさんとおばさんが説き伏せて入学させたんだ」


「へぇ、そう……ですか……」


 その後、同室の子たちを中心にたかられ、お土産のビスケットはあっという間になくなった。俺は匂いでバレぬよう、急いで窓を開け、必死に教室の空気を入れ替えた。




 あっという間になくなったビスケットのように、俺の安心もすぐに消えてしまった。翌日からカイルは、学園から姿を消していた。


「きっ、今日も……休み……なんですか?」


 カイルが学園を休んで三日目の朝、俺はジョギングをするイヴァン先輩をつかまえて訊いた。彼は騎士科の魔力を持たない設定だが、それでも一年生の俺より体力もスピードもあり、追いつくのは大変だった。ひざに手を置いて肩で息をする。こんなことなら待ち伏せをすればよかった。


「こんなに子猫ちゃんを必死にさせるなんて、アイツも罪な奴だね」


 雪村さんのキャラクター表が間違っているのか、彼は息ひとつ乱していない。独特な空気を醸し出しながら、頬に手を添えて首を傾けた。やっぱり苦手だ、この人……。


「いつ帰るのかご存じですか?」


 苦労の甲斐かいがあり、一時間目の前に戻るとの情報を得た俺は、朝食も食べずに正門へと急いだ。


 俺に相談したいなら、カイルはとっくに悩みを打ち明けているだろう。そう思いながらも、やはり心配が勝った。


「カイル!」


 門を通る彼を見つけ、俺は声をかけた。カイルは俺に驚いた後、


「ちょっと、いいか」


 と言って微笑んだ。


 今にも泣き出しそうな笑みに、心を強く揺さぶられた。




 カイルに連れられ、俺は正門にほど近い池へとやってきた。こんな場所があるなんて知らなかった。俺は幼なじみとの一年という年の差を感じた。


 池にかかる石橋の途中で、カイルは足を止めた。欄干に腕を置き、彼は池を眺めはじめた。睡蓮が白い蕾をわずかにほころばせている。


「オレさ、養子先が決まったんだ」


 ポツリと告げられた言葉に、俺はどう答えていいか分からなかった。


 ここは騎士・魔法専門学園だが、騎士科の生徒全員が騎士になれるわけではない。この世界の制度は独自色が濃く、騎士は貴族から輩出される決まりだった。庶民では優れた能力があっても衛兵にしかなれない。


「おじさんとおばさんは?」


「泣かれたけど、喜んでくれた。クーンツ男爵はとてもいい人で、家族との縁を断つ必要はない、と言ってくれている」


 「明日は庶民」と言われる男爵家は、ほかの爵位に比べ付与・剥奪はくだつが容易に行われる。身内に騎士がいると剥奪を留保されることが多く、将来有望な庶民階級の生徒と養子縁組をするのが一般的だった。学校見学会で演武を披露した時に、カイルは見染められたのだろう。


「おめでとう……でいいんだよな?」


 一度は家族のために入学をあきらめたほどだ。決断にはつらいものがあっただろう。


「うーん、お前にそう言われるのが、一番つらい」


「俺の祝辞が受け取れない、って?」


 カイル特有の冗談かと思って返すと、真剣なまなざしで見つめられた。


「今はまだ受け取りたくないな……」


「家族と離れるのはツライもんな」


「違うんだ」


 欄干から腕を離し、カイルは俺に近づいた。


「デフォートが、また遠くなりそうで怖いんだ……」


 何かがおかしい、そう感じたときにはキラキラが舞っていた。


 キャラクターイベントだ。


 俺は静止したカイルを置いて、石橋を駆け抜けた。


 雪村さんと話し合う必要がある。

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