第2話 空虚な旅路
案内されるがまま馬車に乗り、そして馬車は動き始めた。
御者が私に声を掛けることもないのだから、私の価値なんてそんなものだったんだろう。
馬車の中には旅行用のトランクが一つ。
服や小物など、最低限の私物が纏められて入っているけれど、金目の物――宝石とかそういうモノの大半が入っていない。
道中には
大方、売ってお金にでもするのだろう。
「ふぅ……」
窓の外を見ながら、自然と息が漏れる。
妹のことがとても気がかりだったけれど、こうやって馬車に揺られて気持ちや混乱が落ち着いてくると、これまでの自分と、これからの自分について思いを馳せずにはいられなくなっていく。
一番強いのは、これまでがんばってきた全ては無意味だったのではないかと思うような虚無感だ。
それを抱いたまま、お世辞にも上手とは言えない御者の操る馬車に揺られて、街道を行く。
途中で町に余って休憩したり、宿泊したりすれど、御者はかたくなに喋らない。
彼が喋れないというよりも、喋らないように厳命されているのだろう。
そんな退屈で空虚な旅路の中で、私が思い返すのは昔のことばかり――
妹と――クシャーエナと出会ったのは、私が四歳くらいの頃。まだ妹が三歳の時だ。
私たちはその時点で、守護双機に認められ、守護騎士として期待されていた。
お父様が男兄弟だけだったのもあり、当時は正当な血統の守護騎士が不在だったのもあったから、なおさらだ。
一緒に勉強をして、マナーを習って、武術や魔術の練習もして、
守護騎士として選ばれた以上、その責務を果たすために二人でがんばってきた。
一緒にいる時間も長いから、それこそ本当の姉妹のように育ってきたのだけれど。
私が八歳の頃、両親の乗った馬車が
二階建ての建物と同じくらいの大きさをした猪型の
両親は腕利きではあったものの、
生身で対応できる
加えて、彼らはその内包する魔力密度が違う上に、薄らと透明な衣のように高密度の魔力を纏っている。
その高い魔力密度による鎧を突破する攻撃は、生身で繰り出すのが難しい。
故に、人は
だから、善戦は出来ても両親は勝てなかった。勝つ手段が無かったとも言える。
そして騎士達が駆けつけた頃には、両親ともにアラトゥーニの門へと招かれ、すでに
アラトゥーニの門とは、神話において生と死を隔てる門のこと。
そこに招かれ、潜ってしまえばもう戻ってはこれない。どんな治療をしても、間に合わないほどの怪我だったということだ。
死という表現をあまり直接的に口にしない貴族らしい言い回しだ。
言い方にこだわったところで、事実は何も変わらないというのに。
ともあれ――私はその時点ではまだ八歳だったから、キーシップ家の代行として父の弟である叔父が当主となった。
叔父はことあるごとに、私に対して「同じ守護騎士とはいえ、お前の方が姉なのだから、全てはクシャーエナより上でなければならない」とよく言ってきた。
だから、勉強も、マナーも……ありとあらゆることを完璧にできるようこなしてきた。
僅かでも出来ないと厳しく叱責されたから。
その厳しさは辛かったものの、それでも姉としてがんばろうというやってきていたのだけれど……。
考えてみれば、それはただの嫌がらせで、クシャーエナを甘やかしたかっただけなんだろう。
でもクシャーエナは、そんな私を見て「自分もがんばらないと」みたいな感じで、一生懸命ついてきた。
恐らくは、叔父からは、そこまでがんばる必要がないと言われていたのだろう。それでも彼女は私を必死に追いかけてきていた。
結果として、武術も魔術も、
そして、クシャーエナはいつも私を褒めてくれた。
お姉様はすごい。お姉様はがんばってる――と。
叔父と叔母はもとより、殿下も、騎士団の面々も、国民すら、あまり褒めたり認めたりしてもらえない中で、クシャーエナだけが褒めてくれた。認めてくれた。
あの子との交流するささやかな時間だけが、一番幸福な時間ですらあった。
だから私もクシャーエナをいっぱい褒めた。
私に憧れていたというものがあったとしても、その努力というのは間違いなく妹が自らの意志で重ねてきたものだからだ。
クシャーエナと共にいる以外の時間の多くは、とても辛いことばかりだった。
けれど、それでも私が成人して当主となれば、もうちょっと自由になると、そう信じてがんばってきた。
何せ、叔父が当主代行でいられるのは、私が成人するまでの期間なのだから――
……あ、そうか。
唐突に理解する。
だから、わざわざこのタイミングで、私を外国へ売ったのか。
来月の誕生日を迎えると、私は十八歳。
我が国シュームライン王国の法律において、成人として認められる歳となる。
そうなれば、当主は自動的に私だ。
叔父様が当主代行ではなくなってしまう。
元々、私との婚約が気に食わなかったであろう殿下と結託する理由には十分だ。
ああ――だとしたら……。
私は一体、何のためにがんばってきたのだろうか……。
家の誇りを取り戻すこと。
クシャーエナと共にいる時間。
時折やっていた、病に伏せた陛下の話相手――
支えであり、縋るべき者であり、守るべきものであったそれらは全て失われた。
虚ろな感情がわき上がってくる。
全てを諦めてしまいたくなるような、心だけでもアラトゥーラの門を潜らせてしまえないだろうか――とか、そんな考えばかりが湧いてくる。
妹さえ無事で幸せならば、もう私自身はどうなっても良い。何が起きてもどうでも良い。
空虚で諦観に満ちた旅路。
それを数日繰り返した頃――
窓から外を見ていると、国境である
あそこに掛かる大きな橋を渡った先にある関所でもある砦を越えれば、ハイセニア王国だ。
そして馬車が橋の手前で停車する。
業者は相変わらず何も言わない。
だけど、降りろという意味だろう。
向こうが何も言わないから私も何も言わない。
トランクを手にして馬車を降り、私は振り返ることなく橋に向かう。
ハイセニアで私はどういう扱いを受けるのだろうか――不安だけを胸に橋を渡っていると、突然、背後から大きな声が聞こえてきた。
「嬢ちゃん危ないッ!!」
「え?」
背後に振り返る。
声を上げているのは、私が乗ってきた馬車の御者だ。
恐らくは、私と口を利くなと言われていたのだろう。
それでも声を上げずにはいられない状況が発生した?
武器はない。でも体術は使える。
杖は無い。無くても魔術は使える。
今までの空虚だった私が即座に消え失せ、機械のように戦ってきた私に切り替わる。
「あ」
だけど、感情を廃したはずの私が思わず声を上げてしまうような状況なのだと気がついた。
御者さんの指差す先――関所側のクレバスの壁。そこに何かが這っている。
いや、何かではないトカゲだ。巨大なトカゲ。恐らくは
怪しい赤色に光る瞳が、私を見る。
完全に狙われているのだと気がついた。
ここは橋の半ば。
そのまま進むよりも一度引き返すべきか。
判断に迷い、馬車までの距離を確認する。
それから改めてトカゲへと視線を戻すと――
「いない……?」
どこへ消えた?
まずい。最善手が分からない。
関所の砦に行けば、
そうでなくても、こんな誰とも知れない小娘の言葉なんて、信じて貰えないかも知れない。
何か言ったところで、女が口を出すなとか、所詮女子供の言葉とか言われて聞き流されたりするだろう。
違う。今考えるべきことはそれじゃない。
いつものように思考や感情を機械のように冷徹化にできない。これはまずい。
「ダメ。余計なコトを思考しちゃダメ」
自分に言い聞かせるように独りごちて、私は馬車の方へと向かって走る。
関所へ向かっても入れて貰えなければ逃げ切れない。
ならば、まずは広い場所に逃げるべきだ。
その判断そのものは、そう悪いモノではなかったかもしれない。
だけど、今回は相手が悪かった。
姿を消していたトカゲは、恐らくは橋の裏側にいた。そこを移動していた。
だけど私にはトカゲが突然横から現れたように感じてしまう。
「……ッ!」
これを想定していなかったのは私の完全な判断ミス。
いつもなら、絶対にしなかったのに……。
トカゲの舌が動く。
咄嗟に背後へと飛び退く。
高速で伸びてきた舌をギリギリで躱せた。
トランクが、その舌に弾かれる。
橋の上を滑っていくトランクに、私は舌打ちをした。
それから即座にトランクを諦めて、トカゲに向き直る。
全長は四メートルほど。
背中にたてがみのようなトゲが並んでいるこの魔獣は――
「バンデッドリザード――の
――正体が分かったところで、どうにかなるワケじゃない。
背中のトゲまで含めれば全高も三メートルは超えるだろうトカゲと睨み合う。
攻撃を警戒しながら、ジリジリと下がっていく。
通常のバンデッドリザードなら、全高は一メートルもないし、武器や杖がなくてもなんとかできるかもしれないけれど……。
対応しきれないなら、被害を減らすしかないか……。
「御者さんッ、逃げてくださいッ!!」
私がそう声を上げた時、バンデッドリザードが飛びかかってくる。
魔力を集め、魔術で防御用の障壁を張りながら、飛びかかってくるリザードを
そして、そのまま脇を抜けようとしたけれど――
「……う、く……ッ」
――尻尾が振り回され、私を強打する。
咄嗟に障壁を向けて受け止めるけれど、衝撃を殺しきれなかった。
障壁が砕け、そのまま尻尾に強打されて吹き飛ばされる。
身体が浮き上がる。
「……あ」
身体が……橋の落下防止柵を越えてしまった……。
「あああああ……」
手を伸ばしたところで、何かを掴めるワケでは無い。
そのまま、クレバスの奥へと飲み込まれていく中で――
(御者さんは無事に逃げれたかな……?)
――私はそんなことを考えながら、落っこちていくのだった。
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準備が出来次第、もう1話公開します!٩( 'ω' )و
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