ネリネ

しふぉん

第1話 劣等

いい子でいなさい、と親によく言われた気がする。あるいは周りの大人たちにいい子だと言われたくて期待通り動いていただけか。


愛されることを渇望するようになったのは大学生くらいだっただろう。幼い頃はそうでもなかった。

アルバムを開くと幼少期の私の写真がたくさんあり、最初の方は丁寧に日付と説明が書いてあった。




平成初期に産声をあげた私。母親はまだ若く、24歳だった。名前は神社の神主に画数を見てもらって付けてもらったらしい。これは父のこだわりだ。しかし、母親としてはそれは不服だったという。

いい子でいるように、優等生になれるようにという植え付けは物心ついたときから行われていた。父親は地頭がよくて県内有数の進学校を卒業し、大学進学が金銭的事情で叶わずに地銀に就職。地元の支店で働いていた。そうなると期待されるのが最初の娘である私だ。長女というのはそういうもの、と言われれば納得するものでもなく、5歳ぐらいになれば何か期待のようなものを感じ取っていたような気がする。

しかし、私は赤ん坊の頃から相当な癇癪持ちだった。泣き声が激しく母親は困ったらしい。得意なことはあったが苦手なことも多くてやりなさいと親に言われるとすごく怒ったり、拗ねたりの繰り返しだったという。感情の起伏が激しい感じは昔からだったと聞かされると私の現在にちゃんと繋がっていると思う。


あなたはちゃんと周りに愛されて育ったはずだと言われてもなぜか腑に落ちない人生を過ごしてきたはずのにアルバムの中は私の記憶にない愛が詰まっていた。

そうだ、私は自分で自分を愛せないだけなのだと気付くのに相当な時間を要した。なぜそんなふうに自分を愛せないのか。そのねっこには自分が劣等生であるという考えがあった。いい子でいなさいと言われて期待通り行動することはできても、自分本意で生きていないとフラストレーションは募っていくものなのかもしれない。

両親は私の得意なことをちゃんと知っていた。英才教育じみたことをしたおかげで平仮名や漢字を読めるようになるのが早かった。田舎なので特別な教育がされてるわけではないが、当時にしては画期的な私立幼稚園に通い、幼稚園での集団生活を始めた。幼稚園児の頃はうっすらとしか記憶がないのだが、集団に馴染むのが遅いという特性は表れていた。後から母親から聞いたが、引越しで幼稚園を変えいたので馴染みが遅くなってしまったという。

劣等生のラベルを自分で貼り付けたのは小学1年生のときだったと思う。今でも夢に見る。数人の女子に、りほちゃんって変、と言われたり、休み時間誰とも話す人がいなくて女子トイレでやり過ごしたりした。劣等生たる所以に私は提出物の忘れ物が多かった。これはかなり残念なことだったと振り返って思うし、忘れ物をしない癖をつけるのにはかなり苦労した。

特に宿題の忘れ物をすると居残り組になる。算数の宿題が嫌いだった。不思議なのは特にテストの点数は悪くないということ。宿題となると出せない。それは教師も首を傾げた。

しかし、家庭訪問ではそれほど悪くは言われなかった。授業態度とテストの成績は申し分なく、体育が苦手な程度。忘れ物は気になるので親に気遣うよう言われたと親が言っていた。これだけ聞いたら少し鼻高々になってもいいんじゃないかと思うだろうが、忘れ物をする粗相や小1のマラソン大会でビリになってしまったことは自分の中では自分を劣等生と扱う材料になってしまうのだった。



アルバムを閉じると勝手に涙が出てきた。私が幼少期のアルバムを見るときはいつも何か辛いときだった。最初は片付けの際になんとなく眺めるものだったのだが。劣等感というものは残酷なことに大人になるにつれてだんだんと膨らんでいってしまうようだ。そしていつかは破裂してどうしようもない事態に発展しかねなくなるのだ。

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