雨の夜には
美里
1
雨の夜には、彼がやってくる。忘れたい記憶でもあるのだろうか、必ず、冷たい雨の夜に。だから俺は、雨の晩には外出をしない。じっと膝を抱えて彼を待つ。そんなことをしていても誰もほめてはくれないと、彼との関係もただのセフレ以上に進展はしないと、分かってはいるのだけれど。
今日は朝から、雪に変わらないのが不思議なくらいの冷たい雨が降っていた。だから俺は、やっぱりベッドで布団を肩から被り、じっと耳を澄ませて彼を待っていた。
夜中近くなって、アパートの外階段を上る、乱暴な足音が聞こえてくる。
ご近所さんに迷惑がかかるから、もう少し静かに上ってほしいと、何度言っても直らない。でも、そんな足音でも立てないと、彼がここに来られないことも、俺は分かっている。彼は、ストレートだ。俺みたいなゲイじゃない。彼は多分、男を抱きに来る自分を認めたくないのだ。
しばらく待っていると、インターフォンが鳴らされる。ここですぐにドアを開けないと、これまた乱暴にドアを蹴られるのは分かっているから、俺は急いで玄関のドアを開けに行く。
「寒かったでしょ。」
黒い革のジャケットを着て立っている彼は、俺より背が高いのに、なぜだか妙に幼げに見える。雨の夜には、いつも。
「母親みたいなこと、言うな。」
彼が刺々しい声を出すから、俺は、ごめんごめん、と笑みを浮かべながら、彼を室内に招き入れる。後ろ手でドアを閉めると、彼はすぐにベッドに向かうから、俺もそれについていく。俺の価値なんて、そこにしかないと、それくらいのことは分かっている。
ベッドに腰掛けて、シャツのボタンを外しながら、言葉をさがした。なにか、彼と話がしたい。いつも俺はそう思っていて、でも、気の利いた言葉が浮かばないし、俺の言葉なんて望まれていないことだって分かりきっている。
母親みたいなこと、言うな。
彼がたびたび口にする台詞で、俺にはいつもそれが引っ掛かる。多分彼には、母親という存在に対する、なにがしかの嫌悪感があるのだろう。でも、それを確かめるような言葉を発することもなく、俺はシャツを脱いでベッドに横たわる。彼もベッドに身を乗り上げ、ひどく冷たい手で俺の身体に触れた。部屋の外を降りしきる雨に、ずっと打たれでもしていたみたいに、凍えた手。それに触れられると、俺はもどかしくなる。俺の体温がもっと高ければ、この手を温めてあげられるのにと。でも、低血圧の俺の肌は、いつものように、やっぱり冷たい。
悲しいな。
そう思って天井を見上げていると、勝手に涙が一粒、頬に滑り落ちたから、彼に知られないうちに、とっとと手の甲で拭って処理した。
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