第18話

 その男の人は、青い瞳に、限りなく銀に近い白髪。静かな、それでいて隠しきれない喜びを顔いっぱいにたたえてわたしをのぞき込んでいた。


「…………だっ、誰!? 泥棒!?」


 タオルケットを跳ね除け、勢いよく起き上がる。


「おっと。アンジュ様、泥棒だなんてひどいね? 僕を呼んでくれたのはアンジュ様じゃない」


 青年は涼やかに笑うばかり。その毒気のない表情に、なんとなく危険人物ではないような雰囲気を感じる。

 とはいえ、彼はどこからどう見てもおかしな点ばかりだ。まず、なぜかわたしの名前を知っているのか。そして、どうやってこの部屋に入ってきたのか。夜中だから、当然玄関も窓も鍵をかけている。


 加えて、彼の見た目だ。日本人としてはあり得ない頭髪と瞳の色をしている。肩上で切りそろえられた白銀の髪は、窓から入るわずかな月の光をも反射して、きらきらと光っている。こんなに美しい色彩を持つ人は幽世にだっていないと思う。

 着ている衣類も、また馴染みのないものだった。特徴的な刺繍がほどこされた大ぶりな上着を肩に羽織り、その下はシャツを着ている。薄暗い部屋では、その詳細までは分からない。


「また一緒になれて嬉しいよ。なにしろ僕は、一人ではここに戻れなかったからね。本当に、あの女め。僕を投げつけるなんてひどいじゃないか――」


 一人でぺらぺら話し出す青年。「あの女」と言ったあたりから、整った顔が忌々しげに歪む。一向に話が見えなくて、わたしは思わず口を挟んだ。


「あっ、あの。全然状況が呑み込めないんですが……。まず、あなたはわたしを知っているんですか? 名前、名乗ってないのに知っていますし。本当に申し訳ないんですけれど、わたしはあなたが誰だか分からないんです」

「――そうか。アンジュ様は僕のことを認識していなかったものね。ごめん、びっくりさせちゃったかな」


 そう言うと、青年はわたしの前で膝をついた。彼の大きな手がわたしの右手を取る。

 急に触れられたことと、その手がとても冷たいことで、ビクッと身体に緊張が走る。しかし彼は全く気に留めることなく、なんとわたしの手の甲に唇を落とした。


「なっ、何してるんですか!?」


 驚いて手を引っ込める。すると、青年は艶やかに笑った。


「――僕はね、アンジュ様の祝福の石だよ。って言えばわかるかな? ネックレスにしてくれて、いつも一緒にいた。だからアンジュ様のことはなんでも知っているよ。二週間前あの忌々しい女に打ち捨てられたときは、本当にどうしようかと思ったよ。別の大陸に漂着するか、深海に沈むかと思ったら、すごく辛かった」

「あなたがわたしの石ですって!?」


 驚きのあまり、青年の言った言葉を繰り返す。


 ――祝福の石。それは、魔女の子どもが生まれたときに握りしめているもので、神様が授けたその子に対する祝福。両親や親族がアクセサリーに加工し、生涯肌身離さず身に着けさせる――。頭の中でゆっくりと、知っている知識を引っ張り出していく。


 わたしの石は、石の中でもグレードの高い宝石。真珠だ。けれど、石が人の形をとり、そのうえ会話ができるなんて、聞いたことも読んだこともない。

 呆気に取られたまま固まるわたしに、彼は続けた。


「信じられないって顔だね? じゃあ、僕がアンジュ様の石――真珠だってことを証明しようか?」

「……そんなことができるの?」

「簡単さ。アンジュ様しか知らないことを僕が知っていたら、証明になるでしょ? なにしろ僕はアンジュ様の首元でずっと同じことを体験していたんだから」


 その言葉を聞き、なるほどそうかもしれないと納得する。

 もし彼が――本当に祝福の石ならば。わたしの全てを知っているというのは頷ける。里で虐げられていたことも。閉じ込められた蔵でどのように過ごしていたのかも。


「じゃあ一つ目。アンジュ様の小さなころのあだ名は『アニー』だ」

「……」


 ――当たりだ。わたしは五歳で魔力がないとわかるまでは、家族からそう呼ばれて可愛がられていた。それを知っていて、今なお口にしてくれるひとは、もういない。

 青年は、海のように青い瞳をきらめかせながら話を続ける。


「二つ目。屋敷の蔵に住んでいた鼠に『チチ』と名付けて、ペットにしていた」

「……!」


 懐かしい名前を聞いた。青年の言うとおり――わたしが押し込められていた蔵には壁に小さな穴が開いていて、鼠が住んでいた。一人ぼっちだったわたしはその鼠に「チチ」と名付け、自分の食事を分けるなどして可愛がっていた。そのうちチチはどこかで家族を作ってきて、わたしに紹介しに来てくれたっけ。

 チチのことはわたししか知らない。目の前の青年が真珠の化身だという信憑性が高まってきた。


「ふふっ、信じてきてくれたみたいだね? じゃあ、最後にもう一つだけ。アンジュ様はね――」


 くすりと青年は笑い、目を細めた。


「そのチチを殺しちゃったよね?」


 ひゅっと喉が鳴る。さっと血の気が引き、全身が粟立った。


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