第4話

 魔女の里には、『修行』という仕組みがある。

 十五歳になった魔女の子は十八歳までの三年間を里の外で過ごすというものだ。その修行生活を終えて、無事に帰ってきた者が成人と認められる。そして正式に魔女を名乗ることができるのだ。


 わたしは学問所に行かせてもらえなかったけれど、修行に出ることは許された。「ずっと家にいるのも世間体が悪い」「どうせ修行を全うできないだろう」などと、両親が大声で話し合っている声が聞こえて理解した。――つまり、ていのいい厄介払いなのだと。


 悲しさもあったけれど、里を出られることにどこかホッとしたことを覚えている。

 居場所がないことに気づいてからは、外に出ることも諦め、蔵でじっとしている日々。そんな生活よりははるかにマシだと思った。


 九割九分の子どもは魔女の里と同じ幽世の国を選ぶ。なぜなら今後魔法を使って生きていくのだから、異能のある世界で腕を磨くというのが常識だから。

 けれどもわたしは魔力がなく魔法が使えない。幽世内の別の国に行っても、今と同じようにのけ者にされるだけだと思った。


 修行先に現世の人間界を選んだ理由は、まさにそこにあった。魔法のない世界なら平穏に暮らすことができるかもしれないと、すがるような思いでやってきたのがここ日本。

 幸いわたしの黒い髪は日本人の色合いとそっくりで、偶然だけど、一瞬でこの国に親近感を持ったのだった。


 ◇


 ――翌朝。

 高校の制服に着替えて、自室から一階の台所へと降りる。足音に気が付いた洋子さんの背中がくるりと優雅に振り返った。


「安寿ちゃん、おはよう。あら~? あなた、また夜更かししたのね? すごいお顔をしてるわよ」

「おはようございます、洋子さん。あー、これは……」


 昨晩物置小屋で、昔のことを思い出して号泣したわたし。

 気持ちが落ち着くまで待って自室に戻ったら、時計は日付をまたいでいた。急いでシャワーを浴びて布団に入ったものの、目の腫れはばっちり残ってしまっている。


 言葉に詰まっていると、洋子さんは優しく微笑みかけてくれた。


「お国でのことはよくわからないけれど……わたしは安寿ちゃんが来てくれて助かってるわよ。三年と言わずに、ずっと居てくれたっていいぐらいなんだから」

「洋子さん……。ありがとう、ございます」

「ふふっ。そういうお顔は年相応にすごく可愛いわよ。さ、早くご飯食べちゃいましょ。小桃ちゃんのところに行く時間、もうすぐよ」


 洋子さんは、だいたいの事情を知っている。ここ魚心亭は現世に修行に来た魔女見習いの指定受け入れ先になっていて、わたしが来るにあたって事前に里の魔女が訪れているからだ。

 修行のシステムはもちろん、魔力がないため虐げられていたことも、うっすらと聞いているらしい。


 とはいえ、人間界に修行に来る魔女見習いはほぼいない。受け入れ先として魚心亭がオープンした年に一人、そしてわたしが二人目だそうだ。だから、洋子さんのお家には代々「魔女見習いを名乗る子どもが来たら下宿させ、十八になる日まで面倒を見よ」という言い伝えがあったものの、わたしが来るまでは作り話だと思っていたのだとか。


「ほらほら、座って? ご飯を美味しく食べる一番の秘訣はね、出来立てのうちに食べることなのよ」


 ダイニングテーブルには、洋子さんが用意してくれたお握りと玉子焼き、そして湯気が立ちのぼるお味噌汁が並んでいた。椅子に座り、いただきます、と手を合わせる。


 江の島に来て一年と五か月が経つし、日本で修行すると決まってからの一年間は生活資料を読み込んできたので、普段の生活に困ることはない。言語についても練習してきたので、流ちょうとは言えないかもしれないけれど、不自然でもないはずだ。


「今日は安寿ちゃんの好きな油揚げの味噌汁よ」

「ありがとうございます。……すごく、美味しいです」


 お揚げを噛みしめると、出汁のきいた汁がじゅわっと出てくる。この感じ、癖になる。

 というか、洋子さんのお料理はどれもすごく美味しい。お握りだって玉子焼きだって、すごく安心する優しい味がする。


 洋子さんは「こんな簡単なもので喜んでくれるなんて優しいわね」なんて謙遜しているけれど、本当に生きてきた中で番美味しいご飯だと思う。――まあ、魔女の里にいたときのわたしは残飯ばかり食べていたから、決して舌が肥えているわけじゃないのだけれど。


 そんなことを考えながら、素敵な朝食をたいらげていく。


「――ごちそうさまでした。今日も、すごく美味しかったです。じゃあ、行ってきます」

「はーい。気を付けてね」


 ひらひらと手を振る洋子さんに会釈をして、玄関へ向かう。

 茶色のローファーに足を入れ、トントンと何回かつま先を打つ。扉を引くと、まぶしい夏の日差しがわたしの目を細めた。まだ七時だというのに、一瞬で汗がにじむような暑さが全身にまとわりつく。


 軒先で寝転ぶしめじも熱波で気だるそうだ。ハッハッと舌を出している彼女に向かって「行ってくるね、しめじ」と挨拶をする。

 学校に行く前に向かうのは、同じ江ノ島にあるお土産屋さん。魚心亭前の坂をひたすら下り、島の入り口にあるその店を目指す。


 この坂道は、江ノ島内のメインストリートでもある。両脇には飲食店やお土産屋さんが並ぶ仲見世があり、店主たちが開店準備を始めている。


「おはよう、安寿ちゃん。今日も暑いね」

「おはようございます。本当に、一気に暑くなりましたね」


 そんなやり取りをしながら、リズムよく坂を下っていく。


 目的のお土産屋さんには、五分ほどで到着する。いつものように、たくさんのキーホルダーが掛かった棚の前で小桃ちゃんは待っていた。

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