生まれた日のはなし

@ihcikuYoK

生まれた日のはなし

***


 それは海野颯太が、まだ自分の名字どころか、名字の存在すら知らなかった頃の話だ。

 自分を“そうちゃん”としか認識していなかったほんの小さな頃、颯太は自分のことを3人姉弟の末っ子と思っていた。そう勘違いしてもおかしくないくらい、彼と彼の姉の横にはいつも同じ男の子がいたのだ。


 だから水泳教室の帰り、通りすがりのおばさんに、

『ボク、お兄ちゃんお姉ちゃんと仲良しでいいわねー』

と言われたとき、『うん。いいでしょ』と自分が自慢するより先に、

『おばちゃん、こっちはお姉ちゃんだけど、俺はお兄ちゃんじゃないの』

仲良しだけどねーと彼が答えるのを聞いて、かなりのショックを受けたのだ。


 普段通り送迎バスに乗りこみ最後部席に並んで座り、ふたりに両手を繋がれバスで揺られつつ、颯太はさっきの信じがたい言葉をまだ反芻していた。

『……。まーくんは、そうちゃんのおにいちゃんじゃないの?』

『? うん、違うよ。知らなかった?』

 ぜんぜん知らなかった。青天の霹靂であった。

 本当に毎日一緒にいるのに、ときどき姉こずえと自分とお布団を並べて3人でも寝ているのに、そのまーくんがお兄ちゃんじゃないなんてことがあるのか。

『でもそうちゃんと俺はね、仲良しなの。おじいちゃんになっても友だち』

颯太の左横で姉が膨れた。

『私はー? 仲間ハズレはヤだ』

『こずちゃんもいっしょ。俺たちはずぅっと仲良しなの』

笑顔で言われ、それと同じく嬉しそうな顔をした姉と違い、颯太は納得がいかずひとり膨れっ面をして帰ったのだった。


 自分ひとりだけなにも知らなかっただなんて、そんなの仲間ハズレとおんなじだ。


 まぁしかし、なんてことのない出来事ではあった。

 幼い子どもがいくらヘソを曲げたって、バスがマンション前に辿り着くころにはすっかり機嫌も直っていたし、血の繋がりがあろうがなかろうが彼はそれまでと変わらず、いつまでも姉と自分と仲良くしてくれたからだ。

 兄と思っていた男の子は姉とニコイチの幼馴染で、同じマンション住まいの家族ぐるみで付き合いがある友だちというだけであった。どうりでいつも、7階と5階を行ったり来たりして遊んでいたわけだ。

 要は、ただの仲良しさんだったのだ。


 自分の颯太という名は、その幼馴染がつけた名前だった。


 幼いころ、ずいぶんな予知能力を持っていた彼は、ある日まだ妊娠の自覚すらなかった我が母へと寄って行き、

『この子ね、こずちゃんとまーくんのなかよし。ずぅーっとなかよしなの』

会うのはゆきいっぱいの日だよ、くるまもでんしゃもとまっちゃってね、たいへんでね、とバーーーッと早口で述べると、

『そうた。そうたちゃん、いっぱいあそぼうね』

と、まだ平たい腹をご機嫌で撫ぜたという。

 彼の予知能力の高さはその時すでに周知の事実であったため、母は即刻で産婦人科へ向かい、そして結果は当然のように陽性であったそうな。


 その翌年、100年に1度の大雪が降った日。

 あらゆる交通機関が止まり、社会の一端を担うすべての老若男女が、焦ったり困ったりしながら為す術もなく右往左往した日。

 母のたゆまぬ練習の成果か、数えきれぬほどのヒッヒッフゥーの果てに、数時間という超安産でスポンと生まれたのがオレである。


 名はもう決まっていた。

 幼馴染と姉がすでに腹の中のオレを『そうた』『そうちゃん』と呼び続けており、その出生より先に、両親はもちろんご近所さんにまで呼び名が浸透していたからだ。

 おかしな話だが、そういった経緯でオレは当時数歳だった幼馴染に名前を付けられたのである。


(血縁関係もなにもない数歳差の幼馴染に、名付けられた人間ってオレ以外にこの世にいるんだろうか)

などと馬鹿なことをときどき思うが、きっとそういないのではないだろうか。


 テレビ画面を見つめ、ただ黙々とコントローラーで指の運動をかましていると、後方から断末魔がふたつ上がった。

「ぬああああぁぁっ!!」

「無理無理! 無理無理無理無理!!」

「はいおしまーい」

 勝った。いつものことではあるが、勝利というのはやはり気分のいいものである。

 なんでそんな強いの……、どんな反射神経してんの……と姉とその人はソファで脱力した。


 今日はマンションの5階、幼馴染の家である。

 勝手知ったる仲なので、特に連絡もせず訪ねて行っても顔パスで家に入れてくれる。なんなら雅樹本人が不在でも、おじさんおばさんは『ちょっと出掛けるから、雅樹が帰るまでお留守番しててくれない?』と中で待たせてくれたりする。

(防犯的にどうなの?)と内心思いつつ、いつもありがたく過ごさせてもらっている。

 今日は珍しく用があるとかで、森本家に向かったのは午後からだった。姉と俺がお邪魔したときには、もうすでに遊ぶ用意が出来上がっていた。


 オレは森本家のラグに寝転がったまま、やる気のないガッツポーズを掲げた。

「姉ちゃんと名付け親を倒したぜい」

「毎回ボコボコにされてるけど……?」

姉がソファに沈んだまま述べた。その隣で天井を仰いでいた彼は、独り言のように口を開いた。

「……名付け親ってのは語弊がある、あれは予知だったんだから。

 颯太が颯太になるのはもう決まってたし。だって予知した未来でそう呼ばれたのを見たわけだから」

「でもうちの両親、もともとは息子ができたら“ダイスケ”ってつけるつもりだったらしいよ?」

「? え、マジで? でも颯太がダイスケになる未来は見たことなかったけどなー。気が変わったとかじゃなくて?」


 小学生の時、自分の名前の由来を調べて発表する授業で、オレはなかなか注目を浴びた。名づけが親でも姉でも祖父母でもなく、どこかの偉人からあやかったものでもなかったからだ。

 ご近所の予知少年によって知らされた名は、ドカ雪生まれに似合わぬどこか初夏の風を思わせる爽やかな名だったが、変えられることなくそのまま採用された。

 名に関しては両親もあれこれ考えてみたそうだが、その幼い彼が誰かに会うたび『そーたが』『そーたがね』とあんまり嬉しそうに話し、そしてそれが共にいたオレの姉にもうつりふたりして『そーた』『そーた』と呼んだため、そのうち親たちにも結局定着してしまい漢字だけ考え当てはめるに至ったそうだ。


 よっこいせと姉の声がした。ソファから腰を上げると、全身で大きな伸びをしていた。

「なんか淹れてくるけど、ふたりも飲み物いるー?」

「ほしいー。オレもなんか運ぶ?」

大丈夫持てるーと言われ、オレは浮かせかけた尻を戻した。

「俺もほしいー。お菓子は棚に補充してあるから、ついでに好きなの持ってきてー」

あーい、と返事をする頃には姉はすでに台所にいた。

 我が家と森本家にはそれぞれ小さなお菓子の空き箱が置いてあり、3人で毎月小遣いから決まった割合で入れあって菓子やジュースを買うのに充てている(先日買い出し前に計算してみたらいまいち額が合わなかったので、どうやら姉と雅樹はいくらか多めに入れてくれていたようだ)。

 最初の頃こそ『自分たちだけで使える自由なお金』という響きにテンションが上がり、2リットルボトルの炭酸飲料などをあれこれと買っていたが、子どもらが持って帰るには重いしなにより消費量がハンパじゃないため、そのうち業務用みたいな大袋の紅茶や麦茶のパックで淹れる形に落ち着いた。

 菓子もいまやファミリーパックが大半で、誰かの誕生日でもなければケーキ屋どころかドーナツ屋にも向かわない。


 菓子棚を離れた姉は、冷蔵庫を開きなにか悩んでいるようだった。

「姉ちゃんどしたの?」

「うん? なんでもないよ先遊んでてー」

意気揚々とコントローラーを持ちなおしたオレに反し、雅樹は「もう目がバッキバキ。ちょっと休も?」と首を振った。

 予知能力がなくなった幼馴染は、もうずっと一般学生として生活している。

 新しい能力の発現もとくにないとのことだが、時々なんだかいやに疲れているので、案外黙ってるだけじゃないのかなーとオレは姉と言い合っていた。

 これからも特に問い詰めるつもりはないが、いつか言ってくれたらいいのになと思ったりする。なにもわからないのになんでも打ち明けてほしいだなんて、ずいぶんなエゴだよなと自分でも思う。

 雅樹は否定しているが、オレは名前までつけてもらってるんだし、もはや大きいくくりで家族みたいなもんなんだから心配したっていいじゃんねとも思う。


「オレ、やっぱりオレの名前の言い出しっぺはまーくんだと思うな」

ほぁー? とソファの上で雅樹はおかしな声を上げた。

「? えっ颯太は颯太って顔してるじゃん、俺が言わなくたっておじちゃんもおばちゃんも颯太の顔見たら颯太にしてたよ絶対」

「そうかな。だいたい、生まれたての赤ん坊の顔なんてみんな一緒じゃん。猿みたいな」

「なんつうこと言うんだ、おばちゃんたちが聞いたら悲しむぞ」

どんな猿でも我が子は特別可愛い猿に見えるらしいから、と大真面目に述べた。

 結局猿は猿なんじゃん。


「鶏か卵かみたいな話してるね」

台所で紅茶の色が出るのを待っていた姉は、「私は別にどっちでもいいよ、雅樹がつけたんでも違っても」と言い出して脱力した。そりゃ姉ちゃんにはそうだろう、自分の名前じゃないんだから。

「まーくんてそのときのこと覚えてたりする?」

うーん、と唸った。

「……ぼんやりとなら。でももうだいぶ朧げかなー」

なにせ小っちゃいころのことだし、と嘯いた。

 幼児だったので、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれなかった。

 オレの名付けから数年ののち、彼からは予知の力が完全に失せ、そして本人も「なんか今となっては夢でも見てたんかなって感じ」だそうで、予知をしていた当時の感覚はあんまりないらしい。


 ふたりともー紅茶ー、と我が物顔で森本家のカップに淹れて持ってきた姉が、ソファで倒れ伏した雅樹をつついた。

 ようやく起き上がり座るスペースを譲ると、ありがとーと彼は呑気にカップを受け取った。これじゃあどっちがこの家の人間なんだかわからない。ラグの上で寝そべったままのオレが言えたことじゃないけど。

 颯太のは机に置くねー、と言われ礼を言う。

「……というか、なんていうかさー。当時の俺は、予知って皆できるもんだと思ってたから」

姉と顔を見合わせた。

「「そんなことある??」」

姉弟でユニゾンだなんて嫌な符合である。顔を歪めた俺たちにも慣れているのか、雅樹は気にも留めなかった。

「だって『すごい先まで見えてる』ってあんまり褒められたから、皆そこまで先のことは見えなくても『それなりに見えてる』のかなって思うじゃん」

えー? と姉とふたり首を傾げた。

「ちいさい頃の俺からしたら、周りの人だって充分な予知能力者に見えてたからね。

 だって大人って皆、明日の話どころか来月の話とか次の法事がいつだとか、先のことばっかり話すしさ。この時期は花見にはまだ早いとか、この辺りに台風がとか通り過ぎるとか。

 ああいうのも、俺には見えてない予知なんだとばかり」

テレビでやってる天気予報だって、俺はあれ全部誰かが予知で見たやつだと思ってたからね、と大真面目な顔で言うので笑ってしまった。


「だから颯太が生まれる予知も、俺からしたら天気予報的な感覚で」

「ドカ雪になるって言ったのも?」

「たぶん予知は天気とセットで言うものだと思ってたんだと思う」

俺の予知のメモ、なぜか必ず天気も書いてあるし、と頷いた。

「というか、遅かれ早かれ皆にもわかることだと思ってたし、でも自分の方が先にわかったから教えてあげよう、みたいな。おめでたいことならなおさら、皆も早く知る方が楽しいしさ」

 まーくんは昔からなかなかのハッピー野郎である。

 予知も、わざわざわかりやすく教えてくれるのは楽しいものばかりで、怖いものや危ないものほど黙っている。言ってくれればいいのに、ひとりでなんとかしようとするのだ。

 うちの父の腫瘍も、『海野のおじちゃん。なんか、人間ドックがいいらしいよ。全身めっちゃ診てもらえるらしいし』とのめちゃくちゃヘタクソな誘導によって発見された。

 おかけで父は今も元気な企業戦士である。


「あ、雪降ってきたね」

「縁起いいじゃんー」

「? なんで? 雪って縁起いいの? そんなの初めて聞くけど」

今日は雪が降った方がいいのー、とふたりに言われオレは肩をすくめた。このふたりは時々、意味の分からないところで意気投合する。

「雅樹ー、もう持ってきてよくない?」

「おけおけ。持ってくる」

「? なにを? オレも手伝うことある?」

颯太は座ってて、と言われ謎の疎外感であった。

 いいからちょっと待っててと言われたので素直に待っていると、厳かな顔でちっちゃめのホールケーキが運ばれて来て吹いてしまった。

 まぁ3人で食べるならちょうどよさそうだし、学生が小遣いで買うならある意味ジャストサイズかもしれない。


「はい14歳おめでとー」

「びっくりしたー、ありがと。いつの間に買ってたの?」

「雅樹が早いうちに取りに行ってくれた」

 だから今日は土曜なのに昼集合だったのか、とようやく合点した。普段は朝からがっつり遊びまくるのに、午後からなんて変だなーと思っていた。自分の誕生日だなんて忘れていた。

「ケーキ買うお金なんてよくあったね?」

こじんまりとしたサイズ感だが、ちゃんとケーキ屋さんのケーキであった。

「貯金箱にちょっとずつ多めに入れといたからね」

「それでか。なんか計算合わないと思ってたんだよ。これ用だったの?」

なんだバレてたんだ? 颯太は抜け目ないなー、と感心したような声を出された。


「今年は生まれた日と同じくドカ雪バースデーだよ、颯太」

「? 今日ってそんなに雪降るの?」

渡されたケーキナイフを片手に窓の外を見るが、まだ降り始めたばかりだった。

 雅樹が胸に手を当てた。

「昔の俺の予知によると、今年は14年ぶりに100年に1度の大雪になるらしい」

呆れた。

「ぜんぜん100年に1度じゃなくない?」

ほんとそれ、と姉がケーキ皿を持ってきた。


fin.

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