蛇の尾座①

 列車は再び静かに走り出す。

 屑の川を渡りながら、僕たちはカーフのいない空間に、まだ慣れないでいた。アルゲディはそっと窓の外を見ている。僕も隣で、ただ無言のまま、遠ざかるホームの灯りを見送った。




 どれほどそうしていたのだろうか、不意に列車が静かに減速し始める。

 ゴトン、ゴトン、と星屑のレールを滑る音が、次第に鈍く遠くなっていく。


「……なんだろう、また停まるみたいだ」

 僕が呟くと、アルゲディも窓の外に目を向けた。車内に無機質なアナウンスが響く。

『列車の点検のため、次の停車場“へび座の尾”に一時停車いたします。お客様は、そのままお席でお待ちください』


 そうしている内に、列車は静かに一つの駅に停った。

 目を凝らすと、停車場の片隅に、大きな一本の木が立っているのが分かる。葉を揺らす夜風に乗って、涼やかな、風鈴の様な音がりぃん、と、静かに耳に届く。その涼やかな音は、まるで遠い昔の夏の日を思い出させる様に、優しく響いている。

 駅舎らしい建物は見当たらず、ただ砂利を敷いただけの広場と、ひっそりと立つ小さな標識があるばかり。

 人の気配もほとんどなかった。


 列車は、静かに停まる。

 

 僕は立ち上がり、扉の方へ向かった。ただ、何かに引き寄せられるみたいに、外の空気に触れたくなった。


 そのとき。


「イオス」

 アルゲディの声が背中にかかる。

 振り返ると、彼は、少し困った様な、それでいてどこか諦めた様な目をして僕を見ていた。

 言いたいことがたくさんありそうなのに、それを全部呑み込んで、ただ、ゆっくりと微笑んだ。

「……あまり遠くへ行かないでね」

 ほんの少し、喉の奥が熱くなる。僕は小さくうなずいて、何も言わずに扉を押した。




 外に出ると、冷たい夜気が肌を撫でた。

 へび座の尾の停車場は、ひっそりとしていた。誰もいないホームに、かすかな風鈴の音だけが響いている。


 空には、たくさんの星がこぼれていた。

 それなのに、なぜだろう――僕はすごく小さくなった気がした。

 誰も知らない場所に、ひとりきりで立っているみたいで。


 でも。


 それでも、後ろを振り返るのは嫌だった。


「夜風が気持ちいいね」


 隣からとても穏やかな声がした。


 びくっと肩を跳ねさせて横を振り向くと、そこに黒髪の痩せた男の人が立っていた。大きな薄い茶色のコートに、同じ色の帽子を深くかぶっている。

 男の人は何も言わず、ただ僕の隣に並び、同じ様に空を見上げているだけだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る